第41話 通ってカチャトーラ
それ以降、彼は私の家に来なくなった。
チャットも既読をつけるばかりで、返事がないことに変化はない。
昇さんからは特段緊急の連絡はないので、学校には休まず通っているらしい。
それがわかるだけだけ、いいのかもしれないけれど……
私は、彼の心身が壊れていっていないか、それだけが心配だった。
今、どうしてるかな。
ちゃんと、寝れているかな。
寝ても覚めても、彼のことばかりが頭につく。
来ないでと言われた私にできることは限られていた。
そもそも、私には元から料理しかない。
せめて、ご飯だけでも食べていてほしい。
そんな気持ちで、私は食事を作っては、タッパーに詰めて彼の家の前に置いておくという行動を始めた。
真冬なのもあって、それほど腐る心配をしなくていいのが幸いだ。
できるだけ保存がきいて、レンジで温められるもの。
野菜も肉も入れられる、栄養価の高いもの。
そう考えると、必然、煮物などが増えていく。
今日は、いつものスーパーでチキンとトマトで買ってきた。
今日の夕食は、おしゃれに言ったら、カチャトーラ。
野暮ったく言うなら、単にチキンのトマト煮だ。
トマト煮と言うが、元ネタのカチャトーラに従えば、シチューやカレーというよりは煮魚のような作りかたになる。
まず、鶏もも肉から臭みの原因になる脂を落とし、筋を取って下処理した後、ローズマリーやにんにくで香り付けした油を使って焼き上げる。
ここまでは普通のおいしいチキンソテーだ。
皮に焼き目がついたら肉をあげて、鶏の旨味が残ったフライパンで玉ねぎや、から炒りしておいたキノコ、アンチョビを炒め、ビネガーと白ワインで少し煮詰める。
鶏肉を戻して、ようやくトマトを投入。
煮汁の量は鶏が浸からない程度にしかならないが、問題ない。
スプーンで煮汁をかけつつ水分を飛ばし、どろっとしてきたところに、オリーブオイルをひとまわしして乳化させる。
これでお洒落な一皿が出来上がった。
少し味見してみる。
柔らかな鶏肉にトマトの酸味が絡んだ、明るい味わい。
満足のいく出来だった。
ご飯とバケットを両方用意しながら、私はいつものように料理に祈った。
このご飯が、ほんの少しでも彼の元気に繋がってくれれば……
◇
タワーマンションへの侵入も、もう慣れたものだった。
すれ違う住人に挨拶しながらエレベーターに乗り、目的のフロアのボタンを押す。
階層を表示するモニターを見上げながら、私はいつもながら淡い期待をする。
扉が開いたとき、海斗くんが偶然前にいないだろうか、と。
しかし、そんな願いは到着してすぐに儚く消えていく。
昇り切ったフロアで私を待っているのは、どんなときも例外なく、無人の廊下だった。
足音が響くがらんとした空間を、私は彼の部屋前まで歩いていく。
苦しい気持ちを押し隠しながら。
すると、ドア横に変化があるのに気づいた。
ビニール袋に包まれたなにかが置いてある。
中をのぞくと、それは洗われた私のタッパーだった。
食べてくれたんだ……!
私は嬉しくなって、返された空き容器を取り上げて、代わりに今日の夕食をそこに置く。
そして、そんな小さな痕跡で喜んでいる自分が情けなくなった。
彼は、あれだけ私に力をくれたのに。
私には、ご飯を作って置いておくくらいしかできないのか……
自分が無力な人間であることが、悔しくて、情けなかった。
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