第四章 いまのオモイ

第39話 暗がりでハンバーグ(1)


 あの雪の日の失踪から数日が経った。

 海斗くんは、あれから一度も我が家にやってきていない。

 チャットに返事もない。

 学校や予備校には行っているらしい。

 昇さんが教えてくれた。

 ただ、それだけだ。

 それ以上の情報は、海斗くんからもたらされなかった。


 ハンバーグを作ることにした。

 とにかく、彼においしいご飯を食べさせたい。

 その一心だった。

 私と彼を繋ぐのは、今までずっと、それだけだったから。


 私はスーパーで牛と豚の挽き肉をそれぞれ買ってきた。

 自分で割合を調整できるよう個別の購入である。

 ハンバーグは、牛と豚を三対一にする。

 そして、ボウルの底を氷水で冷やしながら、肉をしっかり練っていく。

 わざわざ冷やすのは、手の温度で脂が溶け出さないようにだ。


 自分一人なら、こんな手間はかけない。

 すべては、彼の苦しみを少しでも和らげるために。


 塩コショウ、ナツメグ、玉ねぎ、パン粉、溶き卵を加えて更に練ると、粘り気のある肉ダネができる。

 これに油を塗ってから空気を抜き、蒸し焼きと予熱で火入れする。

 これで、肉汁を閉じ込めたハンバーグの出来上がりだ。

 自分用のひとつを切ってみる。

 ナイフが入ったところから、ジュワッと肉汁が溢れ出す。

 脳内の海斗くんは、大はしゃぎしていた。

 焼き加減は百点である。


 あとは、本物の海斗くんがどう言うか……

 私は作り終えたハンバーグを容器に移しながら、これから向かう先に緊張していた。



   ◇ 



 合鍵は渡されていた。

 昇さんが置いていったのだ。

 いざというとき、私のほうが早く動けるから、ということである。

 信頼されていることを感じつつ、私は合鍵が私の手元にある現状が嫌だった。

 そんな『いざというとき』など、想定したくもなかったから……


 事前に彼には、家に行くということは連絡してあった。

 既読はついたが、相変わらず返事はない。

 了承されたという都合の良い解釈をして、私は彼の住むマンションへ向かう。


 いつも使用している呼び出しパネルを使うことなく、オートロックを抜ける。

 エレベーターでフロアを上がり、合鍵で彼の家のドアを開ける。

 そして、思わず息を呑む。

 部屋は真っ暗だった。

 廊下からその先の居間に至るまで、電気が一箇所もついていない。

 ただ、窓から差し込む街灯りだけが部屋に光を届けていた。


 食事の入った袋を腕に提げ、恐る恐る進んでいく。

 暗い廊下を抜けると……いた。

 部屋のまんなかにべたりと座り込んだ海斗くんが、ついてもいないテレビに目をやっている。

 恐らく、見ているわけではない。

 偶然視線の途中に液晶があるというだけだ。


 私は、彼の周囲に目を走らせる。

 引越し荷物のダンボールは相変わらず封がされたまま。

 複数のコンビニの袋が、床に転がっている。

 まるで私が掃除しに来る前に戻ったかのよう……

 私は、自分の認識が誤っていたことを察した。

 そもそも彼は、今までずっと、普通の生活ができていなかったのだ。

 私に再会した後でさえ、ずっと。

 機械的に学校に行って、予備校に行って、食事をして。

 私が部屋に来るときだけ、掃除をして。

 それ以外はただ、部屋で虚空を眺めている。

 ……それが、彼の生活だったのだ。


「……海斗くん」


 私の声に、彼は始めて反応を見せた。

 まどろみから覚めるように、ゆっくりと振り向く。


「あ……青葉さん……」


 目元だけで、わずかに微笑む。

 嫌な予感がした。

 もしかして……

 やけにこの子の声がきこえなかったのは……

 大人しいからじゃなくて、感情が摩耗していたから……?


「ご飯、持ってきた。ハンバーグだよ」


 手提げ袋を掲げて見せる。

 すると、少しずつ、少しずつ、彼の顔に生気が蘇ってくる。

 


「ハンバーグ……」

「食べよ」

「……はい」


 私は心のなかで顔をしかめた。

 彼の生活の助けになっているかもなんて、自惚れていたんだ。

 彼はずっと、進んでいなかった。

 彼はずっと、この家で一人のまま。

 私の家から帰れば、電気もつけずに、こうしてひとりでうずくまってたんだ。

 彼のこと……本当になにもわかっていなかったんだ……



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