第38話 戸惑って羊羹


 翌日。

 我が家で朝ごはんを食べてマンションに帰った海斗くんは、もう一度、お父様に連れられて私の家の玄関へやってきた。


「ご迷惑をおかけしました」


 安アパートの狭い玄関で、昇さんが頭を下げる。

 息子も背中を押され、お辞儀する。

 その様子も、どこか心ここにあらずだった。


「これ、つまらないものだけど」


 昇さんが紙袋を差し出した。

 とらやの羊羹。

 ガチである。


「うわっ、そんないいですよ気にしなくて!」

「いやいや、いつもお世話になってるし。その上昨日のこともあったら……」


 昇さんには十年ぶりにあったというのに、見た目はそれほど変わっていなかった。

 しかし、今は「お変わりないですね」などと世間話などできる空気ではない。

 昇さんは、疲れた様子で報告する。


「こいつ、昨日は母親の現場に行ってたみたいでね。それでそのまま青葉ちゃんちに向かったんだって。傘もささずに」

「現場……? お母様の?」

「うん、事故現場」


 昇さんが口にしたのはあまりに想定外な一言で、私は凍りついてしまった。

 事故現場……?

 海斗くんのお母様の……?

 私の反応で察したのだろう。

 昇さんも目を丸くする。


「え、海斗にきいてないの……?」

「きいてないです……え、葵さん亡くなってるんですか……?」


 私の一言に、さらに父親は驚いた様子で、


「あぁ、これは……長くなるな……」


 と呟いた。


「あの、とりあえず入ってください! お茶入れますので」

「……そうだね。少しだけお邪魔します」


 昇さんは海斗くんを促して、玄関を上がった。

 キッチンに向かいながらも、私の脳内は混線してぐちゃぐちゃだった。

 私、なにか勘違いしていたの……?



   ◇ 



「まず、葵は九年前に亡くなってるんだよ」


 切り出されたのは、衝撃的な言葉だった。

 昇さんはいつも海斗くんが座っている椅子についていて、息子はその隣で俯いているだけ。

 切り分けられた羊羹が、テーブルの真ん中にものも言わずに佇んでる。


「九年前……」

「ちょうど、青葉ちゃんが来なくなった頃だね。言ってなかったんだけど、元々指定難病を抱えててね。治療しても届かなかった」

「……」


 呆然とする。

 そんなこと、ひとつも気づかなかった。

 確かにすごく細い人だったけれど、それも含めて美人だと思っていたから……


「連絡しなくてごめんね。できるだけ家族で見送ってほしいって言われてて……あと、あの時期の青葉ちゃんは、なんだかその……」

「大丈夫です。不安定でしたよね……」


 特性が発症した高校時代後半。

 私はずっと心の変化に振り回され、半ば生活が崩壊していた。

 その危うさは、現役で卒業できたのが奇跡というレベルだ。


「精神的に、あまり強い刺激は与えるべきじゃないんじゃないかって、思ってね……」


 彼は申し訳無さそうに呟く。

 それでも、私は気づいた。

 昇さんは先ほど、事故現場と言ったのだ。

 母親の事故現場、と。


「その後、数年は二人で暮らしてたんだけど、海斗が中一の頃かな……再婚したんです、僕」

「あ……」


 思わず呟いてしまった。

 話の向かう先が、見えてしまったから。

 昇さんも、目を細める。

 その顔には疲れが深く刻まれていた。


「その相手は海斗にも良くしてくれたんだけど、去年交通事故で亡くなってね」

「ゆみさん……」


 私が口にすると、昇さんは意外そうに眉を上げる。

 ずっとテーブルの上を眺めていた海斗くんさえ、わずかに動いた。


「そう……由実って言うんだけど。歩いてた子供を庇って死んじゃってね。昨日が祥月命日で、だから海斗に実家に帰ってこいって話をしてたんだ」

「それは……なら……」


 私の頭のなかで、今までの海斗くんの行動が静かに繋がっていく。

 料理中の私をゆみさんと呼び間違えたのも。

 実家に帰ると嘘をついてどこかに出かけていたのも。

 最近、元気がなかったのも。

 全部、継母のことがあったから……


「だから、一人暮らししたいって言い始めたときは心配だったんだよ。今日みたいなことがあっても、すぐに向かえないからさ」


 昇さんは困ったように頭をかく。

 その薬指には、シルバーリングが嵌められている。


「でも、当時の海斗はかなり参ってたし、少し家から離れたほうがいいのかもしれないな、とも思ってね。それでどうしたいか海斗にきいて」

「そうだったんですね……」

「うん。だから僕、てっきり青葉ちゃんが近くにいたのは偶然だと思ってたんだけど……多分、違うんでしょ……?」


 そう言って、昇さんは私に意味深な視線を投げかける。

 私は、俯いたままの海斗くんに目をやった。

 年賀状。

 彼は以前、そこからうちの住所がわかったと言っていた。

 もし、海斗くんが自分で引越し先を選んだのなら。

 君は、私がいるからこの街に来たの……?

 それは、どうして……



   ◇ 



 必要な話を終えると、昇さんは私に気を使ってか、すぐに席を立った。

 玄関で海斗くんに先に靴を履くよう促してから、振り返って謝罪する。


「なにはともあれ、うちの息子でご迷惑をおかけしてすいませんでした。今度なにか埋め合わせするから」

「いえ、本当にいいんです。何事もなかったのが一番ですから」

「そうだね……これ以上なにかあったら、僕はもう生きていけないよ」


 彼が見せた笑顔は、今まで目にしてきたどんな笑顔よりも重く、深くて。

 そして、息子の作り笑いにどこか似ていた。

 海斗くんが玄関ドアを開く。

 昨日の雪が残る街から、冷え切った空気が流れ込んでくる。

 昇さんは靴を履きながら、まるで独り言みたいな小さな声で呟いた。


「あいつ、もしかしたら青葉ちゃんを母親と重ねてるのかもしれない……迷惑な話だけど」

「い、いえそんな……」

「でも、正直助かってる……僕にはあんまり話してくれないからさ……これからも息子に関わってもらえると嬉しいよ」


 私は返事の代わりに、強く頷いた。

 断る理由なんてひとつもない。

 海斗くんは、私を助けてくれたのだから。

 私は、ドア前で父を待つ海斗くんに目を合わせて告げた。


「海斗くん、またいつでもおいでね。ご飯作って待ってるから」


 海斗くんは、操り人形のように頭を下げる。

 それは、頷くというより、お別れのお辞儀だった。



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【大事なお願い】


ここまで読んでくださってありがとうございます……!


この作品は、カクヨムコン応募作品です。

受賞できるとは思っていません。

ただ一度でいいので、読者選考というものを抜けてみたくって……


もし少しでも、面白かった! もっと読みたい! 楽しかった!

と思っていただけましたら……


ぜひ、下にある【星☆評価】でエールをください……


現時点の評価で構いません。

1つ押していただけるだけで大変ありがたいです。

入れて頂けたら【子孫恋愛成就】の舞を舞わせていただきます……

(読者選考は2/8までなので、それまでに何卒……!)


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