第34話 頑張ってマカロニグラタン(1)


(このセトリはすごい。お手上げだ)


 彼の感嘆した声がきこえてくる。


(米、味噌汁、漬物、そして唐揚げ……絶対に外れない大アンセムだ。食卓という名のフロアは沸き立っている。お姉ちゃんは天才DJか?)


 皿は扱っているが、回してはいない。

 私は相変わらずの脳内口調におかしさを覚えつつも、同時にそこはかとない違和感も覚えていた。

 彼の声に、いつもの勢いがない。

 まるで義務かのような食レポだった

 いや義務で食レポしてるのもおかしいんだけどさ。


 彼の外見に関しては、いつもの無表情である。

 しかし、ここ数ヶ月一緒にいた私には、微妙な陰影が浮かんでいるのに気がついていた。


「なんか、元気ないね……?」

「えっ」


 彼はわずかに目を見開く。

 見抜かれたことに驚いているらしい。


「なんで……」

「わかっちゃうよ。顔見れば」


 ちょっと引かれるかと思ったが、事実わかってしまったのだから仕方ない。

 正直にそう言うと、彼はテーブルに向けるように笑った。


「母と同じこと言いますね……」


 作り笑いなのがバレバレだ。

 そう思う。

 そもそも彼はそんなに笑わないから。


「なにかあった?」

「ううん、なにも変わりはなくて……ただ、勉強が大変だなぁと」

「……もしかして、実家で突っつかれた?」

「まぁ、そんなとこです」


 へへっ、と笑う。

 まぁ、お父様は日本でも有数の開業医で、その一人息子だものね。

 私は彼の境遇を羨ましくも不憫に思う。


「高校二年でそれだけ本気なら、きっと受かるよ」

「……うん、ありがとう」


 彼はまた作り笑いを浮かべてみせた。



   ◇ 



 その日から、彼はさらに勉学に励むようになった。

 実家でかけられた発破が強烈だったのだろう。

 うちに来るにも参考書を必ず持参するし、ご飯中も、頭のなかで英単語や科学用語を思い出そうとする。

 食レポさえ早々に切り上げるようになったし、いつしか目の下にはクマが浮かぶようになった。

 お姉ちゃん、超心配である。


「ちゃんと寝れてる……?」


 ある日の食卓で、私はついに尋ねてしまう。

 記憶の海にもぐっていた彼は、久しぶりに海面から顔を出してキョトンとした。


「あ、ごめんなさい……今なにか……」

「最近、寝れてる?」

「あの、はい……」


 私の視線に晒され、彼は気まずそうに意見を変える。


「いいえ……」

「頑張ってるのはすごいけど、体壊したら無駄になっちゃうよ? 受験は長丁場だし」

「あの……うん……わかっては、いる……」


 申し訳無さそうに目を伏せる。


「でも、これは親との約束だから……出来が悪いけど、俺はこれをするしかない……」


 彼の意志は確固としたものだった。

 記憶の海へ戻っていく海斗くんを眺めながら、なんとなく口をすぼめて考えてしまう。

 御曹司には、御曹司なりのプレッシャーがあるのかしらね……

 彼とは真逆の赤貧な人生を送ってきた私には、計り知れないことだけれど。

 彼のためにできること、私にないかしら……



   ◇ 



 夜食を持たせてあげよう。

 それが悩んだ挙げ句の結論だった。

 結局食かと言われそうである。

 でも、食しか私に誇るところはないのである。


 というわけで、マカロニグラタンを作る。

 グラタンというのは、実は結構手間のかかる料理なので、いつもより二時間も早く準備を始める。

 特に、ベシャメルソースはダマにならないようにじっくり時間をかける必要がある。

 無職でないとできない技だ。


 まず、鍋にバターを溶かしてから、小麦粉を加えて焦がさないよう弱火で炒める。

 慎重に、丁寧に。

 それがソース作りの基本である。

 粉がバターと馴染んだ状態で、冷たい牛乳を混ぜ合わせる。

 このときも、溶け残りが出ないように、少しずつ入れては混ぜ、入れては混ぜ……

 綺麗に混ぜ合わされたら、ベシャメルソースの完成である。

 とろみがついた白いソースは、洋菓子のようにさえ見える。


 この段階で、ようやく具合の調理だ。

 背わたを抜いたエビ、マッシュルーム、玉ねぎを炒めてから、白ワインで煮ると、なんともお洒落な匂いがしてくる。

 それらをソースに加えてひと煮してから、グラタン皿に注ぎ込む。

 最後に上からチーズを振って、香り付けの澄ましバターを回しかけたら、行程は終了だ。

 なんと手間のかかるお夜食だろうか。

 自分で笑ってしまう。

 趣味でなければ、やっていられないだろう。


 さぁ、あとは焼くだけとオーブンの蓋を開けた、そのとき。

 スマホが着信を知らせ始めた。

 海斗くんである。

 電話など珍しい。

 スピーカーモードにすると、彼の声が部屋に響いた。


「すいません……今日も実家に帰ることになって……直前で申し訳ないんですけど……」


 あらら。

 私は眉を上げる。

 幸い、夕飯の準備はまだしていない。


「全然大丈夫だよー。ちなみに、今日は帰ってくるの?」

「え、あ、はい……夜には帰るつもり……」

「よかった! ちょっとしたものがあるから。楽しみにしてて」

「あ、はい……」


 電話を切る。

 私は方針を決め、再び腕を捲くった。

 夕飯は私ひとり分でいいとして、マカロニグラタンは作って持っていってあげよう。

 断じて、一日一回は会いたいからとかそういう乙女なやつではない、断じて。

 せっかくなら、できた当日に持っていきたいと思ったからだ。

 それに、まだ十七の高校生が、クマになるほど勉強して、独りの広い部屋で寝ている姿を思うと、どうしても力になってあげたくなるのだ。

 私は、強い想いを込めて、グラタン皿をオーブンに入れた。



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