第33話 気になって鮭とば


「い、いかがわしすぎる……」


 画面の先で、親友は頭を抱えていた。


「いかがわしすぎる……」


 二度まで言うな。

 私は反論した。


「別にいかがわしくはないでしょ。雪合戦しただけで」

「これだから恋愛経験ゼロニキは……家で鍋食って雪合戦して暗転したらそりゃもう事後でしょ」

「一一〇番したやつがなにを言ってるの?」


 発想が怖いわ。

 あと、恋愛経験はゼロではない。

 〇.三くらいはある。


 美波は鮭とばを噛み千切りながら、占い師のように両手を前に差し出して言う。


「ワタクシには先が見えます。このままゴールインする未来が」

「私には見えないわね……」

「なんでよ、あからさまに好かれてるじゃん。あ、金か! 貧乏姉さんは選ばれんか!」


 ガハハ!

 豪放磊落に笑ってから、日本酒をあおる。

 この前はゴッドファーザーだったが、今日は山賊にしか見えない。

 私は堂に入った呑み姿の友人に返答する。


「それもあるけど……多分あの子、私に恋愛感情持ってない」

「なんで言い切れる?」

「あるなら、わかる……」


 ――恋と愛。

 それは、数ある人間の感情のなかでも、最上級に激しく動くものであった。

 激しいということは、私の耳に入りやすいということだ。

 私も、申し訳ないことだが、その類の感情を向けられてきたことはなんだかんだあった。

 だから断言できる。

 確かに、彼は元々心の揺れ動きが少ないけれど、さすがに恋されていたらきき取れる。

 彼の親愛を受け続けても私が調子に乗らないのは、これが原因であった。


「んー。なら、なにか引っかかってるのかもね。彼のなかで」


 美波が椅子の上で体育座りしながら言う。


「どういうこと?」

「例えば学生時代の恋愛だとさ、告白したら周りにバレるからしない、みたいなのあんじゃん? あとはサラリーマンだったら、この人とくっつくと職場にいられなくなる、とか。そういうときって、気持ち抑え込んだりするパターン」

「あぁね」

「アンタ、過去にその子になんかやった?」

「心当たりはないけど……」


 私は首を捻る。

 子供の頃の彼とは、大体二年くらいの付き合いがあったけれど、なにも特別考慮すべき関係性などないはずである。

 単に、両親と彼で回っていた食卓に、ちょくちょく顔を出すようになった女である。

 それとも、私の知らない間になにかしてしまったのだろうか……

 美波の言うこと、当たるからな……


「ま、単純に怖がってるのかもね。アンタに振られるの。年上の女って怖いし」


 恐怖の預言者は椅子をくるくる回しながら宣う。


「全部、彼が私を好きな前提だけどね」

「そこまでしてきて、好意がないことはないっしょ〜」


 グワハハ。

 再び山賊笑いをする一児の母。

 山賊マザーである。


「一回会ってみてぇ〜。アンタよりその子のこと見抜ける自信あるわ」

「怖……なに言われるかわかったもんじゃないわね……」

「卒アル持ってってやるよ」

「やめて」


 一番怖い。

 そのとき、スピーカーから幼児の声がした。

 子供が起きてきたらしい。


「ごめん、ちょっと抜ける。長いかも」

「いいよ。時間もそのくらいだし、お開きで」

「悪い。あんがと」


 ビデオ通話が切れる。

 私はそのまま立ち上がると、お酒で火照った体を冷やそうとベランダへ出た。

 猫の額くらい狭いその場所は、キンと冷えた空気に満ちている。

 この前積もった雪は、万年日陰の地面にわずかに残るだけとなった。


 この前の雪合戦は、子供時代に戻ったような久しぶりの楽しさだった。

 今日は、海斗くんは実家に戻っている。

 今、彼は家族水入らずで楽しくやっているだろうか……

 つい昨日も会っていたというのに、気づいたらあの子のことばかり考えるようになっていた。

 母性だと思いたい。

 そう思いたいのだ。

 時間が余っているせいで、余計なことが浮かんでしまうだけ。

 そう信じていたほうが、色々な問題は起こらないから。

 でも、やっぱり思考は彼のいるところまで飛んでしまって、自身で否定しきれないものを感じていた。

 こんなに心を躍らせて、年甲斐も無い……


 そのとき。

 スマホがブブッと震えた。

 美波からかしらと思い、通知を見ると、そこには絢辻海斗との文字が並ぶ。

 私はハッとしてチャットアプリをタップする。


 ――お姉ちゃん。


 飛んできたのは、たった一文だった。

 私はそれを続きがあるものと思い、しばらく待つ。

 しかし、待っていたメッセージは一向に来ない。


 ――どうしたの?


 我慢できずに返事をすると、長い時間をかけて。


 ――なんでもないです。すいません


 ひとつ、返ってきた。

 まるで、ポツリと呟くように。

 私はその文面に頭を傾げ、悩み、追求しないことに決めた。

 少し寂しいのかもしれない、なんて想像するのはおこがましいだろうか。

 私は白い息をひとつ吐いてから、部屋のなかに戻る。

 心はもう、明日の彼との食卓へと節操なく飛んでいた。



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