第32話 ぶん投げてごま豆乳鍋(2)


 ダイニングテーブルに土鍋がひとつ。

 蓋を開ければ、白い湯気がもくもくと立ち昇る。

 私たちはその蒸気越しに視線を交わした。

 日本の冬の醍醐味。

 それは、寒い日に鍋をみんなでつつくことである。

 鍋は三、四人前はあるが、恐らく彼が食べ切ってしまうだろう。

 当然、シメのうどんも用意している。


「あったかい……いただきます……」


 よそってあげた皿を受け取ると、彼はまずスープに口をつけた。


(んあぁ……岩にしみ入るごまの声)


 食レポ芭蕉だ。

 ごまの声ってなんだろ。


(豆乳の滑らかさと、ごまの香ばしさ。そして裏に構える味噌の甘み……冬の鍋は素晴らしい。日本人で良かったと思える。豆乳を集めて早し最上川)


 私は相変わらずの彼の癖強レポートを盗聴しつつ、なんとなく地元に帰ったような安心感を覚える

 よかった。

 旅行に行ったときは不安になっちゃったけど。

 変わらず私のご飯で喜んでくれて……


「あの、お姉ちゃん……」


 食レポ芭蕉が対面で顔を上げていた。

 笑わないように気をつけつつ、わたしは訊ね返す。


「ん?」

「俺、結局お姉ちゃんになにも返してないなって、ずっと考えてたんだけど……」


 眉を下げ、困り顔をする。

 そういえば、伊藤さんとか言う幼馴染と歩いてた理由がそれだったなと思い出した。

 まだ一ヶ月も経っていないのに、仕事を辞める前のことはもう遠い昔のようだ。


「でも、未だになに買えばいいのかわかんなくて……なのでその……なにか欲しい物ありますか?」


 彼は真剣な表情できいてきた。


「あれば買ってくる」


 その言葉は、私をも困らせた。


「えぇ……? うぅん……」


 返してないと言われても、彼の分の材料費はもらうようになったし、調理だって私が好きに作っているだけである。

 そもそも、立派な大人が高校生になにか買ってもらうというのも――彼の資産は私の数百倍あろうけれども――気が引ける。

 でも、このまま放っておくと、なにかとんでもないものを買ってきそうという雰囲気も感じていた。

 例えばそれこそ、ごつい宝飾品とか……

 私は窓の外に視線を飛ばして言った。


「……よし、わかった」

「なんですか……なんでも買ってきます……」

「私と雪合戦してくれ」


 時があいた。


「……へ? 雪合戦?」

「そう。せっかく雪降ってるからね」

「あの、そんなのでいいんですか……? もっとなにかちゃんとした……」

「雪合戦が一番したい」

「そう……ですか……」


 私の確固としたワガママに、彼は戸惑いながら頷く。

 これじゃあどっちが年上だかわからないという自覚はあった。



   ◇ 



「うぅ、寒い……!」


 ダウンのなかに首をすくめ、つい口走ってしまう。

 食後、約束通り私たちはアパートを出て、雪景色のなかを降りていた。

 天気予報ではもう止むと報じられていたけれど、この地域ではまだ花のように雪が舞い、夜闇を飾り立てている。

 街は静かだった。


「結構積もってますね……」


 海斗くんも、後ろからやってきて呟く。

 道路を覆う新雪を踏むと、キュッと小気味良い音がした。

 私は、生け垣に溜まった柔らかい雪をひと掬いして固める。

 そして。


「うりゃ」


 海斗くんに投げつけた。


「うわっ」


 彼はわずかにビックリした様子で振り返り、私はふふんと胸を張る。

 食後の運動である。


(え……投げ返すべきだよね……?)


 躊躇しているようなので、手を振って挑発してやる。


「さぁ来い!」


 彼はおずおずと近くの雪を玉にして私に投げてきた。

 ふはは、そんなスピードじゃ当たらん。

 私は避けてから、次弾を全力で投げつけてやる。

 そこから、彼も徐々に本気になり始めた。

 大人びた子供と大人げない大人の攻防戦である。


「石入れてやろっと」

「やめてください……」


 そんな戦いが、二十分は続いただろうか。

 ようやく休戦した私たちは、軽く息を切らしていた。

 先ほどまでは震えるほど寒かったのに、今ではダウンが暑いくらいだ。


「ごめんね、こんなおばさんと遊んでもらっちゃって」


 私は海斗くんの服についた雪を払ってあげながら謝る。

 普通、彼くらいの年の子が一緒にはしゃぐ相手は、同年代で然るべきだろう。

 十個上が言い出した雪合戦に付き合うなんて、どちらかというと親孝行や介護のジャンルに近い。

 けれど。


「……おばさんじゃないですよ、青葉さんは」


 彼は俯いた状態で呟いた。


「あ、あはは、ありがとう。ごめん、気を遣わせちゃったね……」

「気なんか遣ってません」


 それは、彼にしては珍しい前がかりな口調で。


「あ……そう、ありがと……」


 私はちょっと呑まれて頷くしかなかった。


(あ、まずい……)


 彼は慌てたように言い繕い始める。


「に……二十代でおばさんなら、うちの親父はおじいちゃんになっちゃいますから……」

「そ、そうだね! お父さんに申し訳ないわ!」

「はい……」


 沈黙が流れる。

 しんしんと雪が降るなか、人も車も通らないのが余計気まずかった。


「うん、そろそろ戻ろっか! 寒くなってきたし!」

「は、はい……!」


 私たちは来た道を戻る。


(恥ずい……)


 背後からきこえてきた声に、私も同感だった。



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次回、飲酒です。

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