第17話 戦ってカキフライ(3)
揚げ物は、めんどくさい。
これは、地球創生期から変わらないただひとつの真理である。
部屋は臭くなるし、掃除は大変だし、油ハネは怖いし、使い終わった油は処理しないといけない。
トンカツなどの衣が必要なものは、その下準備も必要。
まして、一人暮らしで揚げ物をする人など、ほとんどいないだろう。
だからこそ、もしあなたがなにかを揚げている一人暮らしに出会ったら、その人は今、上機嫌と見るべきだ。
食材も自分も、現在アチアチのアゲアゲなのである。
私の前でも今、最後の『揚げ』が終わろうとしていた。
カキフライ。
黄金色に輝くその俵型を高熱の湯船から掬いあげていく。
ちなみに、隣にはすでに完成したメンチカツもある。
今夜は揚げ物レイヴでパーリーナイなのである。
「さてさて……」
私はいそいそと熱々のフライをまな板に載せて、包丁を入れる。
ザクッ。
脳幹を貫く最高のサウンドに、脳内の観客は大盛りあがり。
断面に見える白黒入り混じった魅惑的な光景に、私は目眩を覚える。
たまらん。
大至急飲酒の必要がある。
客との飲み会を断れた。
そのことは、私の高校時代以降の人生にとって大進歩だった。
気づけば思わず揚げ物をしていたくらい、嬉しかったのだ。
だから、今まではあまり未成年の前で飲まないようにしていたのだが、今日ばかりは許してほしい。
そんなウキウキ気分で完成した料理をダイニングテーブルに並べ、あとは海斗くんを待つだけとなったちょうどそのとき、当人からのチャットが届いた。
帰りの電車が少し遅れているらしい。
どのくらいに着くか、まだわからないとのこと。
ま、まさか……
私は、ビール缶片手に絶望する。
この揚げたてを前に『待ち』だと……
なんの刑罰だこれは……
脳内で、天使が訴える。
「飲酒しては駄目! 海斗くんが来る前に出来上がってしまうわ! 大人として立派な姿でいないと!」
ぐっ、確かに……
海斗くんに情けないところは見せたくない……
その一方で、悪魔が囁く。
「ま、あまり飲まなければ大丈夫だ」
だよね!
私は勢いよく缶を開けると、グッと煽ってからカキフライに手をつけた。
アラサーにもなると、悪魔軍は非常に強かった。
◇
「お、海斗く〜ん。おか〜り〜」
コートを手に居間に入ってきた海斗くんが、フラフラ手を振る私を見て固まっている。
一人呑みを始めてから、どれほど経っただろう。
覚えてないが、とりあえず異様に愉快であることはわかった。
(わっ……お酒臭い……)
キョロキョロとテーブルの上の状況を確認する海斗くん。
大変かわいらしい。
かわいいので、早くご飯を食べさせてあげたい。
「あの、お姉ちゃん大丈夫……?」
「座って」
「え?」
「座って!」
「あ、はい……」
海斗くんが席につくのを目にしながら、私もテーブル伝いにその隣へ移動する。
頭がボヤッとするが、歩けないわけじゃない。
「食べて」
私は椅子に座ると、カキフライを箸で取ってそのまま彼に向けた。
「え、と……」
「食ーべーてっ!」
「は、はい!」
目の前に開いたお口に、揚げ物を突っ込む。
口が閉じる。もぐもぐ動き始める。
大変おもしろい。
「あの、そんなに見られても……」
「おいしい?」
「それは、おいしいですけど……」
「本当かぁ? 今日はいつものがきこえないけどなぁ、アハハ!」
「い、いつもの……?」
当惑する彼の前で、私は腕を組む。
確かに、なぜあの食レポがきこえないんだ?
期待していたのだが。
しばらく頭を捻って、閃いた。
「あっ、揚げたてじゃないからか〜! 待ってて、今残りも揚げるからね」
「うわっ、ダメですダメです! そんな状態で油使ったら!」
彼は半ば抱きつくみたいな形で立ち上がる私を止めた。
平気なのになぁと思いつつも、暖かいので動けなくなる。
同時に眠くなってきたので、海斗くんの腕に額を乗せた。
(……これは酷い)
彼の心の呟きが耳に入る。
そういえば、人前でこんなに酔ったのは、本当に久しぶりかもしれなかった。
人と楽しく飲むこと自体、私にはハードルが高かったから。
「今日はねぇ、いいことがあったのだ」
「あ、そうですか……」
「うん、すごい勇気を出せたから。進歩したんだ」
「そっか……良かったですね……」
「全部、海斗くんのおかげだよ」
気持ちがスラスラ口に出る。
感謝の気持ちが溢れて止まらなかった。
キミがいてくれたから、帰る場所になってくれたから、私は前に踏み出せた。
脳からそのまま垂れ流されるみたいな言葉たちは、脈絡もなく、面白味もなかったろうに、海斗くんはその間ずっと、うんうんと話をきいてくれていた。
これじゃあ、どっちが大人かわからないと思いつつ。
私はただその温もりに身を預けていた。
◇
いつのまにか、船を漕いでいたらしい。
顔をあげると、私は自分の席に戻っていて海斗くんはコートを着ているところだった。
「あの、ちゃんとベッドで寝たほうがいいと思います……俺はもう帰るんで……」
まだ睡魔と酔魔でぼうっとしている頭に、悲しみが生まれる。
「もう帰っちゃうの……? 寂しい……」
(……っ! 勘弁してくれ……!)
心の叫びだけ残して、彼は居間を出ていってしまった。
慌てたような早足で、玄関がバタンと閉まる音がする。
あらら、嫌われちゃったかな……
私は少し反省した。
そりゃそうよね、こんな酔っぱらいの相手させられて……かわいそうに……
ありがとう、海斗くん……いてくれて、本当に……
穏やかな気持ちに包まれたまま、私はなんとかベッドに移動して、飛び込んだまま意識を失った。
◇
……翌朝。
ズキズキする頭を抱えて居間に向かうと、テーブルの上が綺麗に片付けられていることに気づいた。
自分で片した記憶はない。
そもそも昨日の記憶があまりない。
不思議に思ってキッチンへ向かうと、皿はすべて洗われた上で、水切りラックに置かれていた。
海斗くんが、帰る前に終わらせてくれたのだろう。
私は彼の律儀さが現れている光景を前に、思わず感嘆してしまった。
いい子だなぁ、本当に……
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次回、飲酒です。
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