第17話 戦ってカキフライ(2)


「すいません、恵輔さん。お時間もらっちゃって」


 克樹さんとの戦いから、数日後。

 私は、事前にスケジュールに予定を入れ、恵輔さんを空き部屋に呼んでいた。


「おう。どしたん」


 長い机の対面に座り、向き合う。

 若くて忙しい上司は、ひとつひとつの動作も速い。

 きっと今このときも、彼の頭は積もる仕事の思索を同時並行で走らせているのだろう。

 そんな貴重な時間を自分ごとで奪ってしまうことに気が引けたが、私はあえて予定を入れた。


 彼にひとつ、お願いしたいことがあった。

 先日大きな一歩を踏み出したことで、もう一歩だけ進んでみたくなったのだ。

 大丈夫……

 克樹さんの誘いを断ったときよりは、マシなはずだ。

 私は切り出した。


「今後のお客さんとの飲み会なんですけど……私、不参加でいいでしょうか」

「えっ⁉」


 予想していなかったらしい。

 恵輔さんが意外そうに反応する。

 いつもならここで相手の声を恐れて怖気づいてしまうが、今日はぐっと踏ん張って、引かない。


「すいません。その分仕事はちゃんとやるので……」

「いやその前にさ、え? なに? どうして?」


 なんか、狼狽えすぎじゃない……?

 私はその過敏さに違和感を覚えながらも、正直に告げる。


「苦手なんです、ああいう大勢での集まり……騒がしいところにいると、少しパニックになってしまうところがあって……」


 私は飲み会で起こる苦しみについて、訥々と話していく。

 対面の上司は誰が見てもわかるような困惑顔を浮かべていた。

 私は話し出す前から、諦めていた。

 この社運を担うべき開拓チームでは、飲み会に出ないことはお荷物な行動だろう。

 また足手まといと疎まれるか、または憎悪が渦巻く元の課に戻されるか。

 でも、それでいい。

 たとえイラつかれても、怒られても、帰る場所はあるから。


 私が予定していたことをあらかた話し終わると、恵輔さんは参ったなぁと言わんばかりに頬を掻いた。

 そして、


「なんだ、言ってくれればよかったのにぃ」

「……はい?」


 なにを?

 順番を回されたみたいに困惑してしまう私に、彼は眉を潜めて言った。


「全然気づかなかった。そんなに辛かったんだ?」

「え、と……」

「てっきり俺、青葉ちゃんも来たくて来てるんだと思ってたわぁ。お金も会社持ちだし、今まで断られたことなかったし」


 ……そのときの私は、どんな間抜け面を晒していただろう。

 彼の態度や声色からは、悪意は微塵も感じられない。

 心の声さえ、

 

(危なかったぁ……また気づかないうちに人員減らすところだった……)


 としか言わない。

 私は呆気にとられた。

 この人、本当に気づいていなかったんだ……

 私がこの飲み会に喜んで参加してると心から思ってたんだ。

 

 ……さすがにアホなの?

 他社の重役との飲み会ぞ?

 粗相をしたら会社が傾く修羅の席ぞ?

 そんな青二才には恐怖でしかない場所に呼ばれて、


「え、経費で落ちる? よっしゃ飲み代浮いた、今日は飲むぞ〜!」


 なんて奴、この世に存在しないでしょ!


 私は相変わらず困り顔の上司を信じられない気持ちで眺めてしまったが、同時にようやくしっくりきてもいた。


 いや、存在するのかもしれない……

 それが克樹さんや恵輔さんの思考回路なのだ。

 賢く、恐れを知らず、人の懐に平気で潜り込んで話を勧めてしまえる人種。

 そういう化け物みたいな人間が、この世にはいるのだ。

 正反対の私が、こうして存在しているのと同じように……


 恐れているだけじゃ、わからなかった。

 人それぞれが違う考えを持っているのなら。

 ちゃんと言葉にして伝えないと、伝わらないんだ……


「とりあえず了解。今度からは飲み会無理に参加しなくていいから」


 恵輔さんは、グーサインであっさりと示す。

 私を苦しめていた原因は、そんな一動作で取り除かれるようなことだったらしい。

 肩の力が抜けてしまった。


「あ、ありがとうございます」

「今度からキツイ場合は早めにアラートあげてよぉ? エスカレーションエスカレーション」

「はい、すいません……」


 頭を下げる私と、既に椅子から立ち上がる上司。

 用件が終わったと判断したのだろう。

 その即断してしまう価値観がやはり理解できないとは思いつつ、私は後に続きながら尋ねてみた。


「私、飲み会出ないことでこのチームから落とされますか……?」


 ぶっちゃければ、別に落とされようが残されようが、どちらでもよかった。

 元の課と比べれば、現在のチームのほうがいくらかマシ程度だ。

 彼は会議室の扉を開けながら振り返った。


「いやいや! 青葉ちゃんはよくやってくれてるし、このままいてもらうよ。当然じゃない」


 彼は、逆にどうしてそう思ったのとでも言いたげな、無垢なる瞬きを二、三度キメる。

 私はようやく、この狭い会社で息を吸えた気がした。



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