第14話 余ってロールキャベツ(2)


「青葉ちゃ〜ん!」


 ダーツで言うところの、ダブルブル。


「例の営業先に出す資料だけど、今日中に技術部とコンセンサスとっといてくんない? それと、競合調査のやつは指摘箇所直して明日の定例までにフィックスしといてね」


 弓道で言うところの、図星。


「あ、あとこの前頼んだステークホルダー説得用のパワポって、叩き台できてる? 一時間後にはミーティングでブラッシュアップしたいんだけど」


 悪い予感は、狙い澄ましたように見事に的中した。


 この職場でもっとも人材の集まる新規営業先開拓チームは、築山さん風に言えばマジでクソほど忙しかった。

 キーボードを叩き続る私はまさに死に体である。


 新しい環境。

 新しい人間。

 大きな期待のかかる仕事。


 ある程度、予想はしていたけれど、こんなにしんどい思いをするとは。

 やめたい。

 でも、やめられない。

 戻ったらあの薄毛課長が怖いから。


 今、私にとんでもない量の作業を叩き込んできた男は、チームリーダーの三山恵輔という男である。

 企画室で結果を出しすぎて二年で上司を全員自分の部下にしたという伝説の持ち主なのだが、やたらカタカナが好きなのと、軽い調子で無茶振りをするという厄介すぎる性質の持ち主でもあった。


「すいません……叩き台ちょっと間に合わないかも……」

「えっ、なんで? 別にパパッと十分くらいで作ればいいじゃない」

「いや十分じゃさすがに……」


 四十代手前にみえる若いリーダーは、本当に理解ができてなさそうな顔をする。

 私が困り果てていると、


「恵輔さん、自分の基準で青葉ちゃんに仕事振りすぎっすよ。誰もそんなんできないって」


 聞こえてきた声に、私たちは振り向く。

 イケメンが廊下から歩いてきていた。

 庄野克樹。

 営業部のエースで、一年前から開拓チームにいる新しい同僚である。


「青葉ちゃん、俺少し手伝おっか?」


 彼は、続いて私に声をかけてきた。

 私は息切れしつつただ首を横に振る。


「いえ、大丈夫です……」


 社内の有名人二人に挟まれながら、私は、この状況は築山さんが見たら羨ましがるだろうな、と疲弊した頭で思った。

 この二人、女子社員の人気トップツーなのだ。

 社内のミーハー女たちは、彼らと廊下ですれ違えばヒソヒソと興奮気味に噂をするのだが、それは彼らの被害者になっていないからできるだけだと今の私は知っている。


 恵輔さんは、自分の認識間違いにようやく気づいたらしい。


「え、俺また仕事させすぎてた? そっかぁ、この前人事に言われて反省したばっかなのにな……」

「その発言怖ぇ〜。恵輔さん、部下を辞めさせるの得意だからなぁ〜」

「おい克樹、人聞きの悪いこと言うなよ。わざとじゃないんだから、わざとじゃ」


 悪夢のような会話を聞き流しながら、私は積み上がる仕事に集中しようとする。

 仕事ができて、しかも人も同じように仕事に熱中していると思い込む。

 そういう人間たちは、周囲の人間を悪気なくどんどん潰していくのだ。

 私にとっては、恵輔さんも克樹くんもどっちも怖ぇ……


 ところで、このチームの人間は年齢が若いかつコミュ強なこともあってか、互いに名前で呼ぶことがルールになっていた。

 なにそれって感じなのだが、そのおかげかチームの仲は良いようで、前の課のような呪詛や殺意の声は、今の所きこえてこなかった。

 それに関しては、大変感謝している。

 今ままで困らされていた地獄が、すっかり消えたのだから。


 しかし、私の精神的HPは前の課にいたときよりもさらに削れていた。

 なぜなら、


「あ、そうだ青葉ちゃん」


 このチームの真なる地獄は、


「今日も営業先と飲み会ね。アサインよろ〜」


 社屋の外にあるからだ。



   ◇



「いや〜、勉強になります社長!」


 克樹くんが相手企業のトップにビールを注ぎながらよいしょをしているのを横目に見ながら、私は枝豆をひとつだけ摘む。

 飲み会は先ほど開始したばかり。

 高級な個室居酒屋で、お偉いさんがワチャワチャ騒ぎ、その間を恵輔さんと克樹くんが縫うように渡り歩いていた。


 いつも飲み会はこの役割分担だ。

 ウチのチームでも特に営業面に秀でた二人が積極的に遊撃し、残ったメンバーは対面の重役の話をうんうんときき続ける。

 飲み代は経費として会社が出すので、お金の心配もいらない。

 仕事で出撃しているとはいえ、呑むのが好きな人ならば悪くない条件だ。

 ……そのはずなのだが、体力のほうはゴリゴリ削れていた。


 私は向かい側の相手がトイレに立った隙に、テーブルの下で密かに連絡を入れた。


 ――ごめん、今日も遅くなりそうだから、ご飯食べておいて


「あれえぇ? 彼氏に連絡?」


 ハッとして振り向くと、先ほどまでテーブルの端のほうに座っていた相手先の役職持ちが私の隣にやってきていた。

 左手薬指につけたシルバーリングが居酒屋の蛍光灯に煌めく。


「いえ、違います……」

「ほんとにぃ? 愛してるよちゅっちゅってやってたんじゃないの?」


 なんだ、愛してるよちゅっちゅって。


「はは、してないですね」


 引き攣った笑みで答えながら、コイツを担当するはずだったウチ陣営の人間にチラッと視線を向ける。

 潰れていた。

 早ない?


「ささ、グラス開けて。入れてあげるから」

「いやいや、恐れ多いです。私が注ぎますから」

「いいの! 開けて!」


 なんやねん、いいの!って。

 五歳児か?


 強情さを見てとった私は仕方なくグラスを開けて、甘んじて注がれることにする。

 すると、奴は入れたそばから奴は飲み干すことを強要してきた。

 なるほど、これか。

 私は、自陣の陣形を突破された理由を知る。

 酔いつぶすタイプは、一番厄介である。


「小町ちゃん、彼氏いないの?」


 ビール、日本酒、焼酎とちゃんぽんさせられてから、質問が飛んできた。

 酒にはそこそこ強い私もそろそろ頭が回らなくなり始めているが、まだミスするほど思考力は衰えていない。

 ここはハッキリ『いない』と答えて牽制するのだ。


「いないですね」


 ……あれ?

 牽制するなら『いる』と答えるべきでは?


「いないの⁉︎ もったいないよ〜、小町ちゃん綺麗なのに〜!」

「ははは……」


 苦笑いでやり過ごす。


 今日の飲み会参加者は、九割男だった。

 しかも、相手先は中年だらけである。

 会社の上層にのし上がり、さらに怖い先輩がいなくなりつつある彼らは、ブレーキが効かなくなっている者も多い。

 若い女と見れば、誰彼構わず近寄ってきて、性欲を部分的にでも晴らそうとしてくるのだ。

 しかし……直接的なセクハラは、まだ私のなかでは軽い部類だった。

 ぶっちゃけ、ある程度女をやっていると、性欲オヤジのいなしかたも逃げかたも自然に学ぶことになる。


 問題は、脳内でのセクハラが私にきこえてしまうということだった。

 酔っ払った人間の感情は上下しやすいため、思考がダダ漏れになる。

 目の前の男も、脳内でとんでもない言動を度々披露していた。


(あ〜、この子の×××で×××してぇ。×××したあと×××で×××してもらいてぇ〜)


 おかげさまで、私の脳内はピー音だらけである。

 耳を塞ぎたくなった。

 真なる地獄は社屋の外にある。

 それは、飲み会のたびに出現する地獄だった。


「あ、瀬尾さん! ウチのメンバー潰さないでくださいよ⁉︎」


 声と一緒に床がリズムよく振動する。

 いつのまにか、向こうで社長を相手にしていたはずの克樹くんが歩いてきていた。


「いやいや、よく飲んでくれるからさぁ」

「大事なメンバーなんで、ほどほどにしてくださいよぉ?」


 彼は悪戯っぽさを含みながら隣のオヤジに注意すると、


「大丈夫、青葉ちゃん?」

「はい、大丈夫です……」


 私は頷く。

 私が困っているのをみてわざわざフォローに来てくれたのだ。

 優しい男。

 気の利く男。

 一見、そう見えるだろう。

 ただ、私は知っていた。

 彼が心のうちでなにを考えているか……

 女を人とも思わない黒い計算の数々を、私は知っている。


「なら僕が彼氏に立候補しちゃおうかなぁ」

「瀬尾さん既婚者でしょう!」


 克樹くんのツッコミで、呑みの場にドッと笑いが上がる。


 合わせて愛想笑いをしながら、私は心のなかでギュッと目を瞑った。

 今すぐ、この環境から離れたかった。

 家に帰って、優しくて温かいものを無心で作りたい気持ちだった。

 この世のすべての人間から、離れて。



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