第12話 蕩けてすき焼き(3)
私は、キッチンに立ち、これ以上ないほどテンションが上がっていた。
貧乏かつ料理好きならば、これを見て気分が乗らないものはいないだろう。
憧れのシステムキッチン。
どこが熱くなるのかようわからんシャレオツIHコンロ。
それが私の目の前にあった。
引越し後一ヶ月だというのに、使用感は一切ない。
実際お湯を沸かすのもケトルだった関係上、海斗くんはこのキッチンを物置としか認識していなかったらしい。
本来はよくないが、彼のものぐさに感謝せざるを得ない。
おかげで、このタワマン製バカデカキッチンを私色に染めることができるのだから。
「ひっひっひ……」
魔女のような笑みが漏れてしまう。
リビングにいた海斗くんが不安そうな顔で私を見た。
安心してほしい。
今から作るのは悪魔の薬品ではない。
悪魔的に美味しいすき焼きだ。
さぁ、
私は家に来る前に買っておいた野菜を冷蔵庫から取り出す。
まずはお前らからだ……!
絢辻父が引越し荷物に用意してくれていた包丁を手に、野菜たちを手頃な大きさに切り刻んでいく。
ヒャッヒャッヒャ!
お前たち、おいしそうだねぇ!
ところで、私は普段住んでいるしみったれアパートに対していつも散々に言っているが、実はあの部屋、賃料にしてはコンロを三つも備えた料理好きには優しいところである。
しかし、やはり、キッチンは広ければ広いほどいい……!
今、普段と違う高級な調理場に立ちながら、私はしみじみと実感していた。
作業場所が狭いと、置く場所も減るし、順序も変わってくるし、イレギュラーな頭を使うのだ。
しかし、このキッチンの広さはそんな矮小でしょっぱい悩みを抱かせない。
快適だ。
とても快適だ。
一度この快感を知ってしまったら、もう戻れないかもしれない……
さて、材料は用意ができた。
あとは、焼いて煮るだけなのであるが……
すき焼きは、一度にすべてを煮てはいけない。
いやまぁ、偉そうに言ったものの、私ひとりなら適当に全部突っ込んでしまうが。
ここはタワマンであるぞ?
そんなお下品な庶民の行いなど、はしたなくてとてもできませんわ?
まずは、鍋に牛脂を入れて長ネギを焼く。これだけで香ばしさが変わってくる。
ちなみに、すき焼き鍋はわざわざ持ってきました。
「そんなの……持ってきてたんだ……」
気づいたら、海斗くんが私の隣で立っていた。
呆気に取られている顔は初めて見たかもしれない。
確かに、掃除するって言う名目ですき焼き鍋持ってくる女がどこにいるって話だ。
ここにいる。
「あはは……一応、おうちにお鍋あるかわからなかったしさ」
「そう、ですね……すいません、言っておけばよかった……」
「ううん、いいの!……あとなにより、タワマンで料理すると劣等感出る気がしたから……少しでもそれっぽくしたくて……」
「……どういうこと?」
「ううん。忘れて」
ネギを取り出し、次はいよいよ牛を焼く。
例の富裕層スーパーで買ってきた、ちょーいい肉である。
若干赤みの残る状態で、割下を少し加える。
あ、ちなみに、割下も自分の家で作ってきました。
調味料、あるわけないと思ったし。
そしてそれは正解だったし。
私は、魔女のようにニヤニヤしながら、海斗くんを手招きする。
「海斗くん海斗くん」
「はい……?」
「あーん」
私は、溶き卵に潜らせた悪魔肉を、海斗くんに差し出した。
「え、ぅ、あ……はい……」
海斗くんは目をキョロキョロさせたけれど、やがて恥ずかしそうに口を開く。
その口に、卵がこぼれないようにしながら肉を入れてやる。
(ん……んほほほほほほほっ! うましゅぎりゅ♡)
大層な喜びようだった。
外目にも、味に感激しているのがわかる。
そう。
上品がどうとか言ったところで、結局キッチンでのつまみ食いが一番うまいのである!
(はぁ……中臣鎌足幸せの塊……)
韻を踏み出した。
(すき焼きってもう響きが良すぎる……すきと焼きってなにもう……すき焼きis和食の王様……配下になりたい……)
私も口に入れてみる。
とろける肉の柔らかさ。
甘じょっぱい割下と卵が混ざり合って唯一無二の旨みを生む。
確かに、配下になりたいかもしれない。
「よし、じゃあいよいよ野菜を入れて……」
と言って、私はようやく気づいた。
「あれ……そういえば、この家カセットコンロとか、ないよね?」
「あ、そうですね……見てないから……多分ない……」
大失態である。
せっかく鍋まで持ってきたのに。
私は頭を抱える。
煮えた直後に食べていくからおいしいのに……!
火がないんじゃあ、海斗くんにおいしいものが……食べさせ……られ……
……いや。
私は、なんか吹っ切れた。
いや、火ならあるか。
ここに。
目の前のIHクッキングヒーターを見下ろす。
今し方、キッチンでのつまみ食いが一番うまいんだと自分で言ったばかりである。
今更食事マナーなどあったもんじゃない!
タワマンがなんだ!
こちとらお下品な庶民じゃい!
「もう、ここで食べちゃうか!」
私が言うと、海斗くんは目を輝かせた。
「なんだか、悪いことしてるみたい……」
悪いことのハードルが低くてかわいい。
やっぱり箱入り息子だったんだなぁ。
私は思わず笑ってしまいながら、材料を鍋に並べ始めた。
マナーの悪い魔女による、キッチンすき焼きパーティーの始まりである。
◇
「申し訳ないです」
片付けの最中。
私が洗った皿を拭きながら、彼はポツリと謝った。
「え?」
私は、興味津々で覗き込んでいたビルトイン食洗機から顔を上げる。
使い方が分からなかったので今回は泣く泣く手洗いしたのだが、いつか使ってみたいものである。
「いつも仕事で疲れてるのに、ご飯作ってくれて、今日は掃除までしてもらって……なのに俺、なにもしてない……なにかお返ししないと……」
「なに言ってるの。君は今頑張ってるんだから気にしなくていいの。学生はいっぱい食べていっぱい勉強する。それが仕事でしょ」
「はい……」
「ちなみに、今の模試の判定はどのくらいなの?」
「あの……今は国公立医大でCくらい……」
「C⁉ まだ二年生だよね⁉ 充分すごいよ!」
恥ずかしそうに俯く海斗くん。
私は自分の学生時代の成績を思い出していた。
医学部のC判定なんて、模試で八割は取れないといけないのだ。
私なんかの手が届く世界じゃなかった。
まぁ、このテレパスみたいな特性を得てしまったせいで、勉強どころじゃなかったのもあるけれど……
「はぁ、頭がいいんだねぇ……すごい……」
「……すごいのは……お姉ちゃんのほう」
彼に言われて、私は数回瞬きしてしまった。
私がすごいって?
「ど、どこをどうみたら……?」
「いつも優しいし……すごくおいしい料理を作れる……」
「いや、こんなの素人がかじってるだけだよ。海斗くんのほうがよっぽどすごいし……それに、キミの前じゃかっこつけてるけど、実は会社じゃお荷物扱いなんだよ?」
「そう……なんですか」
「そうだよ。気弱で、人が怖くて、上司に楯突けなくて……」
おっと。
私は慌てて口を閉ざした。
いかん、つい流れるように高校生に愚痴をきかせるところだった。
ちょっと疲れが溜まってるのかもしれない。
また美波に話を聞いてもらわなければ……
しばらく静寂が二人の間に流れる。
「……その……癒者って言葉があるんです」
海斗くんは、いつの間にかお皿を拭く手を止めていた。
「うん?」
「癒すに患者の者で、癒者。造語ですけど」
小さく、細い声で彼は続ける。
「医者の前に癒者になれって、両親に言われてきました。人を癒して、幸せにできる人になれって。特に母には、そう言われてきました」
彼の言わんとしていることが、なんとなくわかる気がする。
彼は、私は励まそうとしているんだ……
「お姉ちゃんは……ずっと俺を幸せにできてるから。立派で、すごい人です。尊敬してます」
そう言って、彼は恥ずかしそうに下を向いてしまった。
急に、お皿拭きに集中し始める。
私は、固まっていた。
尊敬しているなんて言われたのは、生まれて初めてだった。
褒められたのだって、社会に出てからは一度もなかった。
私なんか、ただのダメな人間なのに……
「あ、わ……お姉ちゃん……大丈夫……?」
「ごめん……ちょっと、疲れてるのかもね……」
ごまかしてみても、涙が止まらない。
喉が引き攣って、うまく息ができない。
参ったな、かっこがつかない。
そう思っていると、頭にふわりと暖かな重みが乗っかった。
撫でられている。
ぎこちなく。
不器用に。
それに気づいて、私はますます嗚咽してしまった。
情けなさと、嬉しさと、温かさに包まれて。
私はしばらく、彼の手の下で子供のように泣いていた。
―― 第1章 無口なキミ 了 ――
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【大事なお願い】
ここまで読んでくださってありがとうございます……!
この作品は、カクヨムコン応募作品です。
受賞できるとは思っていません。
ただ一度でいいので、読者選考というものを抜けてみたくって……
もし少しでも、面白かった! もっと読みたい! 楽しかった!
と思っていただけましたら……
ぜひ、下にある【星☆評価】でエールをください……
現時点の評価で構いません。
1つ押していただけるだけで大変ありがたいです。
入れて頂けたら【所得税半減】の舞を舞わせていただきます……
(読者選考は2/8までなので、それまでに何卒……!)
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次回、モッツァレラチーズ入りロールキャベツです。
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