第11話 蕩けてすき焼き(2)


「すいません……わざわざ……」


 ドアを開けるなり、彼は申し訳なさそうに言った。

 今日は学校もお休みなので、彼もいつもの制服姿ではなく、ゆったりとしたパーカーとスウェットのズボンを身につけていた。

 部屋着に近いものなのだろう。

 なんだか新鮮である。

 隙があって、ぶっちゃけかわいい。


「片付いてないのは……居間です……」


 私がきく前から彼は白状した。

 先に謝ってしまった方が楽だとでも言いたげだ。

 確かに、廊下自体はそれほど埃は溜まっていなかったが、廊下の奥にワイパーが立てかけられていたのを見て察する。

 多分、来る前に少しでもマシにしようとしたんだろう。

 そして、諦めた。


「拝見します」


 なんとなく私も同じテンション感で答えて、廊下を進む海斗くんの後に続く。

 私の居間の縦幅くらいありそうな廊下を越え、海斗くんの背中越しから、居間を覗き見る。


「あぁ……なるほど」


 想像はしていた。

 が、想像を越えてきた。

 汚い以前であった。

 確かに、部屋は散らかっていた。

 ゴミは捨てられていないし、飲んだペットボトルや缶はドミノよろしく林立しているし、引越し時に持ち込んだのであろうダンボールが山積している。

 しかし、部屋全体は空虚なまでにスッキリしていた。

 そもそも家具がろくすっぽないからだ。

 庶民たちがあくせく動く地上が一望できるその部屋には、そのステータスに見合わない小さなちゃぶ台がひとつ。

 タワマンにありがちな、人をバカにしたような革張りのソファとか、どう考えてもでかすぎるテレビとかもない。

 最初から備え付けているもの以外は、ほとんどなにもないのであった。


 掃除が必要以前に……生活環境ができてないじゃないか……


「か、海斗くん、いつもどうやって生活してるの……?」

「え……お姉ちゃんの家でご飯を食べて、帰って寝てるだけですけど……」

「えぇっと、まずどこからきけば……そう、カーテンは? 高層階で誰にも見られないから必要ないって感じ?」

「あ……忘れてた……そっか、お父さんがなんかそんなの言ってた……待っててください……」


 そう言って、彼は部屋の隅に積まれた段ボールの一つを開けて深くを探る。

 そして、白いレース上の布を持って走り戻ってきた。


「ありました……!」


 ありました、じゃないんよ。

 そんな嬉しそうに。


「そう……じゃあまずはカーテンをつけて……その後ゴミを片しましょうか……」


 私は軽くこめかみを抑えながら言う。

 参った。この子、思ったよりずっと生活力がない。

 これは、長くかかるぞぉ……




   ◇ 



 掃除婦になりにきたはずが、引越し業者になってしまった。

 私は海斗くんと協力して、ダンボールから家具を掘り出しては、部屋に設置していく。

 お父さんは、一般的な生活に必要と言われるものは、小物から大きめの家具まできちんと用意してくれていたらしい。

 しかし、海斗くんの場合、真に生活に必要だったのは数メートルの行動範囲と、たったひとつのちゃぶ台とケトルだけだったようだ。

 昇さん、彼にタワマンは不要だったのでは……?


 一ヶ月手付かずだった部屋の掃除も、同時並行に進めていく。

 しかし、高級マンションとやらは、大変な広さだった。

 今の一部屋だけで、私の貧相なちんちくりんアパートが丸々収まってしまいそうだが、これが居間であり、当然別にキッチンも寝室も風呂もあるのだ。

 廊下から枝分かれする各部屋をひとつひとつ覗いてみれば、クローゼット用の部屋さえある。

 私ならここで暮らせそうである。


(こんなに、この部屋って狭いんだ……)


 整理の最中、海斗くんは感嘆して心で呟く。

 モノが置かれて、狭く感じたようだ。

 掃除したら、普通逆の感想になるんだよと思いながら、私はまだ開けていないダンボールに貼られたガムテープをひっぺがす。


 最初こそ、私もいちいちこのダンボールを開けていいかと聞いていたが、彼がなぜきくのかと言わんとするかのように小首を傾げて頷くので、私も遠慮がなくなった。

 見られて恥ずかしいものとか、ないのだろうか。

 思春期なんだし。

 いや、余計なお世話か。


 そもそも、彼からは思春期然としたやかましさを今まで一度も感じなかった。

 この年代の子は、心がとにかく騒がしい。

 小さなことで喜怒哀楽しては、ギャーギャーと叫んでいるのが平常運転である。

 満員電車のなかで彼ら彼女らのあけっぴろげの声に悩まされることも多い。

 ただ、彼からはそのような声を一度もきかなかった。

 いい意味では、大人びている。

 悪い意味では、年齢にしては少し不自然なくらいだ。

 もしかしたら、基本的な感情が薄いのかもしれない。


 ちなみに、当然だが食事中を除いた場合の話である。

 ご飯どきの彼は、年相応というよりは狂人にちょっと近い。


「さて、一旦こんなもんかしら」


 私は掃除機をかけ終わって額の汗を拭う。

 部屋はようやくそれなりの見た目に整った。

  ゴミはすべて出したし、ダンボールはまだいくつか残っているものの、必要なものはすべて出して配置した。

 ようやくカーテンのついた開放的な窓からは、西陽が差し始めている。

 なかなかの重労働だった。


 ぐぅ。

 と、お腹が鳴る。

 今回は、私のお腹の音であった。

 海斗くんが物珍しそうに私を見ている。

 恥ずかしいのでやめてほしい。

 私はごまかすように手を叩いて、言った。


「さぁ、そろそろご飯にしましょうか! とっておきを作っちゃうよ!」

「と、とっておき……とは……」


 期待の視線。

 突き出た喉仏をゴクリと動かす彼に、私はニヤニヤしながら宣言した。


「すき焼きです」

(ヤフーッ!!)


 あぁ、海斗くんがようやく年齢相応になった……



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