第9話 包んで餃子(2)
「ただいまーっと」
「……お邪魔します」
駅前スーパーをさらに反対に歩いてようやく辿り着いた我が家。
海斗くんは買い物袋を玄関に一度下ろす。
ちょっと買うだけのはずだったのに、あれが安いわとかこれ切らしてるんだったわ、なんて買い足していたら、いつの間にか袋いっぱいになっているのが、スーパーの常識である。
もちろん、餃子以外のお金は私持ちだけど、荷物は彼が持ったまま、ガンとして渡してくれなかった。
二人で手を洗って、早速餃子作りに取り掛かる。
まずはタネ作り。
下味をつけたひき肉に、ザザッと切っておいたネギ、ニラ、生姜を混ぜてこねていく。
水を少しずつ入れながら、さらに混ぜる。
塩の量と、あまりこねすぎないのが重要である。
大概混ざったら、ごま油と、海斗くんイチオシ大葉!
薬味はね、あるとないとじゃ大違いですから、えぇ。
こうして出来上がった餡を、ボウルのなかで二つに分けてから、海斗くんの隣の席に移動する。
入れ物を二つにしてもよいのだが、そうすると洗い物が増えるし、まぁスプーン二つで同じボウルから掬えばいい。
そう思っただけなのだが……
(あぅ……隣……)
座った途端、なぜか海斗くんの心に狼狽えた声を上げられてしまった。
あれ、私、なにかしてしまったかしら。
考えてみるも心当たりがない。
馴れ馴れしすぎたかな……
色々考えを巡らすが、彼からもそれ以上の声は聞こえなかったので、仕方なく忘れることにした。
さて、いよいよ今日のメインイベント到来である。
スプーンで掬った餡を餃子の皮に乗せてから、外周に沿って水をぐるっとつけて、閉じていく。
「お姉ちゃん……綺麗だね……」
今⁉︎
口説かれた⁉︎
餃子作り中に⁉︎
思わず顔を上げると、彼の視線が私の手の上にあることに気づいた。
「お姉ちゃんみたいに……ヒダが作れない……」
海斗くんは、餃子作りは初めてのようだった。
彼の手には、閉じ口がクチャっと縮まった、まんまる餃子ができていた。
それはそれで、全然問題ないのだが。
確かに、餃子って無性に綺麗に作りたくなるよね。
なので、ちょっと近づいてやってみせる。
「えっとね。人差し指と親指でこう、入れるとうまくいくよ。あと、餡は入れすぎないようにね」
「は……はい……」
(あぅ……)
また心の声がした。
本当になんだろう。
海斗くんの感情はすぐに内側に潜り込んでしまうので、察することが難しい。
しかし、それが本来の普通なので、私は甘んじてそれを享受することにする。
まだまだ不恰好なものの、慣れてきたら、彼は黙々と包むようになった。
餃子作りにおける神聖な時間が流れていく。
私はこの隙に、美波から言われたもう一つの疑問をきいてみることにした。
「海斗くんはさ、どうして一人暮らししてるの?」
彼は餃子から目を上げる。
黒目がちの大きな瞳だった。
彼はボウル内でかさの減ってきたミンチ肉に目を落とし、しばらく口を開かない。
ところで、ミンチってエグい食材だと思う。
もしこの家に豚が住んでいたら、このスプラッター映画以上に倫理の欠片もない行為に卒倒することだろう。
かわいそうに。
R.I.P 豚。
そんな猟奇的食卓で、彼はまだまだ無口でいる。
そんなに難しいことをきいただろうか……
この口の重さは、言いづらいことがあるか、もしくは友人のひとりが実は豚で、目の前の惨劇にショックを受けているかのどちらかだ。
「あ、あれかな。そろそろ独り立ちしたかった、とか」
助け舟を出すも、彼は首を振るだけ。
やがて、
「……勉強に集中するため」
ようやく答えた。
「じ、実家じゃ集中できなかったんだ?」
タワマンをそのために買ったんだ?
私が金持ちへの恐怖に打ち震えながらきくと、
「……医者を目指してる」
彼は再びポツリと告げた。
「わぁ!」
思わぬいい話に、私は思わず感嘆してしまった。
「じゃあ、お父さんと一緒だ」
絢辻家の大黒柱、昇さんは医者だった。
大変な名医と評判で、確か数年前の年賀状には、なんとか学会の長になったと記載されていた記憶がある。
私がお世話になった当時から、本当に忙しい、立派な人だった。
ただのパパ活文面おじさんではないのだ。
「なら、お父さんの跡を継ぐんだね」
「いや……多分別の分野になると思う……」
海斗くんはそう言うと、暗い顔で付け足した。
「そもそも、医学部行けるかわからないし……」
なるほど。
私は理解する。
世には一家揃って大体医者というような家庭もよくきくが、家柄で医学部A判定が取れるほど世の中は甘くない。
きっと、海斗くんは苦労しているのだと思う。
十年前の様子を考えても、お父さんは子に医者を継がせようとは考えていなかったようだし。
確かに、そこいらの受験生たちの数倍は勉学に専心しないと、未来は開かれないだろう。
その解決法が、カフェや図書館に行くのではなく、タワマン一部屋になる規模感にはついていけないが。
「大丈夫。海斗くんなら絶対いけるよ」
友人の言葉を思い出して、じっと目を見て言葉を伝える。
「頑張ってね」
こんな痩せた手を肉と小麦粉まみれにしたアラサー女の言葉だが。
伝わってくれたら嬉しい。
彼は頬をわずかに朱に染めて、またひとつコクンと頷いた。
ボウルに餡はなくなって、用意したバットにはたくさんの餃子が並んだ。
彼のお腹もわずかに鳴り始めている。
私の仕事は餃子焼きに移行する。
油はたっぷり敷いて、火は強火。
餃子を手早く並べてから、熱湯をかけて蒸し焼きだ!
鍋から聞こえるジュワ〜ッという音を四分楽しんだあとに、ごま油をかけて焼き色をつければ完成。
肉汁まみれの焼き餃子である。
ダイニングですべての準備を整えて待っていた海斗くんの前にそれを置くと、彼は目を大きく見開いて、景気付けとばかりに腹をぐぅと鳴らした。
「い、いいですか……食べて……」
「どうぞ。ヤケドしないように気をつけてね」
「はい……いただきます……」
彼は箸を震わせながら餃子をつまみ、口に入れる。
(んぅぅぅぅぅぅぅん……!)
いつもの嬌声が、私の脳内に響き渡った。
(皮のモチッと感と底面のカリッと感。そしてこの溢れ出る肉汁……! 今、俺の口の中では肉汁祭りが開催中だ!)
次々に食べ進める。
箸の動きが止まらない。
(白飯が止まらない……どんどん暑くなっていく……うおォン! 俺はまるで人間火力発電所だ!)
あ、やっぱりちゃんとそこも履修済みなのね。
私はなんとなく解釈一致で安堵する。
ふと目が合って、なんとなく微笑み返す。
今日は、久しぶりに幸せな1日だった。
仕事帰りに落ち合って、一緒に買い物に行って、一緒に餃子を作って、一緒に食べて、目が合って……
……あれ。
待って。
なんだかこれって……
(なんだか俺とお姉ちゃん、新婚みたい……)
ぼん。
ぼん。
食卓に、赤い顔が二つ出現した。
私の沸騰した頭に、友人の言葉が思い浮かぶ。
――いやだわー、奥さんエロですことー!
いや、エロではない。
決してエロではないのだ。
ただ餃子を作っただけであり、あと、未成年者略取でもない。
「さ、さぁ! まだ食べるよね! もう少し焼いてくるね!」
私は椅子から立ち上がった。
こんなところにはいられない。
「で……でも、お姉ちゃんのが冷めちゃう……」
「いいのいいの! いっぺんには焼けないから仕方ない! よし、焼こう焼こう! よし!」
言うが早いか、急いで彼の前から離れる。
そして、服をパタパタとはためかせた。
はぁ……
外は真冬なのに、今日はなんだか、あっつい日だ。
――――――――――――――――――
次回、すき焼きです。
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