第8話 包んで餃子(1)


 ――今日は餃子を包みましょう!


 今朝方、私が送ったチャットである。

 彼は、喜びに満ちたスタンプからの、やる気に燃えるスタンプで返事をしてきた。

 提案は受諾されたらしい。

 喜びに満ちたのは私も同じである。

 残業の可能性を消し去るため猛然と仕事をしていると、また海斗くんから返信があった。


 ――今日、何時ごろ帰りますか?


 このペースでいけば、定時には上がれるはずだ。

 否、絶対に上がる。

 その旨を返そうとしたところ、海斗くんから新しい文面が飛んでくる。


 ――俺、今日予備校とかないんですけど、買い物一緒に行きますか?


 うぉう。

 目を見開いてしまう私の前で、慌てたように画面が更新された。


 ――お金出します。いつも申し訳ないから

 ――あと荷物も持ちます


 気にしなくていいのにと思いながら、お金は気にしないで、荷物は助かるわ、と返事する。

 本当は買わないといけないものはそれほどないけれど、彼の好意を無駄にしたくはない。

 あと、せっかくの買い物イベントをスキップしたくはない。

 

 私は、眼前に積み上がった仕事の山に舞い戻った。

 今日は、餃子を海斗くんと包むという最重要ミッションがあるのだ……!

 新規の仕事を持ってこようとする課長を威嚇し、私はなんとか定時に業務を終えた。



   ◇ 



「こっち側に行くんですね」


 制服姿の海斗くんが、ボソッと呟く。

 駅前で落ち合った後のことだ。


 向かっているのは、駅を挟んで私の家からは真反対の方向にあるスーパーだった。

 遠ざかってるけどなに考えてはりますのんと、彼はきいているわけである。


「行きつけがこっちでね。自宅のほうにもあるっちゃあるんだけど……こっちのほうが質が高いから……」


 嘘である。

 いや、質が違うのも確かだけれど、行かない理由はそこにはない。

 私の近くのスーパーは、従業員たちの声の治安が悪いのだ。

 職場環境が最悪なのか、内心でイライラしたり悪口を言ったり、レジと舌を同時に打ったりしている。

 そんな悪意が辛くて、引っ越してしばらくしすると、私は最寄りの行かなくなった。

 そんなところでも、私の生活は特性によって制限されている。


 よって、私が毎日使うのは、富裕層向け高級スーパーであった。

 経済的階層まで真反対の場所にわざわざ足を運ぶ私は、端から見たらセレブ気取りの愚か者に違いない。

 質がいいのは助かるが、財布は痩せ細るばかりである。

 セレブスーパーと貧乏人という題名の童話ができそうだ。

 最後に主人公はセレブスーパーの惣菜が買えずに飢えて死ぬのである。


「料理上手な人は……スーパーにもこだわりがあるんですね……」


 海斗くんはこころが綺麗である。

 彼は真顔をわずかに感心したように動かして、私は少しだけ心を痛めた。

 守りたい、この仏頂面。


 駅前五分の高級スーパーは、滑らかにドアをスライドさせて私たちを迎え入れた。


 買い物かごを手にしようとすると、海斗くんが手を出してくる。

 俺が持つということだ。

 なんていい子なのかしら。

 

「餃子って……材料はなんですか?」


 クリーム色を基調とした品の良い店内で、彼は小さくきいてくる。


「んー? 餃子の皮、ひき肉、ネギ、ニラ、かな。主には。あ、あと大葉も欲しいかも」

「大葉……いいですね……」


 やっぱりこの子、チョイスが渋い。

 将来はいい酒飲みになりそうな気配がする。


 彼と雑談しながら、必要なものをカゴに入れていく。

 値段がどうとか、鮮度を見分ける方法がどうとか、スーパーでの彼は意外とよく話をしてくれた。

 やっぱり、食に関することには興味があるらしい。


「お姉ちゃん、このネギはどう……? 緑が綺麗なのが、いいんですよね……?」

「あ、はい……いいと思います……」

「……? どうかしましたか?」


 彼には言えない。

 人様の視線が気になるなどとは。

 いやもちろん、外から見たらただの姉弟が買い物してるようにしか見えないとは思うのだけど。

 とはいえ、敬語混じりなのにお姉ちゃんと呼んでくる高校生の男の子と、彼にカゴを持たせて餃子の材料を突っ込んでいるOL。

 これは……さすがに不埒じゃないかしら。

 さすがに家に連れ込んでる構図じゃないかしら。


 キョトンとする無垢な彼の横で、私は先日の美波の警告を思い出す。

 そうだ、聞かねばならないことがある。

 でなければ、未成年をかどわかした罪で最悪ムショである。


「海斗くんさ、つかぬことを聞くんだけど」

「はい」

「ご両親は、私の家でご飯食べてるの知ってるの?」

「あ、そうだった……ちょうど昨日伝言を……お父さんが……」


 そう言って、彼はカゴを持ったのとは反対の手でスマホを取り出して見せてくる。

 その画面に映っていたのは、『絢辻昇』と書かれたアカウントとのチャット画面だった。


 ――青葉チャン😄お久しぶりです❗✋️元気にしてるカナ❓️わがまま息子がご飯をご馳走になっているとのことで、ご迷惑をおかけしています(・_・;お金は出させますので、何卒よろしくお願いします🙇僕もいつか青葉ちゃんのご飯食べたいな(笑)ナンチャッテ💕


 ってお伝えください、とその文面は〆られていた。

 死ぬほどおじさん構文である。息子にこの伝言を頼めるのは、ジェネレーションギャップと言わざるを得ない。

 でも、許可が出たことはよくわかった。


「……だから大丈夫」


 海斗くんは頷いた。

 実父のおじさん構文も慣れたものなのだろう。


「お金も払う」


 もう一度頷く。

 確固とした意志を感じる。


 まぁ確かに、私の懐具合だと、食べ盛りの男子高校生を支えるには心許ない。

 さらに、そもそも海斗くんの場合は、たとえ量が足りなくても、気を使って遠慮するのが目に見えていた。

 そう考えると、ここは甘えてしまったほうがいいのかもしれない。


「じゃあ、少しだけ助けてもらうね」


 私が告げると、彼は三度頷いた。

 なんだか胸を張るようで、少しかわいかった。



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