第7話 話してカシューナッツ


「やだー! エロじゃないのー!」


 自宅のPCが叫んでいる。

 俗な単語を日本語として間違っている使い方で叫んでいる。


「えー、ほんとの話ー? いやだわー、奥さんエロですことー!」


 友人。

 唯一と言っていい親友だ。

 金原美波という名の、高校時代に知り合った親友は、今、下世話極まる大興奮をモニターの先でかましていた。


「アテクシ、奥さんからエロ話を聞く日が来るとは思わなかったわー。しかも相手は高校生! 昔知り合った男の子! エロー‼︎」

「やめてくれない? そんなエロエロエロエロ……盛った中学生みたいに」

「そりゃ盛るわよー、だってあの奥手美少女青葉ちゃんの初めての恋バナなんだから。果たして、ウブな男子高校生の貞操は守られるのか!」

「ウキウキね……やっぱり話すんじゃなかったか……」


 私は定例会で海斗くんのことを話したことを後悔する。

 定例会とは、美波と二人でやっている月一のオンライン飲み会である。

 向こうの子供が寝静まったころにやるから、いつも夜十時開催とかになる。

 つまり、幼子の母親がエロエロ言うている状況ということだ。


「興奮してるとこ悪いけど、なにも起こらないから。あの子は弟みたいなものだから」

「キャー、それフラグじゃないのー! 念入りに進展の匂いまでさせちゃってもー! あやべ、えっちすぎて鼻出ちゃったわ」

「汚いからかんでください」


 すまぬ、と武士のように言って彼女の顔が画面から外れる。

 酎ハイのロング缶だけが映った映像が流れるのを見ながらため息をついた。

 そんな盛り上げ方をしないでほしいんだけど。


「あ、そういやさ。今度行こうって言ってた展示会だけど」


 戻ってきた彼女が唐突に告げる。

 急に素面に戻るなと言いたいところだけど、そもそも彼女はザルであり、酔ったふりして大概素面である。

 先ほどは素面でエロエロ叫んでいたのである。

 私もそれに慣れているので、いちいち突っ込まない。

 彼女が言った展示会とは、私たちが趣味で追っている大規模デザイン展のことであった。

 数ヶ月前に予定を入れていたのだが……私は申し訳なさを顔に表して答えた。


「ごめん、最近また声に敏感になってきてて……人混みが厳しいかも……」

「あー全然いいよ。ならウチひとりで行っちゃおっかな〜、子供の面倒はお義母さんに頼んじゃったし」


 優しい親友。

 彼女は、私の特質を話している唯一の人間だった。

 私がなんの前触れもなく人の声が聞こえるようになった高校二年の時にも、彼女は恐れず、離れず、そばにい続けてくれた。

 頑張れとも言わないし、必要なときには話をじっときいてくれる。

 道化のフリができるくらい、賢くて繊細な子。


 でも、それでも、対面になると彼女の心を勝手に読んでしまうのは抑えられなかった。

 もちろん、私の苦手なことは考えない子なのだけれど、それでも負担になるのはお互いにわかっていた。

 だから、定例会がネット越しなのだ。

 電話や画面越しなら、声は聞こえてこないから。

 この会がオンラインなのは、決して美波の母親業が大変だからなばかりではない。


「つか、話戻すけどさ。親御さんはちゃんと知ってるの? その子があんたんちでご飯食べてること」


 うっ。

 と思う。

 確かにそれはきいていない。

 旧知の絢辻家だから平気だと思ってしまっていた。

 鋭い指摘である。


「未成年者誘拐? 略取? とかの罪で起訴されるよ。本人同士の同意があってもダメなんだからアレ」


 でも、イケナイ恋のほうが燃えるけどね。

 物騒なことを付け足す彼女。

 燃えて塀の中は嫌だ。


「ちゃんとききます……」


 頭を下げる私に、美波は訝しげな目を向けた。

 まだあるだろうという目だ。


「んで? わざわざそんな話をしたってことは、アタシにききたいことがあるんじゃなくて?」


 私は、つい心のなかで感嘆してしまった。

 彼女のほうがずっと心が読めるみたいだ。

 そう。彼女にこのことを話したのは、相談したかったからだ。

 第三者から、それも信頼のおける人から、アドバイスが欲しかった。

 私はおずおずと口にした。


「一人暮らししてるみたいでさ、彼」

「あら、そうなの」

「親元離れて寂しそうで、泣いてて。どうしたらいいかなって」


 モニターの先の美波は二本目の缶をあけながら聞く。

 また九パーセントだ。


「どうして一人暮らししてるの? 高校生なのに」

「それは、まだ聞けてない」

「ふむ……まずはそこからね」


 もっともな意見だった。

 だてに素面ではない。


「ま、私もまだ高校生なんて育てたことないからわかんないけどさぁ」


 九パーセント×二だというのに。

 彼女はいい話をしそうだった。


「でも、そうねぇ……目を見て話すことは気をつけてるよ、子供と接するときは」

「目を……」

「子供は親を独占したい生き物みたいだからさ。ちゃんと聞いてるよって、寂しくないよっていうのを態度で示してあげるのと、安心して話してくれんのよね」

「……そっか」

「思春期に効くかは知らんけどね。ンガハハ」


 カシューナッツ片手に豪快に笑う。

 豪放磊落にして繊細。

 それが美波の持ち味だった。


「はぁ、おもしろい。また進展あったら教えてね♡」

「ないから。もしあったら次の会は刑務所の面会室でやることになるよ」

「やだわぁ、親友が児童ポルノで逮捕なんて」

「ねぇ……旦那さんにきこえてない? 大丈夫?」

「奴はまだ仕事中だわ。グワハハ」


 そのあとは他愛もない近況を話して、定例会は終わった。

 後片付けをしながら、まっすぐに相談できる相手がいることに、私は毎回感謝する。

 目を見て話す。

 次の目標が決まった。



――――――――――――――――――


次回、餃子です。

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