第6話 泣いて肉じゃが(2)
ピンポーン。
玄関先のインターホンが鳴る。
液晶を見ると、制服姿の海斗くんが待っていた。
私はワタワタと扉を開けるべく駆けていく。
最近新調された液晶付きのインターフォン。
そんな余計なアップデートをするなら簡易的なオートロックでもつけてくれと思っていたけれど、じっと待つ海斗くんを見れるようになった今となっては、運営会社に感謝せざるを得ない。
(いい匂い……)
それが、部屋に入ってきた彼の脳内第一声であった。
降り積もる仕事をこなし切った上で、上司がトイレに行ったうちに帰ったことが功を奏して、私は彼の来る頃には調理をすべて終わらせることができていた。
せっかく希望をしてくれたんだから。
お腹を空かせたまま、待たせたくはない。
「手を洗って、座ってて」
私は、皿の用意をしながら彼に言う。
彼はもう勝手知ったるというように、洗面所までてこてこと歩いて消える。
息子がいたらこんな感じだろうかという、どこかあどけなさのある後ろ姿だった。
私は、満を持して肉じゃがの蓋を開ける。
一瞬で、私の視界が幸せな湯気で白く染まる。
黄色いじゃがいものなかに、赤いにんじんが眩しく光っている。
おたまで掬って大皿によそうと、優しい温かな匂いが鼻腔をくすぐった。
自信作。
そんな気持ちを持ちつつも、不安もあった。
家庭料理というものは、育った家の味に好みが左右されるところがある。
果たして、彼のお口に合うだろうか……
優しい彼はマズいなんていうことはないだろうけれど。
例によって私にお世辞は通用しないから……
いつも不安なのは、反応よりも、心の声だった。
「わっ……」
手を洗って出てきた彼は、テーブルに並んだ料理を見て目を開く。
艶やかなお米と、肉じゃが。緑を付け足すためのほうれん草の胡麻和えに、豆腐と長ネギのお味噌汁。
本格的な和定食だった。
「肉じゃがをメインにしたら、高校生にはお肉が足りない感じになっちゃったけど。あ、もし必要なら作るよ」
「いえ、充分です。むしろ嬉しいです……いつも学食でしか食べてないんで、野菜……」
そう言う彼は、もう目が食卓から離れていない。
じっと見ながら座ってしまう。
臨戦体制の感じがおかしくて、私は笑いながら勧めた。
「どうぞ。温かいうちに食べて」
「……いただきます」
律儀に手を合わせて、山になったじゃがいもをひとつ割って口に入れる。
その様子を固唾を飲んで見守る私の前で、彼は心で重々しく言った。
(優勝)
二文字。
まさかの一単語。
前例からして、予想していなかった短文に、私は一瞬狼狽える。
しかし、その言葉が纏う感情には、喜びが溢れていることにも気付いた。
(しっかり煮込まれたじゃがいもは、口のなかでホクホクと崩れていく。味もよく染みて、文句のつけようもない)
彼は味を吟味するように、じゃがいも以外の具材にもひとつひとつ箸をつけていく。
(肉もじゃがも当然いいけれど、しらたき、玉ねぎ、人参がたまらない。味付けは少し濃いめで、しかし味の奥には優しさも忘れない。懐の深い、まさに大山のような肉じゃがだ)
今日の食レポはそういう大御所的な趣向らしい。
なんというか、海原さんに認められたみたいな気持ちになって頭を下げたくなる。
癖の強いコメントを脳内で繰り広げる無口な少年。
(おぉ、母を思い出す懐かしい味……幸せである……)
感情の揺れ動きが少ないのか、普段の心はほとんど読めないのに、ご飯のときだけは駄々漏れするその落差に、私は図らずも幸せを覚えていた。
きっと好きなんだろうなぁ、食べるのが。
「どうですか。お口に合いましたか?」
声をかけると、久しぶりにシェフの存在に気づいたみたいに彼はハッと目を上げた。
「あ……はい……お口に合います……」
「渋いよね、最初の希望が肉じゃがって。コンビニにもパックのやつ売ってるよね?」
今朝から頭にあった疑問を尋ねてみる。
現役高校生だから、てっきり唐揚げとかトンカツとかそういうのが来るものだとばかり思っていた。
そう振り返っていると、彼はお味噌汁を啜った後、私の心を読んだみたいに答えた。
「おいしい肉じゃがは……意外と手に入れるのが難しい……から」
「あ、そうなんだ?」
「唐揚げとかチャーハンは冷凍でもあるけど、肉じゃがの冷凍はないし。定食屋でも肉じゃがなんかはあんまりない。コンビニのパウチも全然、甘すぎたり、味が薄かったりで、よくなくて」
珍しく連続して話す彼に、私は少し目を丸くする。
失礼ながら、二文以上続けて話すのを初めて聞いたかもしれない。
「多分、一人暮らしの人が一番求めてるのは、おいしい肉じゃが……」
そこまで言って、話しすぎたとばかりに俯いてしまう。
無口で恥ずかしがり屋である。
思春期だからだろうか。
確かに、出会った当時のまま今もヘラクレスオオなんとかがどうとか、なんとかオオクワガタがどうとかを勢い任せに喋っていたら、それはそれで心配になるけれど。
でも、自分のこともこのくらい話してくれるといいんだけどな。
「なら、一番求めてるものを提供できてよかったよ」
「うん……俺もお姉ちゃんの肉じゃがが食べれてよかった……幸せ……」
ボソッと呟いてから、炊き立てのお米を口に入れる。
静かな食卓が戻ってくる。
(お父さんにも食べさせてやりたい……いやもったいないか……)
彼の心の声は、家族に向かっていた。
(肉じゃが……おいしくて、あったかくて、やさしい……懐かしい……)
ぐすっ。
突然の音に、私は思わず目を瞠ってしまった。
泣いている。
海斗くんが泣いていた。
あれだけ忙しく動いていた箸を止めて、海斗くんは項垂れて涙をこぼしていた。
(懐かしい……)
ど、どうしましょう。
私は、想定外の事態にあたふたしてから、彼の隣に座って背中をさすった。
すいません、と小さく謝るのは聞こえたが、涙が止まる気配はない。
しくしくという言葉が似合うほど、彼は泣き方も静かだった。
そう。いくら大きくなったと言っても、海斗くんはまだ子供。
寂しいよね。
どうしてこの子が一人暮らしを始めたのか。
それはまだわからないけれど。
きっと強い決断があったんだと、私は察した。
それこそ、人の家で家庭料理を食べて泣いてしまうくらいに。
泣き止むまで、背中をさする。
肉じゃがの優しい匂いに包まれながら。
そんな不思議な夜だった。
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次回、飲酒です。
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