第15話 勝者

 観衆たちの間を縫って、一人の女子生徒が飛び出して来る。長い黒髪が揺れる。

「直くん!」

 三年生の桐谷美咲。恵介と琴音の幼馴染であり、直樹の彼女である。直樹の両手を取って、見上げるように顔をのぞき込む。

「直くん!大丈夫?怪我してない?大丈夫?」

「ああ、大丈夫。痛むところもないよ。」

「本当に?本当に?」

「本当だよ、大丈夫。」

「よかったあ。」

 美咲は心底ほっとしたように大きく息を吐き出した。それから、振り返って恵介の方を見る。

「恵ちゃんも大丈夫だった?」

「美咲先輩、俺は大丈夫です。」

「本当に二人とも怪我がなくてよかった。もう、今回の件が決まってから、直くんと恵ちゃんが怪我したらどうしようって。琴ちゃんは大丈夫って言ってくれたけど、怖くって。前に琴ちゃんの家の道場で恵ちゃんが練習してるところを見たことがあったから、危ない技だって思ったし、でも、恵ちゃんも一生懸命だし、直くんに話しちゃいけないって思うともう、わけが分からなくて。」

 美咲は悩んでいた気持ちを思い出したのか、目を真っ赤にして涙を堪えている。直樹が身をかがめ、目線の高さを美咲に合わせて言う。

「ごめん、美咲。つらい思いをさせてしまって。俺は断るべきだった。」

「ううん、直くんは悪くないよ。」

「いや、美咲につらい思いをさせた。本当にすまなかった。」

「ううん、直くんが無事ならそれでいいの。もう大丈夫。」

 二人の会話に琴音が割って入る。

「ね、美咲、二人の世界に入ってるとこ悪いけど、みんな見てるよ?」

「ひゃあう!?」

 美咲が我に返って、直樹の手を放す。顔は耳まで真っ赤になっている。

 直樹は困ったような笑顔を見せたが、すぐに表情を改めて恵介に言う。

「北山、俺の負けだ。試合前の約束を果たさなくてはならないな。」

「いや、もう大丈夫、みたいです。」

「うん?お前は勝ったんだから、遠慮する必要はない。ここで言いづらいのなら後ででもいいが。」

「いえ、もう大丈夫です。大丈夫だって分かりましたから。」

「そうか………。お前がいいっていうのなら、俺はそれでいいが。」

 琴音が直樹の肩をぽんぽんと叩きながら言う。

「やあ、渡辺君、恵介の恩情に感謝したまえよ。分かってるかね?なんたって、この勝負は剣術部の勝利だったのだからね?はっはっはっ!」

 直樹が苦笑いしながら応える。

「分かってるよ、大崎。北山は凄いヤツだ。この勝負はお前たち剣術部の勝利だ。」

 その時、

「待てええええ!何が剣術部の勝利だ!?こんなの、こんなのが認められるかああああっ!!」

剣道場に大声が響き渡る。声の主はこの高校の校長、羽根田広明である。

「こんなもの剣術ではないじゃないか!なんだ、あの蟹挟みは!ふざけるな!」

 売り言葉に買い言葉。琴音が言い返す。

「カニじゃねえって何回言えば分かるんだよ。だいたい、何にもルールに反してねえだろうが!」

「投げ技なんか卑怯だろうが!何が剣術部だ!あんなののどこが剣術だ!」

「ルールのどこにも投げ技はダメってのはありませーん。あと、今日から我々は剣術部じゃなくて背月一刀流部に改名しまーす。はい、解決。一件落着ゥ。お疲れ様ァ!」

「なんだとお!」

 激昂する羽根田を見て、審判を務めた佐々木が割って入る。

「羽根田君、若者たちが話し合って決めたルールで戦い、お互いを認め合っています。我々のような大人が口を挟むべきではないと思いませんか?」

「いいや、佐々木さん、私は納得いきません。こんな何でもありがまかり通るというのなら、こっちの我儘わがままだって一回くらい通してもらって然るべきだ!」

 羽根田は恵介の方に向き直って続ける。

「渡辺のヤツは手加減したんだろ!私が出る!再戦しろ!おい、渡辺、その竹刀を貸せ!」

 羽根田はそう言いながら、直樹から竹刀をひったくる。彼の言い分は大人気ないを通り越して、本人も言う通り我儘そのものだ。平十郎が口を挟む。

「羽根田さん、彼らのすっきりとした顔をご覧なさい。恵介と渡辺君がこの戦いを通してお互いを認め合った。一武道家として、私は素晴らしいことだと思う。あなたも教育者としてそう思いませんか?」

 羽根田は、教師ではない平十郎から「教育者として」などと言われ、ますます腹が立ってきた。

「若者、若者と、生徒たちを引き合いに出せば引き下がると思っているのか!じゃあ、あんたが私と戦え!」

「何を馬鹿なことを。いい大人が何を、」

「逃げるのか!あんな玄武だかミドリガメだか知らないが、何でもありが通るならこっちだってやってやる!」

 羽根田はいきなり突進し、直樹から奪い取った竹刀で平十郎に面を放った。平十郎は竹刀を躱しつつ踏み込んで羽根田の袖を掴んで引く。羽根田はバランスを崩してたたらを踏んだ。平十郎は宥めるように言う。

「止めなさい。あなたは教育者として若者たちの模範にならなくてはいけないはずだ。」

「黙れ!何が剣術だ。蟹挟みだの、こんな人の袖を掴む技だのと。」

「剣を持っていない相手に打ち込んでおいて言う台詞ですか。」

 平十郎の声の調子が少し高くなる。恵介は、平十郎がイラついてきていることを感じ取った。こういう時の平十郎は大人気ないことを平気でやらかしてしまいかねない。今回の他流試合もこんな流れで成立したのだった。

「まあまあまあ、師範、これくらいにしときましょうよ。ね、校長先生も落ち着いて。」

「北山!そこの老いぼれを庇おうとしたって、そうはいかんぞ!お前らの田舎剣術なんか、秘剣がネタバレしたら何も残らないんだからな!」

 羽根田が再び突進してくる。

 その時、平十郎は、傍らに落ちていた恵介の竹刀の柄をつま先で蹴り上げた。柄が平十郎の手元の高さまで跳ね上がった瞬間、

 ふぉん!バシッ!!

管楽器のような高い音に続いて竹刀と竹刀がぶつかり合う音が剣道場に響いた。平十郎が袈裟懸けで羽根田の竹刀を叩き落とした音だと周囲が認識した時には、既に羽根田の首筋に竹刀が突きつけられていた。

「田舎剣術の味はどうだ?それとも実際に打たれてみないとわからんか?」

 平十郎は鋭い眼光を羽根田に向けて凄んだ。

「ひいっ、」

 羽根田は、短い悲鳴を上げて尻もちをついた。

「うおおおお!何だあれ!」

「いつの間に竹刀を持ったんだ?」

「いいぞ!校長ザマア!」

 観衆から降り注ぐ割れんばかりの拍手と歓声。

 こうして、他流試合は終わったのだった。

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