第14話 玄武

 直樹は中段に構え、剣先を小刻みに揺らしながら恵介の様子を観察する。

 右肩から背負うように、竹刀が背中に隠れる程に大きく振りかぶった異様な構えである。剣を月に見立てて背中に月、背月一刀流という名前の通り。面も胴も防御しない捨て身の構え。引き絞った弓のように体幹の筋肉で力を溜めて放つ袈裟懸けは侮れない威力があるだろう。だが、この異様な構えの本質は剣の長さを悟らせないことにある。

 あからさまな袈裟懸けを意識させて左右ではなく前後への回避を誘う一方で、一撃必殺の捨て身の豪剣をチラつかせ受太刀を躊躇させる。そうして初太刀を外そうとした相手に届かないはずの剣が伸びるかのように届く―――。

 和之と大吾が真剣に考えて出してくれた答え。

 よく考えたものだと思う。自分一人ではこのトリックを見破ることはできなかったし、実際に大吾が実演した時には回避することが出来なかった。

 試合が始まってもなお、恵介は剣の全体を見せることはない。器用なものだ。事前の打ち合わせに基づいて、和之がハンドサインで教えてくれなければ、打ち込まれるその時まで恵介の剣の長さを知ることはできなかっただろう。

 恵介は大きく距離を取って構え、ゆっくりと少しずつ距離を詰めてくる。秘剣のトリックは剣が届かないと確信させてこそ威力を発揮する。この動きは相手に相互の距離を正確に把握させる意図なのか。なるほど、本物には色々な工夫があるものだ。

 恵介の竹刀は和之の目測で四尺三寸。通常の竹刀より15センチほど長い。偶然だが、和之が用意した仮想玄武の太刀用の竹刀と同じ長さだ。今では、自分も和之もこの竹刀の長さに慣れている。和之の目測は正しいだろう。そして、自分も正確に間合いを認識できる。事前の想定練習のとおり、恵介の剣を回避した上でこちらの剣を打ち込める。恵介が防具を着けないことにやりづらさを感じていたが、ここに至っては、面ではなく、右肩の筋肉が厚い部分を狙って打つ余裕すらあるだろう。幸運の女神が味方をしてくれている。

 恵介は更に間合いを詰めてくる。直樹は、一足一刀の間合いの境をやや踏み越える形でフェイントをかけた。

 その刹那、

「キイイイィェェェィィィァァァアアア!!!」

 耳をつんざく絶叫と共に恵介の身体と剣が投石機のように跳ね上がる。

 コォォォッ!!空気を切り裂く音と共に恐るべき速度で剣閃が伸びて迫る。想定練習での大吾の袈裟懸けとは全く別物の速度と勢い。木刀ならば勿論、竹刀であっても受ける竹刀をへし折りかねないと思わせる程だ。

 直樹はフェイントをかけた時点で想定していた通りに素早く身体と剣を引いた。隠されていた四尺三寸の剣が届く範囲は繰り返した想定練習により把握できている。だが、届かないはずの恵介の剣は更に伸びて直樹に襲いかかる。

「ぐうっ!」

 咄嗟に恵介の剣を受ける。強い衝撃が伝わる。

 なぜ届くのか。受けた瞬間に分かった。恵介は剣を投げていた。  

 投げられた剣は受太刀と当たった箇所を支点としてイレギュラーに跳ねて空中で回転し、あらぬ角度から再度直樹を襲う。投げた剣が命中したとして有効な攻撃と判断されるのか。考える暇などない。必要もない。恵介は剣を手放した。これを捌けば終わりだ。

「ヤアァァ!」

 直樹は恵介の剣を柔らかく受け、そこから自分の剣の刃の部分でり上げるようにして払った。投げられた剣を受けたのは初めてだったが、どうやら上手くいったようだ。あとは肩なり腕なり、危険でない箇所を打てばよい。

 が、そこで直樹は気付いた。目の前から恵介が消えている。

「下です!先輩!」

 和之の声が聞こえると同時に膝裏に何かが触れたのを感じた。下を向いた直樹の視野の中で袴の足が跳ね上がってくる。反射的に後退して躱そうとするも、膝裏に触れている何かがそれを許さない。袴のの足は直樹の胴を強く打ち、そのまま直樹の身体を押し込む。

 天井が見える。直樹は後方へ音を立てて倒れた。ドンッ!背中を強く打って一瞬息が止まる。

 「かはっ!」

 何が起きたのか。混乱する直樹の目の前には、馬乗りになって直樹を見下ろす恵介がいた。短い木刀か首筋に添えられている。

「勝負あり!勝者、剣術部北山恵介!」

 審判の佐々木が宣言すると、剣道場は歓声に包まれた。

「うおおおおっ!なんだ今の!」

「すげえええっ!」

「北山ぁぁ!!」

「いいぞ!よくやった!!」

「10倍キタアアア!!」

 鳴り止まない拍手と歓声の中、恵介は立ち上がって、直樹に右手を差し伸べた。

「渡辺先輩、立てますか?」

 直樹はその手を掴んで起き上がった。

「あ、ああ、問題ない。ありがとう。」

 両者が開始位置に戻り、お互いに礼をする。

 試合を終えた直樹は面を取った。すっきりとした表情だ。観衆の最前列で見守っていた和之が直樹に駆け寄る。

「先輩、大丈夫ですか?」

「ああ、それより、最後はどうなったんだ?俺には何をされたのかよく分からなかった。」

「では、不肖石橋が説明します。まず、北山は袈裟懸けの動作で竹刀を投げつけました。」

 直樹が頷く。

「ああ、そこまでは見えた。剣が想定の範囲を超えて伸びてくるような感じだった。」

「剣を投げた北山はその勢いのまま両手を床につき、這うような姿勢となって両手両足で左手前方へ飛び出しました。そして、先輩の右側側面に足を向けて寝転ぶような態勢で、右足を先輩の膝裏に添えつつ、先輩を挟み込むように左足を大きく開いてから素早く閉じて踵で胴の上の方を蹴り込んだんです。まるでブレイクダンスみたいな動作だったんですけど、あれは、確か柔道の蟹挟かにばさみという技じゃないかと。」

 観衆から抜け出してきた琴音が口を挟む。

「おい、そこの剣道部員A、あれはカニじゃない。玄武のあぎとだ。」

 和之が続ける。

「蟹挟は、柔術の頃からの伝統的な技ですが、相手の足を固定しながら後方へ倒す技で受け身が取りづらく、さらには膝関節を痛めることもあるため、とても危険だと考えられています。今では柔道の多くの大会でも禁止されているはずです。」

「だから、聞けよ。カニじゃねえよ。玄武の顎だって言ってるだろ。」

 直樹は和之と琴音を見て頷いた。

「そういうことだったのか………。つまり、俺は、玄武の蛇の尾に幻惑されて、その牙に噛み砕かれた、ということになるのかな。」

「そういうことだ、似非イケメン野郎!思い知ったか!はっはっは!」

「琴音先輩、そういうのやめましょうよ。」

 琴音が胸を張って直樹を煽る。恵介が止める。

「すまんな、和之。お前たちが検討してくれた、長い竹刀、二刀、伸びる袈裟懸け、足への攻撃、どれも玄武を構成する要素を言い当てていた。なのに、俺は恵介の投げた剣を受けた時、脇差のことも足への攻撃の可能性もすっかり意識から抜けていた。」

「いや、先輩、投技や組技を検討しなかった俺達の失敗です。」

「そんなことはない。北山と背月一刀流に敗れたのは俺の実力が足りなかったからだ。お前たちは本当によくやってくれた。」

 直樹は和之に笑ってみせた。

 

 

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