第13話 開戦

 六月だというのに、雲一つない青空だ。

 山坂高校の文化祭は毎年六月中旬の土曜日と日曜日の2日間開催される。一日目は生徒、受験予定の中学三年生及びその家族に入場者を限り、二日目は入場者を制限せず一般に公開する、というのが慣例である。

 演劇部やブラスバンド部のステージは一般客の来場に期待して二日目の夕刻に行われる。生徒会は、剣道部と剣術部の他流試合を集客が見込めるイベントと位置づけて、これらのステージより少し早い時刻に開催することにした。

 藩校明道館開校から200年、特別な文化祭だと銘打った今年の文化祭。一日目に続いて二日目も晴天とあって多くの来場者で賑わっていた。いや、天気がよいから、というだけではない。剣道部と剣術部の他流試合の話は口コミで広まり、確かに多くの来場者を呼び寄せていた。


 正門を抜けると、校庭には様々な出店が並んでいる。焼きそばのソースの匂い、かき氷を削る音、来場者たちに文化祭が文字通り「祭」なのだとアピールしてくる。

 校舎の入口である昇降口では、新聞部の特別展示が来場者を出迎える。開校当時の藩校明道館から現在の山坂高校までの200年をホワイトボード3枚のサイズにまとめたものだ。郷土資料館から掘り起こしてきた瓦版の挿絵や古びた白黒写真も満載で、鳥獣戯画を連想させるようなコミカルなもの、何かの表彰を受けて誇らしげな坊主頭で学生服の男子生徒、戦時中の竹槍教練や空襲で校舎が焼けた後の青空教室など、悲喜こもごものラインナップである。一方で、カラー写真は笑顔が多い。いつしか写真の中の学生たちの姿は学生服とセーラー服からブレザーへと変わり、違和感のない現在の姿に繋がっている。

 そして、最後の写真は昨年度。剣道部が全国大会出場を決めた時のものだ。中央で渡辺直樹が爽やかに笑っている。

 普通、文化祭ではこういった展示を熱心に読む者などは稀だ。立ち止まる者も少ない。だが、今、この展示の前には人だかりが出来ている。その中心では新聞部の男女が「瓦版」と題した号外を配りながら声を張り上げている。

「さあ、お立ち会い、お立ち会い、令和の今から遡ること160年余、安政年間の御前試合、北辰一刀流対背月一刀流の決闘の再戦だ!かたや全国大会出場の強豪剣道部!かたや秘剣の使い手剣術部!山坂高校200年の歴史を締め括る大勝負だ!」

「どちらが勝っても文句無し!掛け値なしの真剣勝負!見逃したら次は160年後か!さあ、今から右手へ真っ直ぐ剣道場へ!経緯と選手のプロフィールはこちらだよ!」

 昇降口から右手へ、廊下を抜けて更に渡り廊下の先に剣道場はある。祭りの空気に浮かされた観衆は剣道場の外まで溢れ、窓から中の様子を窺う者もいるほど。他流試合が始まろうとしている。




「両者、前へ!」

 渡辺直樹は、開始直前ではあるが、改めてこの試合について考えていた。本当にやるつもりなのか、と。彫りの深い整った顔をわずかに歪めた。

 剣道場で向かい合っている北山恵介は竹刀を左手に提げている。だが、防具を一切着けておらず、あとは脇に小太刀くらいの短い木刀を差しているばかりである。

「本当にいいのか?」

 直樹は恵介に尋ねた。防具を着けずに竹刀を受ければ痛いどころの話ではない。そして、剣術部は廃部。直樹自身、どちらについて尋ねているのかよく分からないまま、つい、口に出していた。

「いいわけないですよ。あの校長ハゲ、クソみたいな条件突きつけやがって。でも、俺にも武士の一分ってものがあります。退くわけにはいかないので。」

 恵介は、ぼやくように返事した。長い前髪の隙間から細長い目を向けてくる。中性的な顔立ちに不似合いな武士という言葉に観衆は反応した。

「いいぞ、剣術部!武士の意地を見せてみろ!」

「防具無しとか、マジ武士だな!」

「あはは、武士ってなに?高校生でしょ?」

「負けても切腹すんなよ!ははは!」

 観衆が無責任に野次を飛ばす。当事者と違って、観ている者達は痛くもなければ怖くもない。物珍しい娯楽なのである。

 直樹は野次を聞いて眉を顰めた。防具無しは本人の勝手かもしれないが、怪我をさせてしまったら後味が悪い。突きは論外、面や胴も当たりどころが悪ければどうなるか。小手も袖に覆われておらず、筋肉が薄い部位で負傷し易いだろう。武道なのだから当然だが、剣道で有効な攻撃箇所だと見做されている部位はいずれも危険だ。やはり、肩か腕か。それなら大事にはならないだろう。

「せめて防具を着けたらどうだ?」

 恵介は、一瞬驚いたような顔をしてから応えた。

「あ、そっちですか。先輩、俺のことより、自分の心配をした方がいいですよ。俺、手加減できないですから。」

「恵介、よく言った!その似非イケメン野郎をぶっ殺せ!」

 剣術部部長の大崎琴音が叫ぶ。

「ぶっ殺……って、琴音先輩、さすがにそれはマズイですよ。」

「いいんだよ!剣は凶器、剣術は殺人術だ!きっちり仕留めてこい!」

「それ言っちゃダメなヤツですよ、師範来てるんですから。」

「うえっ、そうだった!」

 来賓席に座った三人のうち、中央の大崎平十郎が眼光鋭く琴音を睨みつける。

「あー、えー、恵介さん、そのお相手をぶっ殺してさしあげなさって……。」

 琴音は慣れない言葉遣いを試みるも失敗した。

 ガタン!

 来賓席の隣、パイプ椅子から校長の羽根田広明が音を立てて立ち上がる。

「いつまで漫才をする気なんだ!時間稼ぎか!おい、渡辺、そいつをしっかりねじ伏せろ。手加減するなよ!」

 一瞬遅れて剣道部員たちも声援を送る。

「渡辺先輩、ファイトォ!!」

「ファッイトォ!!」

「頑張れ!直樹!」

 審判の佐々木が改めて恵介に尋ねる。

「北山君、防具を着けなくていいのですか?今から着けても構わないですよ。」

「いいえ、これで行きます。背月一刀流に防具はありません。」

「………、そうですか。」

 直樹は、恵介と佐々木のやり取りを聞きながら考えていた。恵介は今更防具を着けることはないだろう。いや、できないのだ。座って防具を着けるとしたら、一度、竹刀を床に置かなくてはならない。そうすれば、竹刀の長さを見破られるリスクがある。

 この剣道場に入ってから、恵介は常に竹刀を腰に付けるようにして提げている。あたかも、侍が大小二刀を腰に差しているかのような風情だ。だが、肝心なのは侍のように振る舞うことではない。腰に付けた竹刀の先は常に恵介の袴の陰に隠れている。

「では、よろしいですね?これより、剣術部対剣道部の他流試合をはじめます。両者、正面に礼!」

 やはり剣先は袴に隠れたままだ。意識して見ていると本当に器用なものだと思う。予想をしていなければ決して気づくことはなかっただろう。未だに自分には剣先を見せていない。

 別の角度から見ている和之からのハンドサインで初めて分かったことだが、恵介の竹刀は目測で四尺三寸、通常の竹刀よりも15センチほど長い。

 剣術部の秘剣「玄武の太刀」。様々な検討の後に剣道部がたどり着いた予想は、間合いの目測を誤らせた上で全力で袈裟に斬り下げる一撃必殺の剣、というものだ。剣の長さを見誤ることで受ける側には剣先が伸びるかのような錯覚が生じる。剣の長さを把握させないことがこの秘剣の肝なのだろう。

「お互いに礼!」

 腰に引き付けた恵介の竹刀は、やはり剣先が袴に隠れたままだ。予想が確信に変わっていく。

 恵介はするすると間合いを取った上で、やや腰を落とし、柄を握った右手を頭上から右肩へ移動させる。そして左手を添えて担ぐように構えた。引き絞った弓のように反動を溜め、竹刀は恵介の背に隠れている。

 それを見て、直樹は中段に構えた。

「初め!」

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