第11話 前提
職員用の会議室。長机がコの字型に並べられており、その中央の席にはストライプのスーツの上からもはっきり分かる筋骨隆々とした男性が座っている。その右側には校長の羽根田広明を初めとして、顧問の教師、渡辺直樹、石橋和之、片倉大吾ら剣道部の面々、向き合うように左側には背月一刀流の師範である大崎平十郎、剣術部の大崎琴音、北山恵介が並んでいる。
スーツの男性が立ち上がり、穏やかな低い声で話を始める。
「こんにちは。はじめましての人の方が多いようなので自己紹介から始めさせてもらいましょう。私は今回の他流試合の審判を依頼された佐々木です。職業は武道家、と言いたいところですが、この地元で会社をいくつか経営させてもらっています。よろしく。」
佐々木は、ゆっくりと頭を下げた。日焼けした広く秀でた額の下からギョロリと大きな目が一同を見回す。
「さて、いきなりこんな唯のオジサンが審判として勝敗を判断すると言っても、若者たちは納得しないでしょうから、少し経緯を説明させて頂きます。」
どこが唯のオジサンなんだよ、どう見ても只者じゃないだろ、ってか怖えよ、と大吾は思ったが、もちろん黙っていた。他の若者たちも同様である。
「私は、大崎さんの友人で、ここにいる皆の先輩に当たります。羽根田君も剣道部の後輩です。」
琴音と恵介は顔を見合わせた。
「おい、恵介、
「いや、琴音先輩、そっちじゃないですよ。審判は中立の立場の人じゃないと。佐々木さんは剣道部のOBなんですか?」
「君、人の外見をからかうのは良くないことだと思いますよ。それから、そちらの君の質問に答えると、いかにも、私は剣道部のOBです。そして、剣術部のOBでもある。」
「え、どういうことです?」
佐々木の代わりに羽根田が答える。
「佐々木さんは、剣道部と剣術部を兼部されていたんだ。だから中立の立場というわけだ。しかも、他にも様々な武道に通じておられ、審判として勝敗を判断をされる技量をお持ちなので依頼させてもらった、というわけだ。」
「私個人としては、剣術部にも思い入れはあるし、剣道部の活躍が嬉しくもあり、他の解決方法もあるのではないかと思っています。ただ、一方で、現在の両部に所属しているあなた達が戦うことを決めた以上、それを邪魔すべきではない、むしろ思い切りぶつかることで得られる成長もあるだろうと思い、今回の件を引き受けました。」
決めたのは師範と
「それから、実は、安政の御前試合を命じたのは私のご先祖様なのです。我が佐々木家の事情もあって命じた試合のリターンマッチですから、なおのこと私が止めるわけにはいかないと思いました。」
和之は、江戸時代の因縁で動く人間がまたも現れたことに異世界に迷い込んだような錯覚に陥っていた。世が世なら御家老様ということだろうか。文化祭のポスターに「藩校明道館開校から200年」などと書かれているが、確かに藩校とこの高校はつながっていると考えてもよいのかもしれない。
佐々木は外見に似合わない丁寧な口調で続ける。
「ルールの方も私に決定権限がある、という認識なので、一先ずは私の方で素案を考えてきました。これを説明した上で、当事者である若者たちの意見を聞きたいと考えています。皆さん、お手元の資料をご覧下さい。」
机の上には、この会議の最初から人数分のA4用紙がそれぞれの席に置かれており、この会議の式次第とルールの素案が書かれていた。
佐々木の考えた案は以下のとおりだった、
一 先に相手に対して剣による有効な攻撃を加えた者を勝者とする。
一 有効な攻撃とは仮に真剣であった場合に相手を戦闘不能とする打突、又は、当該打突が命中することが確実な状態で命中の直前で剣を止める行為をいうものとする。
一 柄、鍔、手足等による打撃は有効な攻撃とは見なさないものとする。
一 相手の目や金的を故意に狙う行為は厳に慎むものとする。
「えっと、たったこれだけですか?」
和之は驚いて声を上げた。
「はい。他流試合はスポーツではありません。それに、お互いの技法が異なるので余り詳細なルールを定めてしまうと、技ではなくルールにより勝敗が決まることになってしまいます。安政の御前試合もほぼ同じルールだったようですが、若者同士の対戦だということを考慮して最後の一条を私が追加しました。」
和之は剣道部の面々を見回した。羽根田は佐々木の言い分に反論しづらそうにしている。顧問の教師は羽根田の顔色を窺っている。直樹は口を真一文字に引き締めて何か考えているようだ。大吾は何も考えていないかもしれない。自分が言うべきだ。和之は決心した。
「すみません、剣道部二年の石橋です。負傷の防止という観点から考えると、木刀の使用は禁止すべきではないでしょうか。」
佐々木は頷きながら応じる。
「なるほど、石橋君、君の意見は一理あるように思います。剣術部の方のご意見はいかがですか?」
平十郎は腕を組んだまま黙っている。羽根田が発言していない以上、反論は学生である琴音と恵介に任せるのがよいだろうと考えている。
平十郎の様子を見て、恵介が発言する。
「剣術部二年の北山です。剣術部ではいつも木刀で稽古をしています。木刀が禁止されて、慣れない竹刀で戦わなければならないというのは剣道部に有利過ぎるのではないかと思うんですが。」
「なるほど、それも一理ありますね。石橋君、反論はありますか。」
「木刀では竹刀ごとへし折るような攻撃ができてしまいます。仮にお互いが真剣で勝負に臨んだとしたらそんなことは起こらないはずです。」
「確かにそれは問題かもしれませんね。北山君、どうですか?」
恵介自身も問題があると思っていた点だ。不利になるとしても譲歩はやむを得ないだろう。
「
「確かにそれはそうですね。」
頷く佐々木に大吾が問いかけた。
「あのぉ、ほんざし、とか、わきざし、とかってなんです?」
「ああ、そうか!これは剣術部プロパーの話でしたね。失敬。剣道の場合、二刀流でない限り、剣といえば竹刀を一本持って稽古や試合に臨むことになりますね。」
「そりゃそうですよ。」
「これに対して、剣術、というよりは、背月一刀流では、という方が正確かもしれませんが、稽古でも試合でも常に大小二本の木刀を使います。昔の武士は、常に大小二本の刀を差していましたから、稽古で素振りをするときでも、小さい方の刀を腰に差しているわけです。いざ実戦で剣を振ってみたら、腰の刀が邪魔で上手く振れませんでした、では困りますからね。この振る方の大きい刀を本差、腰に差している小さい刀を脇差と呼んでいます。」
「なるほどお。ありがとうございます。」
大吾が間延びした声で応じる。
和之は、心の中で「大吾、グッジョブ!」と叫んだ。日頃の素振りと重心が変わることを嫌う、ということは日頃の素振りと同じ動きで来る可能性が高いということではないか。やはり「秘剣玄武の太刀」とは袈裟懸けか。だが、ここはもう一歩押し込むべきだ。
「脇差であっても、木刀を竹刀で受けることになるのでは同じではないでしょうか。」
佐々木は笑顔で頷いた。
「ふむ、では、こういう案ではいかがでしょう。木刀の使用自体は認める。ただし、事故の防止の為、木刀で相手または相手の剣を打ってはならない、どうですか?」
つまり、木刀を使用しての攻撃は寸止めに限られることになる。剣術部に不利な条件ではあるが、双方の懸念に対処した案ではある。恵介は、うーん、と唸ってから応えた。
「分かりました。それで結構です。」
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