第9話 袈裟

「ははは、おい、石橋、やっぱ趣旨変わってきてねえか?」

 剣道部員の一人から声が上がる。

「まあまあまあ、これこそが俺たちから渡辺先輩への恩返しなんですってば。真剣勝負でやらないと練習にならないじゃないですかあ。」

 和之がおどけてみせたのに対して、直樹は笑顔で応えた。

「さて、次は、剣客ではなく、剣術の方に着目して考えてみました。北山は大石進でも宮本武蔵でもないわけですから、特別な剣客個人だけではなく、その流派の使い手たちが強い、っていうのが参考になるはずです。そこで思いついたのが、時代劇や漫画で度々登場する示現じげん流です。受け太刀不要、二の太刀不要、一撃必殺の剣です。」

 和之が言葉を切って見回す。剣道部員たちも言われてみると、思い当たることがある。

「示現流、として世間で認識されている流派は、本当はいくつかあるらしいんですけど、共通した特徴はその威力です。幕末の実戦で使用された時の話だと、受けることは不可能だとか、受けた太刀ごと頭蓋骨にめり込んで即死だとか、とんでもない話が出てきます。」

 剣道部員たちもうんうんと頷いている。この辺りは時代劇、小説、漫画で描かれているだけでなく、ドキュメンタリーや関係者の登場する座談会など、様々な形で語られているところである。

 幕末に最強の剣客集団として知られた新選組でさえも、示現流の初太刀は受けることが出来ないから外すべきだと考えていた、というのは有名な話だ。

「彼らの剣の威力の源泉は打ち込みを一日に何千回も行うことです。あれやこれやと色んな打ち方だとか受け方だとか選択肢を増やすことより、必殺の一撃をひたすらに磨く、ということです。そろそろ俺が何を言いたいのか分かってきたと思います。剣術部が袈裟懸け以外の素振りをしてるところを見たことある人いますか?」

 答える者はいない。そう、聞いている剣道部員たちも同じことを考えていた。剣術部はいつも同じ一つの型だけを繰り返している。

「背月一刀流、剣を背負うように振りかぶった状態を指した名前からしてもあれが彼らの必殺剣なんじゃないかと思うんです。玄武というのが何を差しているのか、というのもありますが。それでは、我々の予想をお見せしましょう。片倉君、よろしく!」

「おうっ!準備万端だ!渡辺先輩、よろしくお願いします!」

 皆が声のした方を見ると、今回、大吾は呼ばれる前から立ち上がって構えていた。剣術部のように剣を右肩から背負うようにして構えている。剣を月に見立てて背中に月、だから背月一刀流ということなのだろうというのが和之と大吾の説である。

「ああ、よろしく頼む。」

 直樹は中段に構えて大吾と向き合った。

 正面から見るとやはり異様な構えである。体幹の筋肉を使って大きく引き絞った弓のように力を溜めて振り下ろす、ということなのだろう。小手はいずれも右肩の向こうであり打ちようもないが、面も胴もガラ空きだ。

 面を打とうとすればその剣ごと袈裟懸けで薙ぎ払うという考えなのだろうか。そんなことが出来るのか。剣道の授業では野球部の連中とも打ち合った。素振りの回数では剣道部に劣らない彼らのスイングは確かに早く力強いが、それを打ち払うこともかわすこともさして難しくはない。ただ、初太刀は外した方がいいだろうか。

 直樹は前後左右に動いて攻撃の機会を窺う。

 袈裟懸け。肩から脇腹へ斜めに斬り下げるこの攻撃を剣道は認めていない。単なる袈裟懸けならば、面を受ける場合と同様に体を捌きながら竹刀で受ければよいように思える。しかし、受けずに外すとした場合には、左右への回避は簡単でないように感じる。後方へ下がることで回避するとしたら間合いが重要だ。ただし、中段で向き合った場合と異なり、相手の竹刀は背後に隠されており、間合いが掴みづらい。

 しかし、剣道にしても剣術にしても、手で剣を振ることに変わりはない。また、背月一刀流は二刀流とは異なり、剣道と同じく右足が前の構えだ。剣が届く距離に大きな違いはないだろう。直樹は、大吾の足と胴の位置から一足一刀の間合いを目測し、その境をやや踏み越えてフェイントをかけた。

「オリャア!!」

 その瞬間、大吾は叫びながら踏み込んで袈裟懸けを放つ。想定通り、直樹は後方へ回避しようとした。が、その時、大吾の竹刀がまるで蛇が獲物へ襲いかかるように伸びてきた。

「ぐうっ!」

 届かないはずの距離まで伸びた剣先を、直樹は反射的に竹刀で受け止めていた。強い衝撃。だが、大吾の竹刀がそれ以上にめり込んでくるということはない。直樹は、そこから大吾の小手、面へとコンビネーションを放った。

 ババシッ。

 連続した打撃音。両方とも命中。直樹の勝利だ。だが、全く勝った気がしない。躱すつもりだった大吾の剣は届くべき範囲を越え、直樹を捉えた。もしこれが真剣勝負ならば、ひたすらに磨き上げられた一撃であったならば、こちらの剣はへし折られ、袈裟懸けに斬り下げられていたのかもしれない。幕末に示現流の犠牲となった剣客たちの気分が少しだけ分かったような気がした。

「あああっ、片倉君!惜しいっ!あとちょいだったのに!」

 心底悔しがる和之に剣道部一同呆れ返って苦笑いしている。大吾も肩を竦めた。

「いや、今のは驚いた。剣が伸びて来た。石橋、片倉、どうなってるんだ?」

 日頃から冷静な直樹が混乱しているのを見て、和之は満足した。

「ふふふ、不肖石橋から説明させて頂きます。まず、我々は『玄武』という秘剣の名前に着目しました。玄武とは想像上の神獣で、亀と蛇を組み合わせたような姿をしています。」

 うんうんと頷く者もいる。一昔前であればそれほど知られていなかった玄武も、今ではゲームなどでよく見かける存在である。大きな亀で尻尾が蛇、という姿で描かれることが多いだろうか。

「それで片倉君と検討している時に、ひらめきがあったのです。片倉君、どうぞ。」

「えっと。亀の甲羅から尻尾の蛇が伸びてきたらヤバイよなって言ったら、石橋がそれだあって。」

「とまあ、片倉君のアイデアで『玄武』とは甲羅に隠れされた剣が伸びてくる技なんじゃないかと。」

 和之が大吾の手柄をアピールする配慮を見せる。

「確かに剣が伸びたように感じた。でも、一体、どういうことなんだ?剣が本当に伸びるわけはないだろう?」

「もちろんです。剣が伸びたように感じたのは、届くはずのない距離まで剣が届いたから、そう錯覚しただけです。では、なぜ届くのか。種明かしすると簡単です。渡辺先輩の認識よりも少し長い竹刀なんですよ。」

 和之がそう言うと、大吾が竹刀を二本持って来て並べてみせる。

「短い方が通常の三尺八寸の竹刀、もう一方が四尺三寸、15センチくらい長いんです。さっきの大石進の長竹刀ほどではないので、一本だけだと違和感くらいなんですけど、並べてみると明らかに長いですよね。ただ、そこで背月一刀流の型がモノをいうんです。背中に剣を隠しておけば、相手は長さの違いに気づかないってわけです。」

「おおおー!!」

 剣道部員たちから歓声が上がる。和之が示してみせた案は話の筋が通っているように思われる。剣術部の練習の様子、「背月一刀流」という流派名、「秘剣」「玄武の太刀」という技の名称、いずれにも整合している。そして、実際に対戦相手を幻惑する威力も持ち合わせていた。

「ありがとう、石橋、片倉。初見でこれをやられていたら、竹刀ごとへし折られて負けていたかもしれないな。」

「ふっふっふ、そうでしょうとも!」

 和之は胸を張ってみせた。真面目なくせにお調子者なところも、彼が剣道部内で人気者となっている理由の一つである。

「それで、他にも候補はあるのか?」

 直樹の質問に、和之の表情が曇った。

「いやあ、あと一つだけ、あるにはあるんですが、イマイチというかなんというか。ねえ、片倉君。」

「そうだなあ。なんというか、なあ?」

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