第3話 因縁
校長羽根田広明は考えた。バスケットボール部も生徒会も、顧問からの説得に折れた。剣術部についても同様の作戦で行こう、と。
ところが、剣術部には校内に顧問がいないのである。いや、勿論、名目上、顧問とされている教師はいるのだが、彼女は剣術の指導をしておらず、単に事務上の手続をしているに過ぎない。部員らへの影響力は限られるだろう。
剣術部は伝統的に外部の道場の師範から指導を受けており、彼こそが真の意味での顧問ということになる。羽根田は、彼にアプローチすることにした。所詮は外部の指導者、校長自ら申入れを行えば否やはあるまい、との算段だった。
ところが、剣道場での指導の終了後、剣術家大崎平十郎に申入れを行った羽根田はとんでもない話を聞かされることになった。
平十郎の回答は「否」であった。
しかも、その理由は不可解極まるものだった。
曰く、
剣術部の学ぶ
幕末、江戸で北辰一刀流を学んだ者らと当時の藩の剣術三流派との御前試合が行われた、この三流派のうち、背月一刀流のみが勝利を収め、道場を下賜されるとともに、藩校での主たる剣術としての地位が定められた、
明治期に藩校から学校に改組する際に、改めてこの旨を確認する文書を知事と校長との間で取り交わしている、
したがって、高校と、北辰一刀流を源流とする剣道部はこのときの定めに従うべきである、
というのである。
羽根田は、目眩がする思いだった。目の前の老人は何を言っているのか。時代劇の世界に迷い込んだ気がした。
「いや、しかし、大崎さん、そんな150年以上も昔の話をされましてもですね、」
「昔の話ではあるが、当時の人たちが武士の誇りにかけてなした約定を反故になさるというのかね。」
「そんな話は聞いたことがありませんし、」
「あなた個人の約定ではないのだから、あなたがご存じか否かは関係がないのではありませんか。」
「いや、しかし、そのような話があるとは、」
「私の話をお疑いか。私のこの白髪首をかけても構いません。これは真実です。」
「首をかけると言われても困ります。証拠などはあるのでしょうか。」
「よろしい、では、当時の書付けをお持ちしましょう。それらをご覧になれば分かること。それで、この話は終わりということでよろしいかな。」
羽根田は、この話がおかしな方向へ進みつつあることに気がついた。19世紀の謎の約定があることが証明されれば、剣道場の明渡しには応じない、この老人はそう言っているのだ。
「いやいやいや、そうではなくてですね、剣術部とは違い、我が校の剣道部は全国大会にも出場し、さらなる飛躍が約束されているのです。剣道場を剣道部専用とさせてもらってですね、」
「なんですか、剣道部の方が大切だから剣術部などはどうでもよいとおっしゃるのか。それが教育者の言うことですか。」
教育者としてどうなのか、教師でない者にそう言われたことで、羽根田はムッとした。むしろ、退いてなるものか、と思った。
「そういうことを言いたいわけではないですが、片や全国大会出場の強豪、片や大会すらない部というのですから、扱いに多少の違いが出るのは自然なことでは?」
「若者たちが懸命に頑張っているものを外野の決めた尺度でそのように差異をつけてよいはずがないではありませんか。」
「私は剣道部のOBで外野ではないし、実際に結果が出ているわけで、」
「それはOBとして贔屓をしているということではありませんか?それに、結果といえば、既に剣術部と剣道部とは、御前試合で勝敗が定まっております。それを今更になって反故などと。」
彼らは、当初、お互い自分の指導している学生たちのことを思って会話を始めたはずなのである。恐らくは、落ち着いて話をすればどこかで折り合うこともできたはずである。しかし、事ここに至っては最早、彼らには落ち着いて話をするなどという選択肢はなくなっていた。
羽根田は、顔を額の上まで真っ赤にして言った。
「ああ、もう、そんなもの。だいたい、剣道があなたがたの田舎剣術に負けるなんて信じられないですよ。どうせ八百長か何か、インチキしたに決まっているんだ。」
「なんですと。聞き捨てならないですな。背月一刀流は、剣道なんかに負けたりせぬ。発言を撤回しなさい。」
「撤回なんかしませんよ。だって真実ですから。全国大会出場の剣道部の方がマイナー剣術部などよりずっと強いに決まっているんですから。」
「なんだと!」
「あなたこそなんですか!」
当の剣術部員、大崎琴音と北山恵介はことの成り行きを遠巻きに見守っていた。
「うわ、やばっ!どう見ても子供の喧嘩だよ。おい、恵介、爺ちゃんは置いて帰ろうぜ。」
「触らぬ神に祟りなしってヤツですね。あ、師範がこっち見ましたよ。これ、なんかろくでもないこと考えているんじゃないですか?琴音先輩、早く逃げましょうよ。くわばらくわばら」
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