第2話 端緒
羽根田広明がこの学校に校長として着任したのは今から6年前のことである。彼は厳格な学習指導で他の高校の進学実績を大幅に上げ、母校であるこの高校に招聘された。比較的自由な校風で知られていたこの高校は数年ですっかり趣きを変えた。
羽根田が並行して着手したのは体育の授業としての剣道の必修科目化だった。武道での学生の心身の練磨を標榜している学校は実はそこまで珍しくない。元々が江戸時代の藩校を起源としているこの高校で特色ある教育を行いたいとの彼の意見にさほどの反対は無かった。
剣道部OBの彼はこれだけで満足することはなかった。剣道専門の講師を招聘して剣道部のコーチとし、備品倉庫を建てて防具等専用のスペースを拡充し、校長自ら部員の勧誘まで行った。防具等の購入という入部時のハードルが剣道必修科目化によりクリアされていたこともあって、剣道部は大きく発展した。いや、元々、それも羽根田の狙いの一つだったのだ。
そして、昨年度、ついに剣道部は悲願の全国大会出場を果たしたのである。
と、ここまでであれば、誰も文句をいう話でもないのだが、剣道部が全国大会で一回戦負けを喫して後、彼の野望はおかしな方向へと向かっていく。
羽根田は、剣道部の練習環境の拡充のため、校内に一方的な通達を出した。
・これまで他部と平等に分け合っていたジム施設の使用時間につき、剣道部の使用時間を二倍にする
・バスケットボール部、バレーボール部等で使用していた体育館について、週2回は半面を剣道部で使用する。
そして、
・週1回剣道場を使用していた剣術部は活動場所を別途指定される場所に変更し、剣道場は剣道部の専用とする。
というものであった。
この通達に、校内は蜂の巣を突付いたような騒ぎとなった。
まず、最初に反対を表明したのはバスケットボール部だった。有志が校長室に直談判に訪れ、通達の撤回を申し入れた。同様の影響を受けるバレーボール部がこれに続いた。
しかし、彼ら彼女らの抵抗は長くは続かなかった。なぜなら校長の意を汲んだ顧問の教師らが説得してきたからである。元々、県内でも弱小のこれらの部では活動に熱心でない者も少なからずいる。一致団結して顧問や校長を敵に回して戦い続ける、というのは難しかった。
次に異を唱えたのは剣道部だった。自分たちだけが優遇されることは居心地が悪く、消極的ながら校長に遠慮したい旨を申し出た。しかし、羽根田は申し出を相手にせず、剣道部側にしてみても、校長は自分たちの恩人でもあるため、それ以上強く主張することはなかった。
続いて反発したのは生徒会だった。活動場所の一方的な変更は悪しき前例となりかねない、学生の自治を奪うものだ、などと主張した。羽根田は、ここでも再び顧問の教師を通して説得するという手に出た。生徒会としては自分たちに損害がある話でもなく、やはり顧問を敵に回してまで戦うつもりはなかったため、もし影響を受けるそれぞれの部が承諾するのであれば、と消極的に同意した。
その他、新聞部が校長を批判する論説を掲載したほか、教師の一部からも異論が述べられたが、羽根田は一顧だにしなかった。
最後に、剣術部が残った。彼ら彼女らは、バスケットボール部たちのように表立っての反対を表明したこともなかったし、剣道場の使用も週に一回に過ぎなかったことから、特に反対していないのではないかと目されていた。
ところが、この剣術部こそが校長羽根田広明の野望に敢然と立ち塞がることになるのである。
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