秘剣玄武の太刀 ――山坂高校剣術部最後の戦い――

大崎 灯

第1話 対峙

「両者、前へ!」

 山坂高校剣道部、三年渡辺直樹は、開始直前ではあるが、改めてこの試合について考えていた。本当にやるつもりなのか、と。短髪の下の彫りの深い整った顔をわずかに歪めた。

 剣道場で向かい合っている男は竹刀を左手に提げている。だが、防具を一切着けておらず、これから試合に臨む者の格好とはいえない。あとは脇に小太刀くらいの短い木刀を差しているばかりである。

 この高校には、直樹が所属している剣道部とは別に、剣術部というものがある。直樹の対戦相手はこの剣術部の男である。

 剣術部は、江戸時代にこの地域を治めた山坂藩で伝わっていた剣術を学ぶ団体だ。剣道場で週一度の稽古を行う以外には、体育館脇のひさしの下、木刀で素振りをしている。この高校の生徒の多くは、彼らが袴姿で素振りをしているところを目にしたことがある。しかし、剣術部には、目的とする大会もなく、練習試合すらない。わずか数人の彼らについて、伝統芸能を学ぶ文化部の一種だと誰もが思っていた。

 だから、剣術部側がこの試合を受けた時には、この学校の誰もが驚いた。何しろ剣道部は全国大会に出場した実績もある県内の強豪だ。しかも、負ければ、週一度の剣道場の利用権を剣道部に引き渡し、剣術部は廃部、という約束さえしているという。

「本当にいいのか?」

 直樹は対戦相手に尋ねた。防具を着けずに竹刀を受ければ痛いどころの話ではない。そして、剣術部は廃部。直樹自身、どちらについて尋ねているのかよく分からないまま、つい、口に出していた。

「いいわけないですよ。あの校長ハゲ、クソみたいな条件突きつけやがって。でも、俺にも武士の一分ってものがあります。退くわけにはいかないので。」

 剣術部の男、山坂高校二年北山恵介は、ぼやくように返事した。長い前髪の隙間から細長い目を向けてくる。中性的な顔立ちに不似合いな武士という言葉に観衆は反応した。

「いいぞ、剣術部!武士の意地を見せてみろ!」

「防具無しとか、マジ武士だな!」

「あはは、武士ってなに?高校生でしょ?」

「負けても切腹すんなよ!ははは!」

 観衆が無責任に野次を飛ばす。この他流試合は文化祭のイベントの一つとして見世物になっている。当事者と違って、観ている者たちは痛くもなければ怖くもない。物珍しい娯楽である。

 この試合を賭けの対象にしている者もいる。オッズは、剣道部勝利一分以内が1.5倍、一分超えが2倍、剣術部勝利一分以内が10倍、一分超えが5倍、引き分けが5倍である。一部には剣術部の勝利を期待している者もいるが、多くの観客たちの関心事は勝敗ではなく、剣術部が一分間耐えられるかどうかである。

 直樹は野次を聞いて眉を顰めた。防具無しは本人の勝手かもしれないが、怪我をさせてしまったら後味が悪い。突きは論外、面や胴も当たりどころが悪ければどうなるか。小手も袖に覆われておらず、筋肉が薄い部位で負傷し易いだろう。武道なのだから当然だが、剣道で有効な攻撃箇所だと見做されている部位はいずれも危険だ。やはり、肩か腕か。それなら大事にはならないだろう。

「せめて防具を着けたらどうだ?」

 恵介は、一瞬驚いたような顔をしてから応えた。

「あ、そっちですか。先輩、俺のことより、自分の心配をした方がいいですよ。俺、手加減できないですから。」

「恵介、よく言った!その似非イケメン野郎をぶっ殺せ!」

 声の主は剣術部部長の大崎琴音。やや明るい色のショートカットに大きな瞳が猫のような印象を与える女子なのだが、荒過ぎる言葉遣いのせいで同級生からつけられた渾名は「おっさん」である。

「ぶっ殺……って、琴音先輩、さすがにそれはマズイですよ。」

「いいんだよ!剣は凶器、剣術は殺人術だ!きっちり仕留めてこい!」

「それ言っちゃダメなヤツですよ、師範来てるんですから。」

「うえっ、そうだった!」

 来賓席に並んだ三人のうち、白髪の老人が眼光鋭く琴音を睨みつける。

「あー、えー、恵介さん、そのお相手をぶっ殺してさしあげなさって……。」

 琴音は慣れない言葉遣いを試みるも失敗した。

 ガタン!

 来賓席の隣、パイプ椅子から太った男性が音を立てて立ち上がる。彼の頭のてっぺんには頭髪がなく、てらてらと光っている。

「いつまで漫才をする気なんだ!時間稼ぎか!おい、渡辺、そいつをしっかりねじ伏せろ。手加減するなよ!」

 立ち上がった男は校長、羽根田広明。彼の横暴な態度は生徒たちの反発を呼び、彼に対して「ハゲ」という渾名をつけさせた。この高校では「ハゲ」といえば彼のことを指す。頭髪の不自由な者は彼の存在のために「ハゲ」と呼ばれなくて済むわけだが、代わりに「校長」という渾名をつけられてしまうので、あまり感謝されない。

 彼の大人気ない態度に慣れていない他校からの来訪者は皆一様に眉を顰める。しかし、この異例の他流試合は、そもそも彼の大人気ない発案に周囲の者の思惑が絡んで成立したものなのである。

 話は遡る。

 

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