21.希望(マエル)

 3人で休憩ブースへ向かう中、私の胸中はザワザワとした嫌な気持ちで溢れ返っていた。


 何でグレイスが安産祈願なんか持っていたの?

 もし彼女が、なんかしていたとしたら……。


 不安な顔が表に出ていたのか、私の帽子を被っていたスティーブさんが、心配そうに握る手の力を強めてきた。


「掴まれた腕、痛むのか……?」


「ううん、大丈夫。それより、助けに来てくれて……ありがとね」


「へへ、ちょっとだけヒーローっぽかっただろ?」


「ちょっとどころじゃないよ。すごい嬉しかった」


 ふっと微笑んだスティーブさんから頭を撫でられた私は、肩を寄せ合いながら歩いた――。


「てか、ばあちゃ〜ん! なんで邪魔してきたんだよ〜!」


 ブース席へ着くなり、スティーブさんが不満そうにテレさんへ声を掛ける。


「さっき言った通りさね。暮れの祭りにあんな下らない演劇なんざ、変色家くらいしか観たかないよ」


「いや演劇じゃないだろ! ガチンコバトルしてたのに」


「何がガチンコバトルだ馬鹿タレ。あの小生意気な娘を侮っちゃいけないよ。あのまま空中戦を続けてたら、こっちの分が悪くなるだけだったろうしね」


「は? なんで?」

 

 と、不思議そうに首を傾げるスティーブさん。


 やはりテレさんは、私達のやり取りをはたから観察してて、何か勘付いていたみたい。正直、あの時は私もグレイスが何を言い出すのかと、内心ハラハラしていた。

 店員に運んでもらったカモミールを、ティーカップに注いでテレさんへ手渡した私は、目を伏せ気味にして割って入った。


「私の口から説明させて、スティーブさん」


「グレイスが『恋人を掠め取った』って話のことかい?」


「うん……それは、学園時代にグレイスとの間で起こった出来事なの」


 憂うような瞳でスティーブさんが見つめてきたのに対し、椅子に座った私は姿勢を正して深呼吸した。


「包み隠さず話すから、ちゃんと聞いてくれる……?」


「オ、オッケーっス」


 腰を下ろしたスティーブさんが真剣な顔で頷く。対面に座るテレさんが、どこか遠くを眺めながらテーブルに肘を乗せたところで、私はグレイスとの因縁について語り始めた――。


 貴族が集う、私立トゥアール学園に通っていた私。


 男女共学制の学園で、同じクラスにいたグレイスとは仲も良かった。後に私の婚約者となるキリアンは、名門私立のウェンチェスター学園という男子校に通っていた。


「マエルもスタイルは悪くないんだから、私みたいにもっとお洒落な服を着たら?」


「う〜ん、そうしたいけどウチは貧乏だし、今は看護学校へ行くのに勉強中だから……」


「あらそう、勤勉なこと」


 贅沢できるほど裕福な家庭じゃなかった私からしたら、頭の先から脚の先まで手入れの行き届いたグレイスは、スタイルも抜群で憧れの的。また、知らないことを何でも教えてくれるグレイスは、一人っ子の私にとって“お姉ちゃん的な存在”。


 しかし、彼女は気高い反面、少し尖った性格の持ち主だったため、ライバルも多かった。


 そんな彼女には、ジョゼフという伯爵令息の彼氏がいた。スポーツ万能だったジョゼフはワイルドな風貌で女性人気が高く、王室から一目置かれる家柄出身で属性も申し分無い。


 妖艶端麗なグレイスと将来有望なジョゼフは、誰もが羨む最強のカップルだった。私も昼食を2人と共に過ごさせてもらっていて、互いに“アーン”をし合う仲良しっぷりがとても羨ましかった。


 卒業も間近な冬の季節になった頃、チラホラと学園内の令嬢令息同士で婚約話が出始める。

 グレイスとジョゼフもそろそろ婚約するだろうと噂される中、放課後に突然、私はジョゼフに手紙で呼び出された。


 “何の用だろう?”と思いつつ、校門で待ち合わせした時のこと。

 

「グレイスへプロポーズするのに、これから婚約指輪を買いに行きたいんだが、選ぶのを手伝ってくれないか?」


「え、私なんかでいいんですか……?」


 突然の申し出に戸惑っていると、彼は心配いらないと言わんばかりに微笑んだ。


「彼女と親しいマエルなら、間違いない物を見定めてくれると思ってな」


「そうですか……そういうことなら、協力させて頂きます!」


 グレイスとジョゼフのためだと思い、快く引き受けた私は、そのまま彼の送迎車に乗って宝石店へと向かった。


 それが――悲劇の始まりになるとも知らずに。


 翌日、またしても手紙で校舎裏に呼び出して来たジョゼフは、私に激震が走るような言葉を浴びせてきた。


「マエル、俺はずっと君に惚れていたんだ……どうか、これを受け取ってくれないか」


「……は、はい?」


 なんと、いきなりへプロポーズしてきたのだ――私が一生懸命選んだ、指輪を手に持って。


 実は、ジョゼフはグレイスから私を除いた“他の令嬢との会話等を一切禁止させられる”という、束縛的な交際を強いられていたらしい。それを明かした彼は、私を一目見た時から密かに想いを寄せていたと告げてきた。


「なんなら、駆け落ちしても構わない。頼む……俺と一緒になってくれ」


 跪いて懇願してきたジョゼフを前に、私は愕然として言葉を失ってしまう。


 受け取れる訳がなかった。


 学園で一番人気の令息から告白されたのに、ちっとも嬉しくない。グレイスから“別れた”なんて話も聞いていないし、なにより、親友に対する侮辱的な彼の行為を許せなかった。

 親友の哀しむ顔が思い浮かんできて、沸々と怒りが込み上げてきた私は、両手に握り拳を作って言い放った。


「……無理に決まってるじゃん! このことは黙っておくから、もっとグレイスの気持ちを考えてよッ!」


 涙を流しながら「ジョゼフのバカッ!」と吐き捨てて、逃げるようにその場を走り去った。


 ところがその出来事は、後に最悪な方向へと傾く。


 ジョゼフは、私の選んだ指輪を使い回すようにして、グレイスにプロポーズした。

 しかし、その時すでにグレイスは、ジョゼフが私に婚約を申し込んでいたことを、何故かのだ。


 そして、ジョゼフと話がこじれて破局してしまったグレイスは、予期せぬ思い違いをして私に牙を剥いてきた。


「マエル……貴女よくもジョゼフをしてくれたわね。しかもプロポーズを断ったりまでして、一体何がしたいの? 私の人生ぶち壊して弄んでるつもり?」


『マエルから言い寄ってきた』


 彼女曰く、これがジョゼフの言い訳だった。事実無根を訴えたところで焼け石に水。激昂した彼女を説得して仲直りなんて、叶うはずもなかった。


 そして、私とグレイスの間には二度と埋まることのない溝を残し、彼女は自主退学してしまって、間もなくジョゼフも家庭の都合で引っ越すことに。


 心が空っぽになった私は、虚無と化した残りの日々を過ごして、やるせない気持ちを抱いたまま卒業を迎えた。

 

 その後ジョゼフが、グレイスのライバルだった令嬢と結婚したことを耳にする。その頃、すでに看護学校へ入学していた私は、グレイスと完全に疎遠となっていた――。


 事の顛末を話し終えると、スティーブさんは複雑そうな表情を浮かべて「う〜ん」と天井を仰いだ。

 テレさんは話している間にカモミールを一口も飲まず、頬杖をついて溜息を吐いた。


「グレイスがこの話をしてきたら、別の言い回しで脚色されちゃってたと思うんだ。だから、あの場でテレさんが仲裁に入ってくれたのは、すごい救いだったんだよ……」


 冷めてしまったカモミールを淹れ直そうと、テレさんのティーカップに手を伸ばす。すると、スティーブさんがソーダを口に含み、グラスをテーブルにゴンッと置いた。


「プハッ! 貴族の男ってのは馬鹿しかいないのかい!?」


「み、みんながそういう訳じゃないと思うけど、こういう話って、意外と珍しくないんだ……」


「けど、そんなことがあったら、すぐ社交界で変な噂とか流されちまうんだろ? グレイスだったら、絶対マエルを悪者に仕立て上げるはずじゃん!」


 私が差し出したティーカップを受け取ったテレさんが、怠そうに口を開く。


「そういう訳でもないんだよ、スティーブ」


「ん、どういうこと?」


「貴族令嬢は19歳になると、陛下を御前に“謁見の儀”を受けるからね」


「謁見の儀って、王宮でやってる純白のドレス着て参列するやつだろ? 何か関係あんの?」


「謁見の儀には教皇も出席するから、が含まれているのさ。令嬢達はそれまでにもつれさせた恋煩いを、全て洗い流して貰えるんだよ」


 腕を組んだスティーブさんが「ほぇ〜、なるほど」と感心したように数回頷いた。


 この国の令嬢は、成人式として謁見の儀を迎えてから、晴れて社交界デビューを果たす。

 そうなると洗礼を受けたことになるので、謁見の儀以前に起きたことを社交界で吹聴するのはタブーとされる。仮に恨んでいる人を貶める噂を流そうとしても、周囲からは若気の至りとして相手にされることはない。

 私にとっては有難い慣習だけど、グレイスからしたら、それは歯痒いものだったはず。


「それにしてもマエルはツイてないね。良かれと思ったことが裏目に出ちまったんだから。せっかくの洗礼も水の泡じゃないか」


「はい……」


 テレさんにそう言われた私は、反省するように俯いた。


『ま、社交界で醜聞だらけのマエルなんか――』


 グレイスから“お人好し過ぎ”と忠告されたのに、不用意に人助けをするという、同じ過ちを繰り返してしまった私。自業自得を後悔しても、しきれない。

 キリアンへの想いに決別していたとはいえ、彼がグレイスと婚約していたショックも重なり、どっしりと肩に荷が掛かったかのように、気分が沈んでいく――。


 3人が囲むテーブル席に沈黙が流れる。

 すると、塞ぎ込んで丸まっていた私の背中を、スティーブさんが優しく摩った。


「でもさ……マエルがしたことは、何も間違ってないだろ」


 ゆっくりと顔を上げたら、彼は私に向けて微笑んでくれていた。じんわりと染み渡るあったかい言葉に、胸がキュンとした私が「ありがとう……」と心からのお礼を返す。


「それに、結局マエルの方がグレイスより魅力があったってだけの話じゃん。マエルはもっと、自信持っていいと思うぜ?」


「アンタの言い分は最もだが、女の世界はそんな単純じゃないんだよ。下手に鼻を高くすれば、余計な災いを招くからね」


 テレさんが嘆息気味に話すと、スティーブさんは「災いって?」と問い返した。


「女は嫉妬に狂うと陰で罵ったり脚を引っ張り合ったり、何をしでかすか分からないもんなのさ。マエルの話は一見して令息の杜撰ずさんさが目立つところだが、その背後にもっと“陰惨で厄介な存在”がいたやろがい」


「え、そんなんいた? よく分かんないけど、何かおっかないな……」


 身震いさせたスティーブさんの隣で私がしゅんとして黙っていたら、テレさんは杖を地面にコンッと突いた。


「それはさておき、グレイスはとんだ置き土産を残していったじゃないか。ねぇ、マエル?」


「え、えーと……アミュレットのことですよね?」


 不意に振られて返事をしたら、テレさんは自信に満ちた表情でコクリと頷く。

 一瞬にしてスティーブさんが、チンプンカンプンな面持ちへと変わる。そんな彼に、私はアミュレットの持つ意味や妊娠に関しての説明をした。

 

「だからグレイスは、最後にあんな焦った顔してたのか!」


 スティーブさんが、むしゃくしゃした様子で後頭部を掻きむしり、テレさんはカモミールを飲み干して、私に視線を向けてきた。


「グレイスの慌てっぷりも見て判っただろう? アミュレットを自分達のために購入してたのなら、奴らのは最低でも1ヶ月以上前から始まってたことになるね」


 彼女の推察が、グサリと胸に突き刺さる。


 産婦人科で妊娠していると診断されるまでは、約1ヶ月を要する。正直、アミュレットを目撃した時点で粗方の察しはついていたけど、自分から言葉にするのが怖かった。


「ってことは、マエルが婚約破棄される前からってことじゃんか! 自分らを棚上げして、マエルの浮気を疑って来るとかメチャクチャじゃないか!?」


「ふん、その理由は簡単だよ。自分達の不貞を“カモフラージュするため”さ」


「カ、カモフラージュ?」


 貴族間で交わす婚約契約書には、不貞による違約金や嫁ぐ側の持参金の他にも、[婚約解消金]が重要な項目として盛り込まれる。


 婚約解消金とは、婚約を申し込んだ側が“自己都合で婚約の解消を願い出る場合”に支払うお金のこと。


 裏を返せば、その金額の大きさが『そのくらい結婚したい』という相手方への誠意表明となるので、少し高めに設定されることが多い。


 カスカリーノ家とポグバ家の間でも、婚約に関する取り決めが協議された上で契約書を交わした。その際、ポグバ家が提示してきた婚約解消金は1000ポンド。

 慣習通りにポグバ家の誠意に応えるため、こちら側の持参金も同額にして婚約は締結された。


「ポグバ家は“婚約解消金を支払いたくなかった”ってことだ。ここまで話しゃ、アンタでも察しはつくだろ?」


「もしかして……それでマエルの浮気をでっち上げて、無理くり婚約破棄に持ち込んだってのか!?」


 目を見開いて仰天するスティーブさんに、テレさんが「ご名答」と言って指を刺す。


「コソコソと密会を重ねてたんだろうが、こともあろうか妊娠しちまって相当焦ったんだろう。ところが、相手は資金潤沢なラクラル家の令嬢だ。崖っぷちのカスカリーノ家に金を払うくらいなら、そのまま乗り換えようって魂胆だったのかも知れないね」


 両手でテーブルをバンッと叩いたスティーブさんが「ふざけんなッ!」と憤怒した。


「何が誠意だ、キリアンの馬鹿野郎! そんなの絶対許せねぇだろ! こうなったらとことん闘おうぜッ! なぁマエル!?」


 しばらく2人の会話を、どこか上の空で傍観していた私。スティーブさんの熱を帯びた眼差しを受け、少しの間を置いて囁いた。


「ちょ、ちょっと待って。も、もうこんな話やめよ……? 遊ぶ時間、どんどんなくなっちゃうよ……」


 途端、彼は眉間に皺を寄せて心配そうな顔をした。


「ど、どうしたんだよ急に……寒くて具合悪くなっちまったのか?」


 そこへテレさんが「待ちな、スティーブ」と制止して、返す言葉もなく塞ぎ込む私を、ジロリと見つめてきた。


「まさかとは思うが……アンタまだ自分を責めて海外へ行くつもりなんかい?」


 ギクッ……!


 スティーブさんが「え!?」と驚いた表情で私を見遣る。


 そして、胸の内を見透かされるようにを突かれた私は、咄嗟に手で口を覆った。


 これまでのことを“自分に非がある”と、ずっと考えていた私。


 ジョゼフの件にしても。

 キリアンの件にしても。

 エンゴロさんの件にしても。


 実際、自身の行動が発端になってしまったのは事実。そのせいか、例え婚約破棄に陰謀があったとしても、なかなかキリアンに対して、深入りする決心がつかないでいた。


 スティーブさんやテレさんと過ごしてきた中で、前向きになれる言葉はたくさん貰ってきた。嬉しくて嬉しくて、涙が出るほど。


 それなのに、どうしても――やっぱり、円満な解決なんて無理なんじゃないか――と、前進する気持ちに急ブレーキをかけてしまう自分が、心の奥底にいる。


 今から足掻いて仮に身の潔白を証明したところで、全てが元通りになる訳じゃない。


 一度でも社交界で醜聞が広まってしまったら、私に染みついたイメージを払拭させるのは困難。もちろん、キリアンとの復縁なんて絶対あり得ないし。

 それに、現在もお父さん達が海外での縁組を段取りしてくれているのに、無闇に事を荒立ててそれを無碍にするのは、申し訳なく感じてしまう。


 そして、もし陰謀を暴こうとしているのをキリアンとグレイスに勘付かれたら、必ず阻止してくるはず。そうなった時に、優しいスティーブさんが無茶をしてまた辛い目に遭ってしまったらと思うと、たぶん私はメンタル的に耐えられない。

 テレさんも病気が悪化して、近いうちに倒れてしまう可能性だってある。お世話になりっぱなしの彼女には、スティーブさんと自由気ままに楽しく過ごして欲しい。


『海外なんて、俺が絶対に行かせない。だからマエル。事が落ち着くまで、待ってくれないか? ――』


 本気で……本気で待ちたいと思えた。

 でも、明確に『待ってる』とは返せなかった。

 今朝、彼の寝顔に口付けしたのも、最後のつもりだった。


 彼と過ごす最終日。想いを顔に出さないよう、お祭りで楽しい思い出を作りたかった。

 まさかキリアンと再開して、あんな形でスティーブさんから唇を奪われるとは、夢にも思わなかったけど……。

 その後はこの会場で2人にお別れを告げ、独りで帰ろうと考えていた。


 海外へ行けば、きっと彼を忘れられるはず。


 どこかでバッタリ会うことなんてまずないし、彼が結婚したとかの情報が耳に入ることもそうそうない。


 どうしても忘れられなかったら、また綺麗な海で黄昏れば……。


『広い海を見てると、自分の悩みなんか、ちっぽけに思えたりするんだ――』


 やっぱダメ。

 海なんか行ったら、逆効果でむしろ泣いちゃう。


 じゃあ、夜に海外の綺麗な街並みとか、星空とか見て……。


『海以外にも夜景が綺麗なとこもあるから、今度一緒に行こうよ! ――』


 こっちもダメっぽい。

 夜景を見ても“彼と一緒に見たかった”とか感じてしまいそう。


 えっと……?

 

 私、どうやって彼のこと忘れたらいいんだろう……――。


 泣きそうなほど悶々としていたら、目くじらを立てたテレさんが突然――私の頭を杖で「そぉい!」と叫んで叩いてきた。


 痛ッ!?

 えッ?????


「何いつまでもシケたつらしてんだッ! 『湿っぽいのは嫌いだ』って100回くらい言ったやろがいッ! チキンソテーにしてやろうかッ!?」


 突如、目が覚めるような叱責を受けた私の背筋に、雷が落ちたかと思うくらいの衝撃がほとばる。


「す、すみませんッ……!?」


 ちょっと待って、うそーッ!?

 思い耽ってただけなのに超キレられてるッ!?

 てか100回も言われたっけ!?


「いいかいマエル! 耳かっぽじってよく聞きなッ!」


「は、はい!」


 言われるがままに従って耳をほじる私に対し、未だかつてないほど目を見開くテレさん。その形相たるや、まるで鬼のようだ。


「アンタが悲劇のヒロイン気取るにゃあ、まだ10年早いんだよ! クヨクヨと俯いてばかりじゃ、空が晴れてるかどうかも分からないじゃないか!」


「テレさん……」


「マエルが動き出さなきゃ、いくらワタシらが躍起になったって何も始まらりゃしないんだよ、このマヌケがッ!」


 そこへ、少し呆れ顔をしていたスティーブさんが続いてきた。


「ばあちゃんの言う通りだ、マエル。いい加減泣き寝入りすんのは、もうやめようぜ」


「スティーブさんまで……」


「俺も一緒に闘うからさ! いいだろ、ばあちゃん?」


 彼が真面目な表情で顔色を窺うように尋ねると、テレさんは両眉を上げて諦め気味に肩をすくめた。


「どうせ引き留めたって無駄だろ。に『旅するな』なんて、言うと思うかい?」


 テレさんから承諾を得て、「さっすが〜!」と満面の笑みを浮かべたスティーブさんが私の方を向く。


「マエル。少しだけ俺の気持ち、話していいかい?」


 呆気に取られていたところを、不意に畏まって尋ねられて「う、うん」と頷く。すると、彼は神妙な面持ちで語り始めた。


「こんなこといきなり言われたら戸惑うかも知れないけど、今の俺の頭の中って、マエルのことでいっぱいなんだ」


 ……え?


「どこに連れて行ったら喜んでくれるかなとか、どうしたら笑ってくれるのかなとか……そんなんばっか考えててさ」


 きゅん。


「だから、マエルが悲しんでる顔を見ちまうと、余計ほっとけなくなっちゃうんだ。君は“自分さえ我慢すれば、俺達に迷惑はかからない”って思ってるのかも知れないけど……んなこと、気にすんなよ」


 どきゅん。


「まぁなんて言うか、とにかく巻き込んで欲しんだよ! どんなに辛いことがあっても、ずっと側にいるからさ!」


 ずきゅん。


「それとも……俺じゃだめかな?」


 改めて訊いてきたスティーブさんが、不安げに眉尻を下げる。


 気付くと、私は頬に大粒の涙をポロポロ流して泣いていた――。


 そっか。

 私、思い違いをしてたんだ。

 

 何で私がジョゼフに告白されて、グレイスと仲違いしなきゃならないの?


 とか。


 何で人を助けたのに、キリアンから浮気を疑われて婚約破棄されなきゃいけないの?


 とか。


 私ばかり理不尽なことが起きてしまうのは、単純に“不幸な女なんだ”って……自分を納得させるように、決めつけていた。


 けど、そうじゃなかった。


 それら全ては“この瞬間に巡り会うため”だったんだ。


 そうだよ。絶対そう。

 テレさん、私やっと分かったよ。


 私は……スティーブさんと出逢うために、生まれてきたんだって。


 心の中に巣食っていた暗闇を振り払うかのように――“希望の光”が差し込んでくる。


 彼と一緒に歩むなら、どこへ進んでも怖くない。

 例えそれが、誰も踏み入らないような茨の道だとしても。

 貴族だろうと庶民だろうと、そんな下らないことを気にするのは、もうやめよう。

 

 私の幸せは、スティーブさんと一緒じゃなきゃ始まらない。


 彼のいない未来に、生きる意味なんてないんだ――。


 スティーブさんが真剣な眼差しをして、じっと私の返事を待っている。テーブルに置かれた彼の手を強く握り、その蒼く澄んだ瞳に向けて口を開いた。


「スティーブさん」


「……ん?」


「大好きです」


 途端、目をパッチリと丸くしたスティーブさんの隣で、強張っていたテレさんの顔がふわりと綻んだ――。

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