20.因縁の同級生(マエル)

 誰にも会いたくなかったのに。

 よりにもよって、何でキリアンなの……?


「……人違いです」


 息苦しくなるほどの動悸が襲ってきながらも、何とか返事を返す。しかし、キリアンは後ろから私の肩を掴んで、無理矢理振り返らせてきた。


「そんなはずはない! 俺がマエルを見間違える訳がないだろう!」


 眉間に皺を寄せ、強張った表情を見せるキリアン。両肩を握られた私が、プイッと横を向く。


「放してくれませんか? 痛いんですけど……」


 淡々とした言葉遣いでそういうと、キリアンはパッと手を放して「あ、す、すまない」と謝罪してきた。私は振り返って彼に背を向け、女性店員に話しかけた。


「すいません。飲み物なんですけど、あそこの休憩ブースまで届けてもらってもいいですか?」


「え、あ、はい! 大丈夫ですよ!」


「ありがとうございます」

 

 そう言い残して立ち去ろうとすると、キリアンが目の前を塞ぐように立ちはだかってきた。


「ま、待てよマエル! せっかく会えたのに、冷たいじゃないか」


 キリアンから匂ってくる香水に、苛立ちが湧き上がる。なぜ“私の好きなものを選んでいるのか”と。たくさんの種類の香水を所持してたはずなのに。


「もう貴方とは無関係ですから」


「そんな言い方はないだろう。元婚約者に向かって」


「いいからどいて。知人待たせてるんだから」


 キリアンの横を通ろうとしても、彼は「だから待てよ!」と両手を大きく広げてきた。


「知人って、どうせ両親のことだろ?」


 本当に嫌。

 何で執拗に絡んでくるの?


「違います」


「なら誰だ? まさか、男じゃないだろうな?」


「誰だろうと、貴方には関係ないでしょ……?」

 

 早くこの場から離れたいのに、行かせてくれる気配が全くない。苦しさを我慢していた私の瞳には、涙が込み上げてきていた。


「なぁ、少しだけでもいいから話さないか?」


「話すことなんてないってば……」


「頼むから聞いてくれ! あの時に見せた俺は、本当の姿じゃない! 父上達がいた手前、あんな態度せざるを得なかっただけなんだ!」


 聞いてもいないことを語り始めるキリアンに、私が「だから何?」と聞き返したら、彼は神妙な顔で塞ぎ込んだ。


「俺はただ、なんというか……浮気されたことはショックだったが、マエルを嫌いになった訳じゃないってことを、伝えたいだけなんだ。新聞に載らなかったのも、俺が新聞社に取り計らったからだ」


 今更、そんな恩着せがましいことを必死に告げられたところで、私の心には何も響かなかった。

 結局私のことを浮気者扱いしてるのは変わってないし、彼の言葉も信じるかどうか以前に、心底どうでも良かったから。


「そう……もういいでしょ?」


 キリアンを押し除けて半ば強引に戻ろうとしたら、今度は二の腕を掴まれて、力ずくで引っ張られた。


「痛ッ……!」


「ちょっと待て、いい加減にしろよマエ――」


 突然、言葉を遮るようにキリアンの腕を“誰か”が掴む。


「イテテテテテッ!」


 苦痛に顔を歪めるキリアンの手首を捻り上げたのは、頬に絆創膏を貼っているスティーブさんだった。


「マエル、大丈夫か?」


 真顔の彼から訊かれた私が、痛む腕を抑えながら「う、うん……」と返す。キリアンはスティーブさんの腕を振り解くと、すかさず怒りを露わにした。


「何だ貴様は!? いきなり何てことをするんだ!!」


「そりゃこっちのセリフだっつの。彼女が怯えてんだろ」


 言いながらも、スティーブさんは私を背後に隠してくれた。彼が着るダウンコートの裾をきゅっと握り締め、安心感のある大きな背中に顔を埋める。


「もしかして、こいつがキリアン?」


「そ、そう……」


 助けてもらっても、あまりの恐怖で私の声は震えてしまっていた。


「おいマエル、何でそんな男の後ろに隠れるんだ!」


「お前と話したくないからに決まってんじゃん。見りゃわかんだろ」


「俺はマエルに訊いているんだッ! 部外者は引っ込んでてくれないか!?」


「それは無理だな。俺、マエルの彼氏だし」


「なッ……か、かれ……し……だと!?」


 スティーブさんの影から覗くと、キリアンが顔面蒼白で後退りしていくのが見えた。


「……う、う、嘘をつけッ!! マエルが、マエルが貴様のような庶民を相手にするはずがないだろ!!」


「嘘だっていうんなら、今ここでしてやろうか?」


「何!?」


 酷く取り乱すキリアンとは対照的に、冷静な声色を発したスティーブさんが振り返る。


 証明って、何をするつもりなんだろう?


 キョトンとして見上げていたら、彼が頬を緩めた優しい笑顔を近づけてくる。


「スティーブさん……?」


 しかし彼は何も言わず、私の腰に手を回して抱き寄せると――思いっきりキスをしてきた。


「んッ……!?」


 仰天して身体がカチーンと硬直してしまい、反動で帽子が落ちて長髪がふわりと舞う。

 騒ついていた周囲は途端にシンと静まり、ものすごい人数の視線を浴びている。まるで映画のワンシーンのよう。

 

 は、恥ずかしくて……死にそうですッ……!


 顔から火がでそうになっていた私も、気付けば彼の首に腕を回し、踵を上げて抱きついていた。

 そして、スティーブさんは唖然とするキリアンに見せつけるように、私と濃密な口付けを続けた。


「わ、わかった、もういい……! マエルから離れろ!」


 キリアンの掛け声に反応したスティーブさんが顔を上げる。目を瞑っていた私も、キリアンの方を見遣った。


 その瞬間――背筋が凍りつくほど驚愕した私。


 悔しそうに歯を食いしばる彼の傍には、いつの間にか“因縁の同級生”が、腕を組んで立っていたのだ。


「……グ、グレイス!?」


「久しぶりね、マエル」


 キリアンよりも数倍厄介な相手の登場に、私は動揺を隠せなかった。彼女の後ろには、執事らしき人物の姿もいる。


 グレイスは胸元が大きく開いたニットセーターを着ており、漆黒のミニスカートに網タイツとハイヒールを履いて、妖艶な色気を纏っている。

 彼女はストレートの銀髪を掻き上げると、顰めっ面で鋭利な視線を私に向けてきた。


「やっと展示会を開いたのに、客が少なくておかしいと思って来てみたら、まさか性悪女ビッチがこんな“はしたない営業妨害”をしてたとはねぇ」


 会うなり、強烈な悪態をついてきたグレイス。


 展示会という言葉に疑問を持った私は、駅前広場に視線を移した。他のメーカーに混じって、ラクラル社の車が出展されていたのを発見した途端、彼女がいる理由に合点がつく。


 の展示会なら、ラクラル社が出てくるなんて予想できたはずなのに、なんで見落としてたんだろう……。


 肩を窄めて落胆していると、グレイスに向かってスティーブさんが一歩前に出てきた。


「なんだお前? こっちは娼婦の展示会を邪魔した覚えないんだけど?」


「伯爵令嬢相手に娼婦とは、不躾もいいところだわ」


 スティーブさんの挑発じみた発言にも、眉ひとつ動かさずにグレイスが私を一瞥する。


「ま、社交界で醜聞だらけのマエルなんか、こんな“羞恥心のカケラもない庶民”くらいがお似合いよね。大体、こんな大勢が集まるフェアに顔を出してる時点で図太いけど、尻軽女は男を変えるのが早くて感心しちゃうわ」


 スラスラと流暢に責めてくるグレイスの勢いが止まらない。


 彼女は学園時代の時からそうだった。気に入らない令嬢がいると、口を挟む隙を与えないほど猛烈な罵声を浴びせて黙らせる。

 胸騒ぎがしてならない私の隣で、不機嫌そうに口元を引き攣らせたスティーブさんが「は?」と端的に返す。


「貴方、マエルの彼氏なんですってね。なら、マエルがどんな経緯でキリアンから婚約破棄されたのか、知ってて付き合っているのでしょう?」


「もちろん知ってるさ。それが、そこにいるの思い込みが招いた、見切り発車だったってこともな」


 スティーブさんが、凛とした表情で間髪入れずに返すと、グレイスはチッと舌打ちをして、長い脚を交差させた。揶揄されたキリアンは戦意喪失しているのか、彼女の後ろで完全に沈黙している。


 あのグレイスと、スティーブさんが対等に渡り歩いてる……!


 キリアンと対峙した時からそうだった。その肝が座った落ち着きようは、とても感情的に振る舞って生きてきた人とは思えない。

 ところが、そんな彼に対して、グレイスは不気味な笑みを浮かべて口を開いた。


「私のの美貌を僻むのは構わないけど、もう少し言葉を慎んで頂きたいわ」


「婚約者?」


「ふふふ、今日正式に婚約を発表する予定なの。展示会の場を借りてね」


 よく見るとグレイスの左手薬指には、大きなダイヤの指輪が嵌められていた。キリアンが渋った表情で、左腕をサッと背後に隠す。


「それより、ずいぶんとマエルに入れ込んでるようだけど、貴方が思っているほど、その女は清純じゃなくってよ?」


「……何が言いたいんだ?」


「そこの女は、人の大切な恋人を掠め取る小悪魔なの。そんなこともご存知なかったのかしら?」


 グレイスは、まさかを今ここでするつもりなの……?

 

 唇をグッと噛んだ私を、横目でチラッと見たスティーブさんが、再びグレイスに視線を戻す。


「さぁ、何のことだかサッパリわからん」


「あら〜マエルったら、やっぱり自分にとって都合の悪いことは黙ってたのね。性悪女の常套手段じゃない」


 首を傾けてニヤリと微笑むグレイスに、スティーブさんの額には、メキメキと青筋が浮かび上がっていた。


「さっきから回りくどいんだよお前……言いたいことがあんなら、ハッキリ言いやがれッ!」


 彼の表情が段々と曇ってきたかと思いきや、グレイスは細い指を鼻に添えて「ふふふ、お望みなら話してあげるわ」と笑った。しかし、その瞬間。


「待ちな」


 しゃがれた声が背後から聞こえてきた途端、スティーブさんと私が振り向く。すると、私達を取り囲んでいた群衆の中に、口をへの字に曲げたテレさんが杖をついて立っていた。


「今日はお祭りだよ。陰気臭い話なんざ、もうその辺にしとくんだね」


「ばあちゃん……」


 今度はそこへ、トレイに飲み物を乗せた女性店員が辿々しくテントから出てきた。


「あ、あの〜。これは休憩ブースまでお運びして、宜しかったでしょうか……?」


「あ、お手数ですけど、お願いします!」


 帽子を拾いつつ店員に指示した私は、あっけらかんとするグレイスとキリアンに構わず、スティーブさんの腕を引っ張った。


「テレさんもああ言ってるし、もう行こ?」


「へ? お、おう……!」


 不完全燃焼な面持ちでテレさんの元に歩き始めたスティーブさん。ところが、彼の肩をグレイスが掴んできた。


「ちょっと待ちなさいッ! まだ話は終わって――」


「うるせぇ触んなッ!」


 スティーブさんが勢いよく腕を振り上げた瞬間、「きゃッ!」と驚いたグレイスの手首から、ホワイトパールのアミュレットが地面に溢れ落ちた。

 ハッとした彼女が慌てて拾ったけど、それを見た私は目を疑った。


 あれは正に、安産祈願のお守りだから。


「グレイス、それって……」


 立ち止まった私から小声が漏れる。

 グレイスはアミュレットを胸の谷間に仕舞いながら、私を睨みつけてきた。


「な、何見てんのよッ! 帰るのなら、さっさとここから立ち去りなさいッ!」


 態度を急変させたグレイスの、甲高い声が鳴り響く。ビクッと身体を縮こませた私の手を、スティーブさんが握りしめた。


「マエル、あんな奴らほっとけって」


「う、うん……」


 テレさんと合流した私達は、気不味そうに黙り込んだグレイスとキリアンを尻目に、群衆を掻き分けて休憩ブースへと向かった――。

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