20.再会(マエル)

 窓から差し込む陽かりに起こされた私。

 スティーブさんの家で過ごす、最後の朝となる時刻は7時。そして、すぐ異変に気付く。


 あれ……?

 私、ベッドで寝てたっけ?

 なんだろ、頭痛い……。


 寝たフリから起きて、最後は彼のズボンを脱がせようとしていたところまでは、何となく覚えている。けど、その先の記憶が定かでない。“神秘的な象徴”を拝んでいたような気がする。


 あ、そうか!

 全部……夢だったんだ!


 現実でスティーブさんにあんな酷いことしたら、愛想尽かされちゃうよね。まったく、寝たフリから始まる夢なんて、ホント紛らわしい。


 でも、あの神様的なは……一体何だったんだろう。夢でまた、逢えるのかな。


 気を取り直して隣を見遣ると、スティーブさんが仰向けで眠っていた。彼の唇はちょっと腫れており、私も少しだけヒリヒリする。はしゃぎ過ぎた。


 ふふ、可愛い〜。


 絆創膏を貼られているのがお茶目に見えるくらい、うっとりしてしまうほど可愛い寝顔。思わず笑顔が溢れる。

 幸せの余韻を忘れないよう、彼の唇にチュッとキスをする。


「おはよう、スティーブさん……朝だよ?」


「ん……ん〜?」


 なかなか起きそうにない彼の身体を、ゆさゆさと揺さぶる。


「ほら、早く準備しないと、フェアで遊ぶ時間なくなっちゃ――」


「ぐはッ、そうだったッ!」


 いきなり毛布をバサッと跳ね除けたスティーブさんはベッドから飛び降りるなり、のスウェットを脱ぎ始めた。

 

 およ?

 ネイビーなんか着てたっけ?


「ちょっとストップ、ここで脱がないでッ!」


 柄のパンツまで脱ぎそうになっていた彼を制止する。振り返った彼が「あ、ごめん」と額に手を当てた。


 およよ?

 ストライプ……だったっけ?


「早る気持ちはわかるけど、包帯と絆創膏も取り替えなきゃいけないから、少し落ち着いて?」


「そ、そっか! うん、分かった」


 元気になったのは良いけど、彼が怪我人であることを忘れてはいけない。ソファに座らせた彼の処置を始める。

 その間、やっぱり昨晩に起きたことが“本当に夢だったのか”という不安が拭い切れなくて、質問してみた。


「スティーブさん、ちょっと訊いてもいい?」


「ん、どしたー?」


「あのさ、昨日の夜の最後って、私とキスしてから寝たんだよね……?」


「うん、そうだよ!」


 はいはいはい、だよね!?

 やっぱそうだよね!?


「それから、1回も起きてない……?」


「起きてないよ! 朝までグッスリさ! しかもマエルがチューで起こしてくれたから、気分はマジ最高だよ!」


 スティーブさんは満面の笑みで両腕を広げて答えてくれた。その言葉によって嬉しさと確信が生まれ、心の底から安堵する。


「んで、それがどしたの?」


「ふふふ、ううん……何でもないよ〜」


 なんだ、本当に良かったぁ〜。

 心配して損しちゃったよ。


 彼の服に感じた違和感も“夢と現実の区別が曖昧になってだけだったんだ”と自分に言い聞かせる。


 こうして処置を終えた私達は、2人揃ってダイニングへ出た――。


「ずいぶん遅かったじゃないか」


 ダイニングへ入るや否や、テーブルに座るテレさんが突っ込んできた。彼女はすでに身支度を終えて、サンドイッチとスープまで作って待ってくれていたみたい。

 テレさんが起きるまで余裕があると思っていた私が、焦って謝る。


「す、すいません、朝食まで用意して頂いて……」


「ばあちゃん早いな。何時から起きてたんだ?」


 続いてスティーブさんが問うと、テレさんは「5時だよ」と無表情で答えた。


 は、早過ぎる。

 出かけるの、心待ちにしてたのかな。

 まさか、寝室覗かれてないよね?


 その後は、大急ぎで服を着替えたりメイクしたりでドタバタした。途中、履いていたショーツに違和感を覚えたけど、気にしてる暇なんてなかった。


「出発するよー」


「は〜い!」


 支度を済ませた私達は車に乗り込み、ペンモントンへと出発した――。


 フェアの会場となるペンモントンまでは、スティーブさんの予想で1時間くらいかかるらしい。彼は浮かれているのか、ノリノリでハンドルを握っていた。


 そんな中、後部座席でテレさんの隣に座る私の心境は、超複雑。やっぱりテレさんも、私とスティーブさんの交際をよく思っていない感があるから。

 今朝、彼の怪我の具合は訊かれたけど、意外にも夜のことまでは探られなかった。今も黙って窓の外を眺める彼女が、何を考えているのかすごく気になる。


「男ってのは、どうして冒険するのが好きなんだろうねぇ」


 いきなり嘆息気味な口調で疑問を発するテレさん。咄嗟に「あはは、そうですよね〜」と反応した。


 テレさんの口数が少なかったのは、スティーブさんが祭りで無茶しないか、心配してただけだったのかな?


 本音を言えば、彼には家で安静にしていて欲しいところ。男の人は好きなものを前にすると、周りが見えなくなるというか、なんというか。

 スティーブさんが陽気な面持ちで振り向く。


「何だよ2人とも、まだ俺の怪我のこと心配してんの!? こんなピンピンしてるのに!」


「いいから前向いて運転しろ馬鹿タレ」


「はいはい〜!」


 昨日あれだけ大怪我して帰ってきたのに、今は何事もなかったかの様にケロッとしている彼は、早く展示会を観たくてウズウズしている様子。

 すると、不意にテレさんが私に視線を送ってきた。


「コイツの暴走を止めれるのは、アンタしかいない。頼んだよ」


 妙に真剣な表情で頼まれて「は、はい」と簡単に頷いた――。

 

 ペンモントンでは前日に雪が降っていたらしく、スティーブさんは途中で滑り止めのチェーンをタイヤに履かせた。


「て、手がヤバいくらい冷てぇーッ!」


「カイロあるよ、スティーブさん」

 

 それから少し走って目的の祭り会場に到着すると、すでに街は賑やかな祭り色でいっぱいだった。

 

 駅前広場から大通りにかけて車の進入は封鎖され、高層建物と露店が立ち並び、朝だというのに大勢の人がごった返している。

 車内から眺める人々はみんな笑顔で、年末の華やかな雰囲気を楽しんでそうに見えた。首都からも近く、さすがは栄えた街といった感じ。


「お、あそこなら1台停めれそうだな!」


 臨時に設けられた駐車場に、スティーブさんが空きを見つけて車を停める。先に降りた私が反対側に回ってドアを開け、テレさんの降車を補助した。


「雪で滑るから、足元気をつけて下さいね」


 杖を出して突いたテレさんが、私をじっと見つめる。


「アンタ、そのナリだと逆に浮くんじゃないのかい?」


「え、そうですか!?」

 

 私の格好は、グラサンをかけてチェックのマフラーで顔半分を覆い、長い髪は纏め上げて帽子の中に隠している。

 知人から悟られないための変装だけど、テレさんから“隠し過ぎてむしろ目立つ”と指摘されてしまった。確かに、街の中にそこまで顔周りを重装備する人など見当たらない。


 う〜ん、さすがにグラサンだけは外しとこ。

 帽子だけ目深に被れば大丈夫かな。


 そう思いつつ辺りを見渡していたら、カップルが多いことに気付く。堂々と手を繋いで歩いたり、人目も憚らず抱き合っていたりしていた。


 いいなぁ……。


 まだスティーブさんと微妙な関係の私。他のカップル達を羨ましがるように眺めていた。

 そこへ、私の左手を誰かがそっと握ってきた。振り向いたら、スティーブさんが目を糸の様に細めて笑っていた。


「行こうぜ、マエル!」


 別の方に気を取られていたテレさんを、チラッと見た彼がウィンクする。彼女に対して“カップルを演じよう”と伝えてきてるみたい。


 仮初とはいえ、つい嬉しくなった私は「うん!」と返し、グラサンを仕舞って、彼と指を絡ませるように手を繋いだ――。


 ペンモントン侯爵が主催者となる壮大なフェアには、様々な出店のテントが展開されている。


 ミンスパイやプディング、焼き栗、ジンジャーブレッドなどの伝統的な祝祭食品があったり、娯楽となるゲームにはクジ引きや射的の他にも、占いや人形劇などもある。

 街中の人々は大人から子供まで、全てを忘れるかのように楽しんでいた。


 お目当てとなる車の展示会は、雪の影響を受けたせいかまだ準備中。私達もみんなに混ざって、色んなものを食べ歩きながら、ゲームなどに興じていた。


「だから何で根元を撃つんだ馬鹿タレッ! 普通に考えりゃ、上に当てた方が倒れやすいって分かるやろがい!」


「そんな簡単じゃないっつの! 気が散るから黙ってろって!」


 お祭りだというのに、相変わらず2人がコントを繰り広げてくれるおかげで、私はお腹が割れるくらい笑いが絶えなかった。


 そんな中、スティーブさんが私の肩を叩いてきて、アイス売り場を指差した。


「マエル、アイスクリーム食べない!?」


「えぇ、お腹壊すよ!?」


「大丈夫だって! ちょと行ってくるわ!」


 忠告も聞かずにアイスを買いに行ってしまった彼は、木製スプーンが添えられたカップアイス片手に、子供のような笑顔で戻ってきた。

 早速一口食べたスティーブさんが、目をギュッと瞑って「ちめて〜!」と声を漏らす。


「こんな寒いのに、よく食べられるね……」


「ははは! こういう時じゃないと買えないし、寒い時期に食うのもいいもんだよ! 食べる?」


 バニラアイスをすくったスプーンを差し出された私は、若干迷いながらも答えた。


「え〜? んー、食べまん」


「え、え、え、どっち!?」


 戸惑う彼が持つスプーンに、口元のマフラーを下げてパクリと不意打ち気味に食らいつく。その冷たさに一瞬驚きながらも、濃厚でクリーミーなバニラの甘い香りが、口いっぱいに広がる。


「結局食うんかーい!」


「ふふ、美味しいねこれ!」


 こんな些細なやり取りでも、本物のカップルのようで、すごく幸せな気分だった――。


 今度は、輪投げのテントを見つけたスティーブさんが「次あれやろうぜ!」と誘ってきた。


 いくつかある木の棒に、一定の距離から輪を投げ入れる単純なゲーム。棒には番号が振られており、それに応じた景品を手に入れることが出来る。中にはマルキ産の高級ワインまであった。


「3回で9ペンスねー」


「あいよ!」


 お金を払ったスティーブさんが店主から3つの輪を貰うなり、異変を見つけたかのように片眉を上げる。


「ちょちょちょ、おいオッチャン! この輪っか、やたら小っさくねぇか!?」


「何だ兄ちゃん、自信がないならやめときな! 金をドブに捨てるだけだぜ!」


「今更退けるかってんだッ! 絶対あのワイン頂いてやるからな!」


 意気込んだスティーブさんが、ワインの番号が振られた棒を目掛けて構えた。


 これ、ちょっとインチキなお店なんじゃ……。


 彼の後ろ姿を見ていた私とテレさんが、目を合わせて首を振る。そんなテレさんの手にはいつの間にか、リンゴを発酵させたホットシードルというお酒の入ったグラスが握られていた。


「ちょ、テレさんダメですよ……お酒なんて」


 薬を服用している身体にアルコールは禁物。ところが、目を疑って心配する私をよそに、彼女はクイッとグラスを飲み干してしまう。


「何言ってんだい! こんな日に飲まないで、長生きなんかしたかないよワタシゃ。はい、これ返しといて」


 空いたグラスをポンと手渡され、目をパチクリさせて呆然とする私。テレさんの暴走を止められる人は、どこにもいない模様。


「はいおめでとうッ! これ景品ね」


 あ、何か獲れたのかな?


 店主の声がしてスティーブさんの方を見てみると、無表情で佇む彼の手には、ワインではなく“ミニチュアの車”が乗せられていた。


「お、おう……これ、めっちゃ欲しかったヤツ」


 子供用のおもちゃを前にして、負け惜しみを口にするスティーブさん。すると、隣で輪投げをしていた10歳くらいの少年が、彼が持つおもちゃを羨望の眼差しで見上げていた。どうやら同じものを狙っていたらしい。

 スティーブさんがニコッと微笑んで、少年の前にしゃがみ込む。


「ほら、これやるよ」


「え、いいのー!?」


「ああ、何回も失敗してただろ? これ持って、かあちゃんに自慢してきな」


 傍でやり取りを傍観していた私は、彼の優しさ溢れる笑顔にきゅんとなっていた。


 おもちゃを貰った少年が、満面の笑みで「うん、ありがとう!」と言って走り去っていく。その行方を優しい瞳で見送る彼の腕に、私はそっと抱きついた。


「ふふ、最初からアレ狙ってたんでしょ?」


「いや、1発目はガチでワイン狙って外しちまったんだ、はははは」

 

 本当、正直な人――。


 歩き疲れたから休みたいというテレさんを、テーブルが並べられた休憩ブースまで連れてきて座らせた。彼女をスティーブさんに任せた私は、グラスを返しに行くついでに飲み物を買うことにした――。


 飲み物の出店まで歩く足取りは軽く、とても清々しい気持ちだった。このフェアに来るまでは、不安の方が全然強かったのに。

 スティーブさんは言うまでもないけど、今のところはテレさんもお祭りに高揚しているみたいで安心した。これ以上のお酒はダメだけど。


「いらっしゃいませ〜」


 お店に着いてメニューを眺めてみる。色んな種類があったけど、カモミールの文字に目が止まった。


「えっと……ソーダを1つと、カモミールを2つ下さい」


 アルコールの分解には十分な水分補給が必要。

 ハーブティーであるカモミールにはカフェインが入っていない。アルコールが巡る体をリフレッシュさせるには、リラックス効果を含めて適している。


「はーい、少々お待ち下さいね!」


 気さくな女性店員が準備してる間、財布を持ちながら待っていた私。ところが。


「おや、マエルじゃないか……?」


 突然――背後から聞こえてきた“覚えのある声”に、心臓が止まりそうになる。


 う、嘘でしょ?

 変装してるのに、どうして……。


 前を向いたまま少しだけ首を回して、肩越しに背後を見遣る。そこには、私をじっとりと見つめる1人の男性がいた。


 ミディアムのサラリとした茶髪に、鼻筋の通った端正な顔立ち。煌びやかな装飾をあしらった黒いスーツに身を包んだ、スラリと高身長なその人は。


 元婚約者のキリアンだった――。

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