17.アレ(マエル)

 夕食後、入浴と寝る前の支度を整えた私が、タオル片手にリビングへ戻る。時刻はすでに10時前になっていた。

 すると、スティーブさんとテレさんがソファで向かい合い、何やら深刻な面持ちで話をしていた。


「分かったなら、とっとと寝室で休みな」


「……ああ」


 何の話をしてたんだろうと首を傾げていたら、テレさんと目が合う。


「さて、ワタシも風呂に入るか。アンタらは先に寝てていいよ」


「あ……私、付き添います!」


 彼女一人の入浴が心配でそう言うと、テレさんが口をへの字に曲げた。


「そこまで老耄おいぼれちゃいないよ。明日も早いんだ。いらん心配してないで、ワタシが風呂入ってる間にちまえ」


「だから際どいって、ばあちゃん」


 テレさんの下っ腹を締め上げるような過激発言には、ようやく心臓も慣れてきていた私。でも、今のは際どいどころか、完全にアウトだと思う。

 

 さすがに冗談だろうけど、テレさんなりに私を認めてくれてるのかな……?


 少し照れながらも、彼女が部屋を出て行くのを見計らい、元気なさげに俯くスティーブさんを見遣った。


「テレさんに、何か言われたの……?」


「いや……何でもないよ」


 らしくもない静かな声が、余計に不安を煽る。途端、彼はテーブルに両手をついて立ち上がった。


「ばあちゃんの面倒は俺が見るから安心して。マエルは髪が乾いたら、先に寝室へ行っててくれ」


「う、うん……」


 表情も暗く、覇気を失ったスティーブさんが浴室へ向かって行く。さっきまで祭りのことで浮かれていたのに、まるで別人みたい。

 私が入浴中に、一体何を話したのか気になって仕方ない。

 

 誰もいなくなったリビング。

 ストーブの中で燃える炭がチリチリと鳴く音だけが、虚しく響いている。


 なんだろう、スティーブさんが元気ないと、すごい寂しい気分になる……。


 椅子に腰掛ければ、自然と蘇ってくる彼の笑顔。


『今の君にとって、ピッタリな場所へ連れて行ってあげる! ――』


 明るくて、優しくて。

 側にいてくれるだけで、荒んでいた心が癒された。

 海から地元に帰ってきても、離れたくないと思えた。


 そして今も尚、“明日なんて来ないで欲しい”と切に願う自分がいる――。



 寝室に入って閉めた扉に、そのまま寄りかかる。


「はぁ……」


 モヤモヤを吐き出すような溜息を漏らし、2人掛けソファを見つめた。


 今日はスティーブさんにベッドを使ってもらって、私がこっちに寝よう。


 そう思いながらベッドに視線を送ると、足元の膨らみに気付く。めくってみたら、やっぱり湯たんぽが置かれていた。夕食前に回収したはずなのに、またここに置かれている。多分スティーブさんは、あんな怪我をしていてもソファに寝るつもりらしい。


 怪我してる時くらい、ベッドでゆっくりして欲しいのに……。

 

 ソファへ座り、すぐ隣にあった毛布を手に取る。それを膝がけにしようと広げた瞬間、毛布の間から“紙箱のような物”がポトリと床に落ちた。


 ん?


 それを拾い、月明かりだけが頼りの暗い中で、目を凝らしてよく見ると――箱には[family plan for men]と書かれている。


 ふぁ、ふぁみりーぷらん?

 え、これって、もしかして……。

 

 ひっくり返して裏面を見てみると、原材料の欄に[latex]という天然ゴムの素材表記が。さらに、誰かの手書きで[good luck!]とも記されていた。


 ハッとして開いた口を、即座に手で塞ぐ。


 こ、これ、絶ッ対テレさんが用意しただよね!?

 スティーブさんが隠してたら、見つかることを回避するために、先に私を寝室へ行かせるはずないもん……!


 え、そもそも誰宛に置いたの!?

 テレさんなら、スティーブさんが私にベッドを譲ること想定してもおかしくないから、やっぱり彼に向けてだよね!?


 突如出現した避妊具を目の当たりにして、頭がパニック状態に陥いる。それでも、胸に手を当てながら一旦大きく深呼吸し“落ち着け私!”と心中で唱えた。


 思い起こせば、入浴を終えた私がリビングに戻ってきた際――2人の間に流れてた神妙な空気に、すごい違和感を感じていた。


 あの時、私がその場にいないのを良いことに、何か“よからぬこと”をやり取りしていたりして……。


 スティーブさんは、テレさんに対して“恋人のフリがまだバレてない”と思い込んでるはず。だけど、実は私に黙って2人で口裏を合わせていたとしたら。


 そんな予感がした私は、看護師試験並みに頭をフル回転させて、妄想してみた――。


『明日マエルが帰るってことは、今日が夜這いのラストチャンスじゃないのかい? スティーブ』


『いやその言い方やめろ。ラストチャンスっつったて、そんな襲うようなマネ出来るかよ。俺は怪我だってしてるんだし……』


『何情けないこと言ってんだこの馬鹿タレッ! その怪我で祭りに行けるってんなら、言い訳にならんやろがい!』


『そ、それとこれとはワケが違うだろ……!』


『やかましいわ。とりあえず、既成事実さえ作っちまえばこっちのもんさ。ワタシの目から見ても、マエルがアンタに惚れてんのは確かだ』


『あのなぁ――』


『とにかく、令嬢がウチに来る機会なんて、滅多にないんだ。あの子は絶対モノにするんだよ。いいね?』

(テレさん……妄想の時くらいは褒めて下さい)


『う〜ん』


 このタイミングで私がリビングに入ると。


『分かったなら、とっとと寝室で休みな』


『……ああ――』


 ひゃ〜、ちょっと待ってどうしよッ!?

 なんかめっちゃスムーズに繋がっちゃったし!


 ってことは、スティーブさんが元気なさそうに見えたのも、これから私を誘うことへの緊張が、顔に出ちゃってたから……!?

 それで私と2人きりになるのが耐えきれなくなって、少し強引に『テレさんの面倒を見る』とか、口実を作ってたのかも。

 次いで、ソファにあった避妊具は、テレさんの気の利いたサプライズ的なモノで、彼がその存在を知らなかったとしたら……きゃー!


 暴走した妄想が膨らみ過ぎていた私は、毛布を丸めてギューッと抱きしめた。


 えーどうしよ、本当にするのかな……。


 初夜を経験した令嬢の友達から聞いた話では『痛すぎてヤバかった。しかもよく分かんないうちに終わった挙句、先に寝られて超キレそうになった』と、怒り顔で苦言していた。


 私自身、そういう行為自体がどう進行するかは、お母さんから大人の知識として教わっている。


 とはいえ、男性のをちゃんと見たことなんて、幼い頃、プールで遊んでいた時に一緒にいたキリアンの水着が脱げた瞬間のみ。


 でもでも、、あんなちっちゃい球根みたいな訳ないよね!?


 他の友達に至っては『内臓ズレるかと思った』とか言ってたし、そんなに成人男性のってすごいのかな……。

 考えれば考えるほど、期待と不安が混雑した変な気持ちになっていく。

 

 それにしたって、ちょっと早過ぎない!?

 まだ正式に付き合ってすらないのに。

 大体、彼怪我人だし……。

 でも、庶民の人達は普通なのかな?

 

 一応、こんなこともあろうかと、純白でフリル付きの可愛い下着にはしてるけど……。


 突然――ガチャっと扉が開き、スティーブさんが無言で入って来た。


「いやぁぁぁッ!! ノックくらいしてッ!!」


 死ぬほど焦った私が、咄嗟にをお尻の下に潜り込ませる。半開きの扉に手をかけていた彼が、瞼をパチクリさせた。


「ご、ごめん! とっくに寝てるかと思ってさ」


「もう〜、あなたより先に寝る訳ないでしょ? テレさんは?」


 扉を閉めた彼が「もう寝たよ。待たせてごめんな……」と、苦笑いを浮かべながらベッドの前に立つ。

 ドキドキと心臓が破裂しそうなのを、平然を装うかのように話しかける。


「ま、待つくらい平気だよ! 今日はスティーブさんがベッド使ってね。私がソファに寝るから」


「いや、いいよ……昨日寝てみた感じ、やっぱ体勢キツいからさ」


「なら尚更、怪我人をソファに寝かせるわけにはいかないでしょ?」


 下から見上げるように彼を見つめる。すると、困り顔をした彼は腕を組んで、ベッドに視線を落とした。


「じゃあ、ベッドで一緒に寝ちゃおっか? なんちゃ――」

「寝ます」

「――って……んんッ!?」


 パッチリと目を見開いて、驚きを隠せない様子のスティーブさん。


「あ、あなたが良ければ……一緒に


 敢えて“寝たい”と告げていた私。


 妄想で心の準備が整っていたのもあるけど、こういう時、昔からあまり素直に願望を言える性格じゃなかったから、自分でも少しビックリした。

 そこへ、しばらく間を置いた彼から「マジ……?」と問われ、恥じらうように目を逸す。


「ほ、ほら! 昨日の湯たんぽは有り難かったけど、私もベッドで寝た感じ、朝はやっぱ寒かったからさ! 一緒に寝た方が、お互い“あったかいかなぁ〜”なんて……」


「俺は良いけど、これシングルだぜ? かなり密着しちゃうし、本当にいいのかい?」

 

 ベッドはシングルサイズだから、2人で寝るには手狭感がすごい。それでも、再び彼の瞳を見た私は退かなかった。


「せ、背中合わせにして寝る、ってのはどう……?」


「お、おう、そうしよっか……うん!」


 辿々しく口籠ったスティーブさんが、おもむろにベッドへ腰掛ける。そして、ソファに座る私と対面になるなり、張り詰めた表情で、


「こっち……おいでよ」


 と囁いてきた。


「……うん」


 小さく頷いた私も、彼の隣にほんの少しだけ距離を置いて、ちょこんと座る。ソファの背面上部にあった壁掛け時計が見え、時刻は11時を回ろうとしていた。


 しかし、ここで致命的なミスが発覚。


 ソファの座面に――思いっきり置いて来ちゃってる。


 し、しまったッ!!


 と、気付いても時すでに遅し。


「……何だあれ?」


 アレを発見したスティーブさんが、訝しんだ目で前傾姿勢になり、大きく手を伸ばす。そして、取り上げた箱のをじっくりと見つめた。


「こ、これはッ……ゴムッ!」


 箱の正体を知った彼がゆっくりと首を回し、血の気が引いていく私の横顔を凝視しながら「マエル……」と、複雑な面持ちで呟く。



 オワた。



 完全に“私が用意した”って、勘違いされたっぽい。即座に彼を直視できなくなった私は、震える両手で顔面を覆った――。

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