16.親友とは(マエル)
はぁうッ……!
彼の肩に顎が乗った途端、少しだけ呼吸が停止してしまった私。いきなりの抱擁に、かぁ〜と耳が熱くなりながらも、ゆっくりと彼の背中に腕を回す。
……嬉しい。
幸せを噛み締めようとしたのも束の間、スティーブさんはすぐにフッと離れてしまった。
「マエルって、ホンットに良い子だよな」
えッ!?
もしかして、ただの
「あ、ありがと……」
やだ、もっと抱きしめて欲しかったのに……。
何も言えずに不貞腐れて、少しだけ口をムーと尖らせる。すると、残念がる私の頭に手を乗せたスティーブさんが、ワシワシと撫でてきた。
「さ、行こ! いつまでもばあちゃん待たせてると、また怒鳴られちまうからさ」
「うん……」
彼の後ろにピッタリくっついて、ダイニングへと移動する。彼の足取りは、帰ってきた時よりしっかりしてきたみたい。
まだ鬼の形相を浮かべるテレさんが、人差し指をトントンさせて待っていた。スティーブさんが、向かい合わせに座り込む。
「な、何か飲みます……?」
気不味い雰囲気の中、私が尋ねる。
「……じ、じゃあ、ホットミルクもらおうかな」
と、まるでヘビに睨まれたカエルのように緊張した顔をするスティーブさんが注文する。テレさんにも視線を送ると、“ワタシはいらん”という感じで、軽く首を振ってきた。
キッチンに立ち、小さめの鍋にミルクを注いで火にかける。静まり返るダイニングから、2人の会話が聞こえてきた。
「何ビビってんだい。これから説教してやろうとしてんのに」
「いや、だからビビってんだけど……。マエルから全部聞いたんだろ?」
「聞いたさ。あれほど『エンゴロとは付き合うな』と忠告したはずだったのに、忘れちまったんかい? 鶏かアンタは」
「親から『付き合うな』なんて言われて、そう簡単に友達と縁を切れるやつなんていないよ……」
「結局ボコされとるやないかい、この馬鹿タレが」
「うッ……」
話を聞いてると、テレさんは昔からエンゴロさんの人柄が、あまり好きではなかったみたい。
スティーブさんはエンゴロさんの頼み事に応えてあげたりしてたのに対し、エンゴロさんは彼が頼み事をしても、何かと理由を付けて断ってきていたそう。
「アンタがリスドンへ引っ越す時も、奴は手伝うどころか顔すら出さなかった薄情モンだろうが」
「あ、あれはただ『仕事が忙しい』って、ちゃんとした理由があったから」
「ふん、関係ないね。本当の親友なら、どんなに忙しくても合間を見つけて来るもんだ。違うか?」
ダイニングに戻った私が、ホットミルクの入ったカップをスティーブさんの前に置く。彼は神妙な面持ちで黙り込んでおり、テレさんからの問いに答えられないようだ。
椅子に座らず見守ろうとしたら、テレさんは顎を指して「マエルもスティーブの隣に座りな」と促してきた。
「それで? エンゴロを追跡した先で何があったのか、詳しく話して貰おうじゃないか」
私が席へ着くなり、ついに話題はスティーブさんが怪我を負った経緯へと移り変わる。すると、彼はゆっくりと顔を上げて話し始めた。
「朝イチからエンゴロの家を見張ってたんだけど、昼過ぎまで何も動きはなかったんだ。でも、それから一人の男が車で来て、エンゴロを乗せてホルムに向かったんだよ」
「また治安の悪い街に行ったもんだね」
「ああ。それで、2人が地下クラブに入っていったから、俺もバレないようについて行ってさ。中でエンゴロ達の会話を盗み聞きしてたら、“株の話を持ち込んで馬鹿を騙す手口”の話をし始めて……何というか、ついカッとなっちまったんだ」
語りながらも、徐々に渋い表情へと変わってくスティーブさん。
彼はその後、複数人の男達に取り押さえられて、暴行を受けてしまった。店の外に投げ捨てられた彼はしばらく動けない状態が続いたけど、意識を取り戻して車へ戻り、何とか運転して家に辿り着いた――と、ホットミルクのカップを握りながら話し終えた。
隣で聞いていた私は、はらわたが煮え繰り返る思いでいっぱいだった。悔しさに胸が詰まる。
許せない……酷すぎるよ。
そこへ、テレさんが大きな溜息を吐きつつ、椅子の背もたれに寄りかかった。
「エンゴロって奴の本性が、もう分かっただろう? いくらガキの頃から付き合いが長くたって、アイツはお人好しのアンタを利用してただけだ。本当の親友ってのは、“困った時に頼まなくても助けてくれる友人”のことを指すんだよ」
スティーブさんが眉間に皺を寄せて、うんと頷く。
テレさんの話す言葉は、私の心にもヒシヒシと響いた。
親友と思える友達はいても、いざ自分が困った時に“面倒ごとを持ち込んで迷惑をかけてしまう”という思いが先行して、上手く相談が出来ないから。
「今回の件は、私に責任があるんです。ちょっとかじった程度の株知識を、彼に吹き込んでしまったから。送り出す前から、もっと慎重になるべきでした……本当に、ごめんなさい」
頭を下げた私に向けて、テレさんは首を横に振った。
「マエルが自分を責めるのはお門違いだ。問題はコイツの方にあるんだから」
「ああ、俺が馬鹿だったんだよ、マエル。ばあちゃんの言うことをちゃんと聞いてれば、こんなことにはならなかったのに……」
「人は時代の流れと共に、どんどんと狡猾になっている。無闇に人を信じて渡り歩けるほど、世の中甘くないんだよ」
ションボリとしたスティーブさんが黙って頷く。
正直、とても複雑な気持ちになった――彼が無闇に信じてくれたからこそ、救われた私がここにいるから。
けれど、テレさんの言ってることも間違ってない。人の良心に付け込む、悪い人が増えてるのは事実だし。
とはいえ、エンゴロさんの『騙される方が悪い』なんて理屈、絶対おかしい。
「……でも、やっぱり50ポンドは取り返したいんだ」
落胆した顔でスティーブさんがそう言うと、テレさんはフッと頬を緩めた。
「んなもん、返ってくるわけないだろう? 大体、たった50ポンド程度でワタシが満足すると思ってたんかい。贅沢して欲しいってんなら、2000ポンドくらい用意せんか!」
冗談なのか本気なのか分からないテレさんの言い振りを最後に、エンゴロさんとの一件は“手痛い勉強代”として片付けられる運びとなった。
スティーブさんは腑に落ちない様子だったけど、私としても、彼にはこれ以上エンゴロさんと関わって欲しくないと思った――。
話が落ち着いたところで、やっと夕食を食べ始めた3人。
「うんまッ!」
相当お腹が空いていたのか、スティーブさんがビーフシチューを“これでもか”とばかりに頬張っている。
そんな彼を呆れ顔で見つめていたテレさんが、持っていたスプーンを下ろした。
「とりあえずその怪我じゃ、明日の祭りに行くのは止めといた方がいいね」
何も知らない私が「お祭り?」と聞き返したら、スティーブさんは慌てたのか、ノドに詰まったシチューを流すように、ドンドンと胸を叩いた。
「ング……な、何言ってんだよ、行くに決まってんじゃんッ! ずっと楽しみにしてたんだから!」
年末の暮れになると、ペンモントンで『聖夜祭』と呼ばれるお祭りが朝から開かれる。街中が星やリボンなどの様々な装飾で彩られ、たくさんの出店が賑わう華やかな催し物。
あー、そんなのあったなぁ〜。
と、子供の頃によくはしゃいでた記憶を思い出す私。
さらに今年は、各自動車メーカーによる“新モデルの展示会”も開催されるらしい。それを車好きとして期待していた彼は「このくらいの怪我、大したことないって!」と、やたら行く気満々だった。
「ばあちゃんだって、お祭りは好きだろ!?」
「何勘違いしてんだい。ワタシとマエルの2人で行くから、アンタは留守番してろやって話だわ」
えッ、置いていくの!?
それに、まさか車の運転も私が!?
「俺置いて行くんかい……」
スティーブさんが死んだ魚のような目で、ガックリと項垂れる。見兼ねた私が割って入った。
「テ、テレさんは心配してるんだよ! 本当なら病院で診察を受けて欲しいんだから。それに、明日は私も家に帰らなきゃいけないし……」
そう……。
寂しいけど、ここに居候させてもらえるのも、明日で最後になる。
「あ、そうだったね! 何時までに帰ればいいの?」
「えっと、夕方までに帰れれば大丈夫だと思うけど」
「なら午前中は平気じゃん! せっかくなんだし、3人で行こうぜ! なぁ、ばあちゃん!?」
キラキラと瞳を輝かせながら、こちらの心配を完全に受け流すスティーブさん。
目を合わせた私とテレさんは、2人して“ダメだこりゃ”といった感じで肩をすくめた――。
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