1.空き巣(スティーブ)

「か、金がないだって!?」


「マジですまん、株が暴落して……全部なくなっちまったんだよ」


 陽が登り、少しずつ街が活気づき始めた朝っぱらから、俺は友人であるエンゴロの自宅前で呆然とさせられた。


「これを見てくれ。これがスティーブから預かった預金で購入した、株の値動きだ」


 左目下にホクロのあるエンゴロが、申し訳なさそうに株の情報誌とやらを開いて見せてくる。

 彼が指をさした銘柄のグラフは、右肩上がりだったものが急激に下へ折れ曲がっていた。


「ば、爆下がりじゃないか……! どうしてこんなことに?」


「元請けのELMっていう鉄道会社が倒産してな。その影響を受けちまったんだと思う。俺も同じ銘柄を買ってたから、一文なしさ……」


 と、エンゴロが脱力したように、情報誌を持っていた腕を垂れ下した――。


 エンゴロと別れて半ば放心状態になってしまった俺は、おぼつかない足取りで自分の車に戻った。

 シルバーのセダンに4人乗りの車へ乗り込み、エンジンをかける。俺の落ち込んだ心情とは裏腹に、相棒くるまの調子は良さそうだ。


「……くそ、どうすりゃいいんだ。全財産だったんだぞ」


 ハンドルを強く握り締めながら、項垂れて呟く。溜息混じりにサイドブレーキを下ろし、ギアを入れてアクセルを踏み込むと、相棒はゆっくりと走り出した――。


 何気なく、いつもと違う道を選んで走る。こんなことしても、大して気は紛ないけど。


 車が登場してからもう10年が経ち、街で馬車に乗る人はめっきり減った。歩道を行き交う人々や、すれ違う車の運転手の顔は、白い息を吐きながらも活き活きとしている。


 みんなが仕事へ向かう中、今一番ドン底な気分なのは、間違いなく俺だな――。


 しばらく進んでいると、路肩に茶色の看板を掲げたコーヒーショップが目に入った。車を路駐して降り立ち、コーヒーを一杯注文する。


「1ペンスです」


 ポケットから小銭をチャリッと取り出す。急に手持ち金が貴重になる感覚に襲われたが、今日だけは自分を許した。


「……あっちッ!」


 寒さで悴む手に伝わるコーヒーの温もり。こんなのに縋るほど、不安になっちまってんだな。

 見上げた空は曇天で、今にも雪が降ってきそうだ。


「ごちそうさま! これ、カップ返します」


「わざわざどうも。今朝も冷えますね」


「ホントそれ! おやっさんも体には気を付けてな! コーヒー、めっちゃ美味しかったっす」


「ありがとうございます。また寄ってください」


 少し体の芯がポカポカしてきたところで、車に乗り込もうとした、その時――路駐した反対側にある、大きな屋敷が視界に飛び込んできた。

 鉄格子に囲まれた広い敷地。その真ん中にある大きな屋敷。あれは確か、カスカリーノ男爵の家だったか。


 ホント、でっけー家だよな……。


 道を渡り、鉄格子越しに“貴族として生まれてたらなぁ”と、羨む感じで屋敷を眺める。俺が失った財産なんて、ここに住む貴族からしたら、微々たるものなんだろう。

 よく見ると、家の前には車が付けられており、住人が乗り込んでる様子。


 これから出掛けるのかな――そう思った瞬間だった。俺の頭がフル回転し始める。


 貴族はお金持ち。

 50ポンドくらいなくなっても、多分痛くない。

 住人は今から出掛けようとしている。

 家から誰もいなくなる。


 ……空き巣イケる。


 咄嗟に屋敷へ忍び込むことを思い付いた俺は、住人が車で敷地を出た後、周囲を見渡しながら鉄格子をよじ登った――。


 っておーい! 


 裏口からすんなりと屋敷に入れちまったぞ……! 

 鍵くらいちゃんと掛けろよ、不用心だなぁ……。


 しかし、勢いで来ちまったけど、引き返すなら今だぞ俺。いや、これは千載一遇のチャンスなんだ。ここまで来たら行くっきゃない!


 とりあえず、後で“戸締りはちゃんとしましょう”って置き手紙で忠告してあげよ。うん。


 照明が消えた屋敷内は、天気の悪さもあって薄暗い。カーペットの敷かれた床。装飾品や調度品類で彩られた、重厚感のある壁。

 俺は初めて見る貴族の屋敷ってやつに、圧倒されていた。


 それにしても人の気配が全然ないな。やっぱり使用人とかも全員不在なのか?

 でも、人目を気にせず物色出来るなら好都合だ……!


 とはいっても、何から手をつけて良いのか分からず、2階廊下から適当に選んだ部屋に入ってみる。

 そこの大きな部屋には、ウッド製の分厚いテーブルや茶革のソファ、キングサイズのベッドがあった。どうやら寝室っぽい雰囲気だ。

 火を消したばかりの暖炉もあり、室温はとても暖かい。


 この部屋にも色々と飾られてるなぁ。


 と、壁にある絵画や銀製の燭台など、目を凝らして眺める。新品の感じはないが、どれも高価そうだ。

 そして気付いたことがある――どれが50ポンドくらいの品なのか、サッパリ分からん。


 あまり高価過ぎるものを盗むのは避けたかった俺。しかし、品定めするがなきゃ、悩むのも当然。


 すると、腰くらいの高さの棚上に、額縁に入れられた一枚の写真を発見する。




 麦畑を背景にバスケットを抱える、とても可愛らしい長髪の女性だ。

 ん〜、なんか見たことあるような気もするけど、この屋敷の娘さんかな?


 そんな時――ふと“写真の女性が悲しむ顔”が思い浮かんできて、無性に自分のしていることが情けなくなってきた。


 何やってんだ俺は……。


 俺が財産を失ったことと、この女性や家族は何も関係ないじゃないか。


 ダメだ。

 やっぱり、空き巣なんて辞めて家に帰ろう。


 正気を取り戻して、邪念を振り払うように首を振り、部屋を立ち去ろうとした。ところが。

 

「だ、誰かいるの?」


 扉の廊下側から聞こえてきた女性の声に、思わずピシッと身体が硬直する。


 な、何ーッ……! 誰かいたのか!?

 え、ヤバい、どうしよう……!?


 “何も盗らずに帰るつもりだった”なんて言い訳、今更通用するワケねーぞこれ!


 ま、窓から逃げるか!? ってここ2階だわ!


 高鳴る鼓動と震える手先。部屋内を右往左往しながら、どうするか必死に考える。


「誰かいるんでしょ? 開けるよ?」


 再び声が聞こえた途端に、俺は反射的に答えてしまう。


「……い、いません!」


 う〜ん、何言ってんだ俺。テンパリすぎて終わったわ。


 我ながらアホすぎる返答に呆れ返っていたら、部屋の扉がキィという音を立ててゆっくりと開き始めた。


 ドクンッ、ドクンッ――迫り来る危機に、心臓がより一層脈打つ。

 そして扉の隙間から、箒を両手で握りしめた女性が、こっちを恐る恐る覗いてきた。


 よく見ると、その人は写真の女性だった――。

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