第12話

 だが、休憩の最中にそれはやってきた。


 遠くから足音が響いてきた。夢遊病患者のようなふわふわとした足音は、ヒトもどきのものだろう。だが、一緒に近づいてくる引きずるような音は何だろうか。


 俺は都寺隊長を見る。様子を窺おう、と隊長は小さく答えた。


 足音はこちらへとゆっくりゆっくりと近づいてくる。俺は、いつでも発砲できるように銃を抱える。


 俺たちの前に姿を現したのは想像通り、ヒトもどき。だが、想像と違ったのは、そいつが正真正銘ヒトを連れていたこと。


 いや連れていたのはまったくふさわしくない。彼らは、意識のない女性を引きずるようにして運んでいた。


 俺は、危うくトリガーを引きかけた。だがすんでのところで、隊長を見た。


 隊長はしばらくの間考え込んだのちに、はあ、と小さくも重い息をゆっくりと吐いた。


「やるしかないでしょうね」


 俺は小さく頷いた。


 近づきつつある彼らは、俺たちがいる方へ――映画館の方へと確実に向かっている。つまりは神様のもとへ連れて行っているのだ。そうして行われるのは、悪夢めいた托卵行為。男性だろうが女性だろうがその腹を食い破り、現れる白いクモ。


 引き金にかけた指に力がこもる。


 かちり。


 衝撃とともに、銃口から弾丸が飛び出していく。高速の弾は、女性の肩を抱いていた右のヒトもどきに命中する。


 ばちゅんばちゅんばちゅん。


 肉が弾ける不快な音とともに、粘着質な白濁液がひび割れた床に飛び散った。


 左側の方を抱えていたヒトもどきが、肩に回していたAK47を手に取り、その銃口をこちらへと向けてくる。その銃口が火を噴く前に、そいつの頭がふっとんだ。


 くぐもった発砲音が、何度か鳴り響くたびに体がぶるんぶるんと揺れた。


 隣の都寺隊長がMP7を構えていた。銃口からは硝煙がくゆる。


「クリア。あの方を連れてこの場から今すぐ逃げましょう」


 ――じゃないと。


 その言葉は、腹の底に響くような揺れと心をわしづかみにするような騒々しい叫びにさえぎられた。




 地下鉄内を震撼させるかのような大音声は、映画館から発せられていた。背後を振り返るまでもなく騒々しい音が聞こえ、扉を粉々にしながら何かが飛び出してきた。


「まずい。その方を――」


 俺は命令されるまでもなく、白濁した液体に身を投げ出している女性に駆け寄る。呼吸を確認する余裕もなかったが、ほんのりと体温があるってことは生きてはいるに違いない。俺はその女性を抱きかかえ、走りだす。


「どこへ!」


 発砲音ののちに、隊長が先行して突っ走っていく。その背中にはリュックがない。おそらくは身軽になるべく捨てたのだろう。俺も見習った方がいいのかもしれないが、そのような余裕はなさそうだ。


 隊長は、俺を先導したかと思えばくるりと背後を振り返り、腐臭を放ちながら追いかけてくる集団に対して、弾丸の雨を降らせている。そのたびに、水の弾ける音何か大質量のものに肉がつぶされ引き延ばされる嫌な音がした。


「隊長、俺の銃も」


 言いながら、なんとか肩にかけたMP7を手に取り、銃口を握る。隊長の脇を通り抜けていく間に差し出せば、すっと優しく持っていかれた。


 弾丸のあられは、その量を増し、追跡者たちを激しく撃つ。だが、彼らの勢いは、留まるところを知らない。それどころか、迷宮中のクモたちが集結しているような感さえあった。


 がちゃりがちゃり。先行する隊長は、膝をつきながら銃身にマガジンを叩きこむ。


「こりゃあ、きりがないねえ」


 バラバラ小さな銃声が鳴る。そのたびに、肉が揺れたが、どしんどしんという、象が走っているかのような音は止むことがない。いや、徐々に徐々に近づいてきているのではないか……。


 このまま逃げていても、いつか追いつかれてしまうのではないか。


 そんな考えが、頭に憑りついて離れようとしない。あの、怒り心頭とばかりにやってくる白い巨体。神様に追いつかれ、ぶんぶん振り回し、そこここのがれきを吹き飛ばす触手に突き刺され、子をはらまされてしまう。


 そうなってしまうに違いないという妄執にも近かった。だが、そうした方が楽なのではないか。こうやって、走り続ける必要はないのだから……。


「君、足が止まってるよ」


 涼やかな声が、耳を打った。


 瞬間、俺は我に返る。先ほどまで頭にじんじんと広がっていた、妄執のような何かは綺麗さっぱりなくなった。それどころか、何に囚われていたのかさえわからなくなっていた。


 隊長を見れば、俺の方をじっと見つめ、しかしその手はMP7のトリガーを強く引いている。銃弾が飛び出すたびに反動で腕が上がる。射撃対象を見ていないにもかかわらず、ばしゅんばしゅんと虫はなぎ倒された。


 俺は頷き返す。気が付けば立ち止まろうとしていたらしい。霞の中に見えなくなってしまったあの諦観のイメージは、俺自身が恐怖で生み出したものなのか、それとも。


 どちらにせよ、今は走るしかない。俺が、そして背負った女性を助けるためには。

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