第9話

 先へと進めば進むほどに蟲はその数を増やしていく。十や百ではきかない。十倍、あるいは百倍もしくはそれ以上。アリかと思うほどの行列だが、サイズはウシガエルほど。そんな白い物体がうごうごしている様は集合体恐怖症を患っていなくても、背筋に走るものがあった。


 足の踏み場もなくなり、うごめく白い絨毯が通路には伸びている。先へと進むには、どうあがいても、この気色の悪い昆虫を踏みつぶしていくしかない。


 ただでさえ気持ちが悪いというのに……。俺は顔を背けて、上げた脚を一息におろした。


 ぐちゃり。


 肉をつぶし、中の液体がまき散らされる音が通路に響く。その生々しい感触が、厚底のブーツ越しにもはっきりと伝わった。素足で踏みつぶしたわけでもないのに、怖気が全身を駆け巡った。反射的に足を上げれば、靴底のラバーに付着した肉がべとぉっと伸びる。


 俺は駆けだしていた。この気色の悪い生物から一刻も早く距離を取りたい。それだけしか考えられなかった。


 我を取り戻したころには白い絨毯はなくなっていて、眼前には広い空間が広がっている。


 足元を見れば靴には肉片が無数にこびりついていた。それどころか、蟲の体液はしぶきとなってグレーの迷彩服にまでかかっていた。こりゃあ洗濯するのが大変だ……なんて考えてしまうのは、現実逃避だとは自分でもわかっている。


 俺がぶち当たったのはどうやら廃駅らしい。極寒のあのホームほどは広くはないものの、ここも相当広い。梅田駅や東京駅ほどとは言わないものの、それに次ぐくらいには広大だ。


 地面には錆びついた線路があり、それは開けた空間に差し掛かってすぐ、四つほどに分かれていく。ホームも同じ数だけ存在していたが、ヒトの姿はない。


 いや――ホームの上に置かれたドラム缶内で焚かれた炎に照らされているのは、ヒトの形をした蟲の集合体。前よりかは軽装だが、それゆえにもぞもぞと中で何かが這いまわる様が、てらてらとした光の中でありあり見えた。


 彼らは俺に気が付いた様子はなく、もごもごと何かを呟いているようである。俺はホームの段差の影に隠れて、一行の様子を窺う。


 彼らは見張り番のようで、周囲に目を向けていた。とはいえ、彼らの空気は和やかで、彼らの間では話が行われているようである。ヒトの口に当たる部分がもごもごと動いていた。もっとも、体を構成する蟲が一匹二匹いなくなった空白であり、その先にあるべき口腔さらには食堂といったものはありはしなかったし、クモの足も『口』から飛び出していた。


 それにしても、あいつらは何を話しているのだろう。それと、ヒトが話しているところをただ模倣しているだけなのか。


 影の中を腰をかがめて歩き、ヒト型化け物の方へと接近する。


 じきに音が聞こえてくる。


 べちゃべちゃ、肉が脈打つような音をそいつらは発していた。


 ヒトの言葉なんかじゃ決してない。


 おおよその昆虫が発する鳴き声でもなかった。だが、同時に何かしらの意図が感じられるのはなぜだろう。


 母に対する、崇拝の念。


 気が動転した俺はしりもちをついた。


 ドンっと臀部を打ち、コンクリートの床に手をつく。がらんと大きな音がする。MP7を床へ叩きつける形をなってしまった。


 低い金属音は、それほど大きいわけではない。だが、焚火のはぜる外、ひそやかな話し声しかしないこのがらんどうの中では、大砲の発射音のようなものだった。


 ドラム缶をかこっていたやつらが、一斉にこっちを向いた。


 顔のあたりにある二つ空いただけの穴が、俺の方をじっと見つめている。


 彼らが一斉にこちらへと駆け出そうと立ち上がる。俺は銃を拾い上げて、そのうちのいったへ突きつける。近づいてきたら撃つつもりだった。


 だが、来なかった。


 顔をぎゅんと不自然なほど急にそむけると、ホームの方へと踵を返し、ふらふらと歩いていく。


 その背中を目で追う。似たような姿のヒトもどきは、ホームの奥にも別のホームにもいたらしく、先ほどのやつらと同様に奥へ奥へと進んでいく。


 ヒトに擬態したやつらだけではなく、単独の白きクモでさえもである。


 まるで、学校の集会が開かれるかのような感じ。


 何があるにせよ、俺には好都合だった。彼らの後に続いて、慎重に奥へと進むことにした。ここまで来た以上は、この先にあるものを、なぜ人々を誘拐しているのかを知りたかった。

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