第7話
先ほどとは違い、コンクリートは真新しい。それは手つかずという意味でもある。苔むしてはいないのだが、絵画だったり絵だったりが描かれているというわけでもない。
殺風景。
そんな言葉が一番しっくりくる無彩色のトンネルを、俺は歩いていく。
ライトをつければ、一人分の足音だけが響くまっすぐな坑内に細い光の道がスッと伸びていった。足元に警戒していたが、ピアノ線などは張られていない。罠もなさそうだ。
張り詰めていた緊張が、ほどけていくのを感じる。光と闇しかない世界を黙々と歩くのは、敵がいるかもしれないとしても退屈だ。
どうしても考えてしまうのは、先ほどの異形。
あの、人を模倣したような群体は一体何だったのか。銃をもち、人間のように鼻歌を歌いながらあいつは見回りをしていた。
形ではなく、行動もヒトらしい。だからこそ、不気味だ。
そして、見回り。
あいつらは複数存在していて、何かしら守るものが存在しているということ。
「いったい何が……」
その何かは、連続行方不明事件と関係性があるに違いない。
妙な確信を抱きつつ先へと進めば、ゆるくカーブしつつある壁が見えてきた。壁に沿って歩いていく。単調なコース。もしかしたら、先のロンドン地下鉄(仮)と同じように、ここも廃線になったのかもしれない。
いやそれどころか、廃線というより途中までつくられたが、完成することなく終わったかのような。
左右の壁にライトを向けていれば、巨大な絵が浮かび上がってきた。化け物かと思ってぎょっとしてしまったが、男性器を極端に抽象化したような絵だ。あるいは日記にも似たようなことが殴り書きにされている。
その通路にはスプレーアートが描かれていた。
一瞬、俺は画廊にでも迷い込んでしまったのかと思った。だが、その瞬間に付きまとう意識の混濁はなかった。背後を振り返れば、通ってきたばかりの無機質なトンネルが闇の中へと続いている。
連続性は保たれている。ここは、最初からそういう場所らしい。
ほっと息をつきながら、暗がりに浮かび上がる下品で過激なスプレーアートの間を進んでいく。人が行き来しているのであれば、危険は少ないだろう。少なくとも、先ほどのようなトラップの類は少ない。
足元をちゅーとネズミが駆けていった。遠くからは車の走る音が聞こえる。自然、足取りが軽くなってくる。
さらに進めば、光が見えた。久方ぶりの、ライト以外の光へと俺は走る。
ついに地上へと出た。
傷一つない階段を駆け上がる。踊り場は上方から差し込める日光を受けて、純白に輝いている。その先にも階段は続いていたが、そこには規制線がひかれていた。
黄色と黒のテープがそよ風に吹かれて揺れている。俺がいる地下へと入らないで、と訴えかけるように。
外は明るかった。地下鉄に入った時とは違い、俺の頭を見下ろしているのは、オレンジのような太陽だった。
その場に呆然と立っていた俺は、踊り場の壁に貼られている紙に気が付いた。その紙には英語が並んでいる。日本ではない。だが、ロンドンでもない。
シンシナティ。
それはオレゴン州に位置する都市の名。つまり、ここは。
「アメリカ……」
状況を整理しよう。
俺と都寺隊長は東京メトロの8番線と9番線とをつなぐ連絡線から、国会議事堂へとつながる秘密通路へと侵入した。時刻はだいたい深夜二時ごろで、時の止まった時計も同じ時刻を指している。
その後、通路を歩いている最中に隊長はいなくなった。直後、酩酊感に襲われ、気が付けば見知らぬ通路へ。以後、ふらつくような感覚ののちに、どこかへと飛ばされていく。
まさしく『飛ばされる』だ。RPGで穴にはいったら別の場所まで移動させられた、みたいな。
飛ばされた場所には関連性がありそうだ。最初は東京メトロ、次はロンドン地下鉄、その次はわからないが寒くて地下鉄といえばロシアや東欧のあたりだろうか。で、今はシンシナティ。
これは完全な俺の推測でしかないが、ワープ――便宜上移動することをこう定義させてもらう――しているのは、地下鉄それも現在では使用されていない区間だろう。だからこそ、苔むしていたり、ほこりにまみれ、かび臭さが鼻につき、がらんどうとしている。
そうなると、奇妙なのはあの極寒の巨大空間で対面した存在だ。暗がりを徘徊する、あの人間に成り済ました存在はなんだ。もっといえば、どうしてヒトの真似をしているんだ。
時間間隔がおかしくなりそうな日光の中で、そんなことを俺は考えていた。
ヒトのふりをする利点。それは、ヒトの仲間入り――人間社会に溶け込むために他ならない。問題は、ヒトの群れにまぎれて何をするのか。
……ふと、思ったことがある
東京の地下鉄で起きていた行方不明事件が、日本全土で起きていたことだとわかったのはつい最近のこと。
では、その事件が、全世界的に起きていたとしたら。
あの化け物が誘拐を働いているのだとしたら。
突飛な発想であった。論理の飛躍が行われているであろうことは俺自身、理解していた。だが、そんな気がしてならない。
白日の下にいるというのに、寒気がした。
背後で音がして振り返れば、闇の中へ駆け出していく小動物。ホッとしたのもつかの間、それはネズミではない。
真っ白くてずんぐりとした見た目は、ぱっと見はイモムシのよう。だが、それにしては機敏にトンネル内の影を斜めに走っていく。壁にぶつかる――いや、そいつは壁に張り付いて、闇へと消えていった。
その姿は、クモのよう。
しかし、あのように巨大なクモは見たことがない。目測だが三十センチは優に超えていたんじゃなかろうか。そんなにでかいくせに、機敏。
それに何より、俺の心をざわつかせたのは、その白い体がぶよぶよと揺れていたこと。それは、あの地下空間で遭遇していた人間の揺れ、うごうごとしていた男の皮膚と似ていたのだ。いや、あの白さは間違いなく、一緒。
あのクモもどきが集まって、ヒトになっている。
俺は、走り去っていったそいつを追いかけて、再び闇へと飛び込んだ。
どうせここから帰るのは無謀だ。それなら、クモを追跡した方がいいに決まってる。
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