第5話

 早足になってジメジメとした通路を進んでいく。


 突き当りに扉が見えた。ノブを掴み一息にひねり、押し開ける。


 幸い、扉には鍵がかかっていなかった。


 そこは広大な空間だった。光の円が捉えるのは、のっぺりとした壁と垂直に交わる天井。上から下へと光を移動させていけば、このトンネルは四角いようだ。


 床には朽ちた木材が転がっていた。四角く成形されたそれらは一定の間隔で置かれている。


「枕木……」


 ならば、ここは地下鉄。


 先ほどの紙を信じるならば、ずっと昔に使われなくなった路線の一つということになるのだろうか。


 コンクリートの上に並べられた枕木のそばに近寄る。今にもぐずぐずになってしまいそうなそれは、つま先で軽く小突いただけでも簡単に動いた。湿った部分とそこを住みかとする多様な虫が蠢いている。ダンゴムシとかムカデとか見慣れたものだ。それが返って、ビンと張った心を落ちつかせてくれた。


 枕木のほかには、宙に浮くような形になりながら、今もなお伸びる線路。じとじととした闇の中へと消えていく。


 線路の逆側にはがれきの山がある。最近できたものではなく、抜け穴も見当たらない。


 俺は、線路が健在な方へと向かうことにする。ちょうど、爆破音が聞こえてきた方角でもある。


 線路沿いに歩いていく。


 いたるところに蜘蛛の巣が張っており、地下水だか雨水だか判別のつかない水滴がぴっちょんぴっちょん落ちている。光はほとんどない。天井の稲光のようなひび割れに光を当ててみても、その隙間に広がるのは、暗い灰色だけ。


 ロンドン地下鉄といえばそれほど深くはないというイメージがある。今、あの天井の隙間にC4を仕掛ければ、地上を拝むことができるのではないか――。


 そんな考えが頭をよぎったが、結局はやらなかった。先ほどのがれきを見るに、崩落の危険がある。それを狙っているわけだが、空が見えるという保証はなく、その崩落に俺が、あるいは隊長や地上を歩いているロンドンっ子が巻き込まれたんじゃあ話にならない。


 俺は無言で歩いていく。


 足音が、カーンカァーンと奥へ響いていく。音はドンドン間延びしたものになっていって、どこかに潜んでいる化け物が人知れず泣いているようだ。気のせいだとはわかっていても、背筋に冷たいものが走った。


 自然、足取りが速くなる。胸の鼓動が強く、痛くなる。


 銃なんか放り投げてしまって、駆けだしたい。そんな欲求が頭の中で膨らんで。


 ぐらりと体が揺れる。


 脳髄が震える。


 アルコールを頭へ直接注入されたような感覚。体から力が抜けたわけではないのに、地面はぐにゃぐにゃのゴムのように捉えどころがない。


 歩くこともできずに、俺はMP7を肩にかけて、その場で膝に手をつく。半分ほどしゃがみ込んだ体勢のままで、顔だけを正面へと向ける。


 通路はぐんにゃりとゆがんでいた。それは、伸ばされ成形されていく最中の金太郎飴のよう。


 俺の視界がそうなっているのか、通路自体がそうなっているのか。


 胃の中がひっくり返ってしまうような奇妙な感覚は、数分とも数時間ほど続いたように感じられた。


 ぱちりと目を開く。一瞬の瞬きののち見えた景色は、先ほどまでいた地下鉄とは様相が違っていた。


 四角いトンネルに変わりはない。だが、それにしてはどこか狭苦しい。天井は低い。横幅も線路ギリギリくらいしかなく、こんな状態で列車が来たら体をかすめてしまうのはないか。


 まるで、一瞬にして別の場所へ移動してしまったかのような。


「バカな……」


 信じられなかったが信じるしかなさそうである。


 吸い上げる空気が違う。よどんでいることに変わりはなかったが、ジメジメとした湿気を全く感じない。生暖かさは鳴りを潜め、静謐な冷気が俺の体を刺してくる。これと比べたら東京メトロはおもちゃのナイフだ。


 俺は薄着というわけではないし、着ている服だって登山ウェアに身を包んでいる。それなのに寒気を感じるなんて、ここは何度なんだ。


 息が白くなる。震える体を温めるために、俺は小走りになって先へ進めば、急に視界が開けた


 そこは広大な空間であった。


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