第3話

 俺はライトをかざす。細かい粒子のような濃密な闇がサッと晴れて、曲がり角があらわとなった。


 そこに都寺隊長の姿はなかった。


 音もなく、悲鳴すらなく隊長が消えた。


 あの隊長が。


「隊長!」


 呼びかけてみたが、返事はない。俺の声が、通路中に反響し、高くなったり低くなったりしながら、五臓六腑へしみわたるようにどこまでもどこまでも伝播していく。その声の不気味さといったらなかった。怪獣か、あるいは悪魔の唸り声のようにさえ聞こえた。


 体中にぞわりとした感覚が走る。見えない何かに触れられたような、不快な感触。


 振り返っても、どこまでも広がっているかのような暗がりがあるばかり。


 その闇が、揺れた。


 いや、違う。自分が、自分の周囲が揺れている。振動というにはいささか遅すぎるし、地震と比べるまでもなく弱い。だが、テキーラのショットを飲んだ直後のような、酩酊感とでも言うのだろうか。


 からだがふらつく。地下にあるはずの通路が、ぐわんぐぁーんと波に揺られたように上下する……。


 俺は作戦の前にアルコールを摂取するタイプではなく、この感覚は突然現れたもの。


 脳裏に薬物がよぎる。


 例えば、この通路にガスが充満していたとしたら。アルコールを摂取したときのような効果を引き起こす薬物。それが自然発生したものなのか、ここを根城にしている何者かが設置したのかはわからない。


 考えようとしたが、ふらつきは大きくなって、気が付けばその場にもんどりうっていた。尻もちをついたままの体勢で、通路の奥にMP7を向ける。光の中を影が通り過ぎていく。貝のようなその影は、ずるずるべちゃべちゃという水音を垂れ流しながら消えていった。


 それがなんだったのか、夢か現か考える間もなく、俺は意識を手放していた。




 ぽたりぴっちゃん。


 顔に何かがしたたり落ちてきて、俺は思わず飛び起きた。濡れた顔を拭い、後生大事に抱えていたらしいMP7が放つ光に湿った手をかざす。


 それはただの水だった。ホッとしたのもつかの間、疑問が頭の中に浮かんできた。


 この水はどこからやってきたんだ?


 天井に光を向ける。さっと闇が逃げていって、コンクリートの天井が見える。それには心電図のような亀裂が無数に入っていた。


 水滴はその割れ目からぴちょぴちょと漏れ出ているようだ。その周りには、黒いカビと不気味なほど真緑な苔がコロニーをなしている……。


 先ほどまで、傷一つないコンクリートの通路にいたはずだ。空気だってよどんではいたが、ここまで重たかっただろうか。


 服が水滴によって濡らされただけではなく、空気そのものが、水の塊であるかのように重く生暖かい。


 文字通り、空気が変わってしまったかのよう。


 俺は、正面へ視線を向ける。


 退廃した通路が伸びている。どんよりとしたまとわりつく闇。


 背後を振り返れば、曲がり角はない。俺はいつの間にか十字路の真ん中に横たわっていた。無意識に歩いてきたのか、あるいは何者のかの手によって運び込まれたのか。そもそも気絶していたのはどのくらいの間なのか。


 時計を見れば、動きを止めていて、時刻はまったくわからない。思わず舌打ちが出てしまった。前にいた小隊を去る際にいただいたものだってのに。


「運がないな」


 言葉にしたのは、それが単なる運によるものではないような気がしてならなかったから。時計が動かなくなったことと隊長がいなくなったことに何らかの力が働いているような気がしてならない。


 そうした事例を、この目で見てきたから、そう思ってしまうのだろうか?


 俺は直感に従うことにする。第一目標はこの場所からの脱出。隊長を探すのは二の次だ。


「よし」


 MP7には異常はなく、引き金を引けば、弾丸は飛び出していくに違いない。これだけが頼りだった。


 懸下されたライトの光を受けて輝く銃口を進行方向へと向けながら、俺はそっと歩きはじめる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る