第2話
リュックから取り出したライトのスイッチを入れる。その先端から光が照射され、闇を塗りつぶしていく。
先行した俺が見たのは狭い通路だった。狭いといっても、先ほどまでいたトンネルと比べれば、というだけで、潜水艦のそれよりかは広い。
背後で扉が閉まる。少しして、ガタンゴトンという音が扉の向こうで聞こえた。
「ジャスト。いい感じね」
都寺隊長がリュックを下し、中から取りだしたのは一丁の銃器。
MP7と呼ばれる銃にはアタッチメントが満載。ダットサイトにグリップ、サイレンサー。長いストラップ。それなのにストックを折り畳めばリュックの中に隠すことだってできた。
「欲を言えば暗視ゴーグルなんかも欲しかったですね」
隊長が銃の点検を行っている間、闇から何かが飛び出してきてもいいように警戒しつつ、俺は言った。通路に非常灯の類はなく真っ暗だ。今は誰もいないからいいものの、こんな闇の中でライトをつければ目立つことこの上ない。
「しょうがないよ。この作戦って非公式なものだから」
「偉い人なんだから、うちの上司に働きかけてくれたって……」
「今更言ってもしょうがない。そっちも取りだして」
隊長が立ち上がり、眩しい銃口を通路の先へと向ける。それを確認してから、俺もリュックからMP7を取りだした。
ライトを下部のレールに装着。両手でもって構える。セーフティ解除。
「しかし、銃なんて必要なんですか?」
「お偉方の杞憂に終わればいいんだけどさ。例の事件との関連性を疑ってるわけ。相手は某国のテロリストで、政府へ暗に交渉を持ち掛けている、なんて憶測も飛び交ってるみたいだよ」
「んなバカな……」
永田町駅周辺、もっといえば、国会議事堂の下には秘密通路が存在している。それがここだ。
しかし、ネットニュースで取り上げられているように宇宙人が解剖されているわけでも、終末へ向けてノアの箱舟が建造されているわけでもない。そんな高尚な理由だったら、一昔前の騒動の際や、アメリカの宇宙人騒動の際に、堂々と発表したに違いない。
その秘密通路は、国会議事堂が襲撃された際の脱出経路に過ぎなかったのだ。
「確かに飛躍しすぎな感じはあるよね。でも、実際問題としては多くの人間が誘拐されてる。その腕は見事なもの……だって公安でも足跡を終えてないんだから」
隊長が、霞が関の方角を向いた。公安のある警視庁でも見ているのだろうか。そういえば、今、警察は大変らしいと聞いた気がする。無能だとか金食い虫だとか、捜査が後手後手になっているために、いろいろなバッシングを受けてるらしい。
「警察も大変だなあ」
「私たちだって大変よ。警察の皆さんは光の下を駆け巡ってればいいんだから」
俺は隊長とシンクロする形で前方に伸びる闇の方を向いた。その闇は瘴気交じりのガスを生み出しているかのように、どこか揺らめいているように感じられる。そのゆらめきの中に、何か得体のしれない雰囲気が漂っているようにさえ思われた。
だが都寺隊長は、その闇の中へと足を踏み入れていく。鼻歌交じりに。
都寺隊長の経歴は謎に包まれている。経歴書に目を通したのだが、あんなもの紙切れ同然だ。――経歴書のほとんどは黒く塗りつぶされていた。
少なくとも、幹部候補生学校を首席で卒業したのは間違いない。それからは渡り鳥のように部隊を転々としている。ネイビーシールズとの合同訓練の経験あり。ネイビーといえばアメリカ海軍の特殊部隊だ。
つまりは、経歴のよくわからないエリートってことになる。
いつだって飄々としていて、捉えどころのない人だ。二等陸尉とはいえ、新設された部隊の隊長になるだけのスキルはあるというのはわかるのだが……。
都寺隊長が通路の曲がり角で足を止めた。角の壁に背を向け張り付く。何かを察知したらしい。俺は姿勢を低くする。
曲がり角からそっと頭だけを出して様子を窺う。通路の先には人影はない。
遠くに見える十字路を何かすばしっこいものが走っていった。
白く、でっぷりと太った小動物。
「ネズミか……」
ほかに人影はない。少なくとも俺の目からはそう見えた。
角に戻り、俺は通路の奥を指さす。俺がクリアリングをして、万が一のことがあれば、隊長が援護射撃を行う。そういう作戦をハンドサインで提案してみる。
隊長が大きく頷いた。了承が得られたということで、俺は曲がり角へ体を躍らせる。
時が止まったかのような闇の中に、人の影はない。よどんだ空気を動かすのは俺と隊長が吐く息、動きくらいのもの。あとはチューチューというネズミの鳴き声。
闇を切り裂き銃弾が俺の心臓を射すくめる――幸いなことにそうはならなかった。
古めかしい通路には隠れる場所なんてない。一応十字路の方まで行ってみたものの、何もいない。右と左には、正面に見えるのと同じ闇、コンクリート打ちっぱなしの簡素な通路が伸びているだけ。
ふうと息をつき、隊長が安全を確保している曲がり角へ戻ろうと背後を振り返る。
そこにあったのは、まったくの闇。
光の存在しない、ブラックホールのようなべっとりとした黒だけがあった。
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