第6話意思の疎通

Kさんが初めて犬達と出逢った頃、犬達はまだ産まれて間もない赤ん坊であった。


何匹かいる犬の中から自分の家で飼う犬を選ぶ事になった時、Kさんは少し変わった選別方法を実践していた。


こんなやり方が一般的に浸透しているのかどうかは分からない……Kさんは幼い犬に向かって、片っ端から尻尾を持って逆さまに持ち上げ始めた。


殆どの犬が鳴き声を上げる中、唯一鳴き声を出さなかった現在の犬を自分の飼い犬に選んだのだ。


「よし♪この犬は根性がある!これに決めた♪」


実にKさんらしい選別方法である。


その為なのかどうかは知らないが、Kさんの犬達はあまり吠えるという事がない。


人に噛み付く事は無いし、吠える事も無いので番犬としてはまったく役に立たないが、それよりも困るのは……時々、犬が何を考えているのかKさんに伝わらない時がある事だ。


Kさんの家に来た時にはまだ子犬だったドーベルやボクサーも、一週間、二週間…と時が経つにつれてみるみると成長していった。


大型犬の成長は早い……しかし、不思議な事にKさんの犬は、その体が大きくなるにつれて何故だか元気がなくなってゆくように思えた。


最初は気のせいだと思っていたKさんも、だんだん動きが鈍くなっていく犬の姿を見ているうちに不安感がつのってきた。


「一体どうしたってんだよ……」


ある日、二階の窓から庭を眺めていたKさんは、とんでもない光景を目のあたりにした!


なんと、ドーベルが今しがた食べたばかりの餌を、苦しそうに戻しているではないか!


Kさんは階段を駆け降りて、ドーベルのそばへと走って行った。


「お前やっぱりどこか悪いんじゃあねぇか!」


Kさんは、ドーベルを抱き上げて車の荷台に乗せ、動物病院へと走った!


もしかしたら、幼い頃から鳴き声を上げなかったその時から既に大きな病気を抱えていたのではないのか……そんな不安がKさんの脳裏をよぎる。


やがて車が動物病院へと到着すると、Kさんはドーベルを抱えたまま病院の受付へと走って行った。


「犬が餌吐いちまったんだよ!早く診てくれ!」


あまり待つ事なく、ドーベルの診察の順番はやってきた。

暫く聴診器をドーベルの腹部に当て、医者は大きく深呼吸をするとKさんに向かって驚くべき事実を伝えた。


「Kさん、よく聞いて下さい……

この犬は………」








「この犬は……











“首輪がキツイ”んです!」





「は?・・・・」


Kさんは、小さな目をなおさら小さくして医者に聞き直した。


「首輪が?」


「そうです。首輪がキツイから、餌が食べられないんですよ。」


「それだけ?」


「それだけです」


医者は、笑いをこらえきれないといった感じだ。


体はみるみる大きくなっていくのに、Kさんは首輪のサイズを大きな物に変えるのをすっかり忘れていたのだった。


「なぁんだ♪そんな事か~♪

お前、黙ってるからちっとも分からなかったよ♪」


Kさんは、そう言って笑うとドーベルの頭をクシャクシャと撫でた。


この時もし、ドーベルが人間の言葉を話せたとしたら、きっとこう言うだろう……



『勘弁してよ!もう~!』





意思の疎通が難しいという事では、こんな話もある。


季節はとても暑い夏の事だった。


ある日、Kさんの奥さんが鍋に火をかけながら近所の人との世間話に華を咲かせてしまい、その鍋を焦げ付かせてしまったのだ。


幸いにして火事になる様な事はなかったが、鍋とその中の料理は真っ黒になってしまった。


「もうこのお鍋も使えないわね……」


それ程新しくもない焦げた鍋を、この際だから新しく新調しましょうと奥さんは提案した。


「なぁ…その鍋、要らないんだったら俺にくれよ!」


Kさんは、焦げた鍋を指差して言った。


ちょうど犬の水飲み用の器が欲しいと思っていたところだ……穴が開いてる訳ではないので、金タワシで磨いてやればなんとか使えそうだ。


暑い夏となれば、犬が飲む水の量も自然と増える。

今の小さな器よりは、大きなこの鍋の方が犬だって喜ぶに違いないというKさんの優しさだった。


Kさんは鍋を風呂場に持ち込み、金タワシでゴシゴシと根気よく磨いた。


ピカピカ……とまではいかないまでも、焦げた部分はきれいに落ち、鍋は使用に耐えるまでに輝きを取り戻した。


「あら…結構きれいになったわね♪」


鍋を見てそんな感想を洩らす奥さんに、“もう返さねぇからな”とKさんは自慢げに答えた。


満足気な表情を浮かべ、早速Kさんはその真心のこもった鍋に水をなみなみと注いで、犬達の居る庭へと持って行った。


「さぁ♪今日から、これで水飲むんだぞ!沢山入っていいだろ~♪」


犬達は、何事かと集まって来て鼻先に置かれたその鍋の匂いをクンクンと嗅ぎ始めた。

しかしまだ喉が乾いていないのか、どの犬も水に口を付ける事は無かった。


「置いておけば、後で飲むだろ♪」


鍋を磨いて少々疲れた肩を、くるりとひと回ししてKさんは再び家の中へ入っていった。





そして翌日…様子を見に庭へ現れたKさんだったが……


鍋の水は減っていなかった。


「あれ?…誰か水替えたんかな……」


しかし、家族の誰に聞いても水を替えた者はいないという。


「入れ物か気に入らねぇんじゃないのか♪」


Kさんをからかう様に親父さんが言った。


「そんな訳ねぇだろ!」


Kさんの真心のこもった鍋を、犬が気に入らない訳がない。


きっと急に器が変わったもんだから、犬も面食らっているだけに違いない……少し日が経って慣れれば飲むようになるだろう。


Kさんは気を取り直して、鍋の水を新しいものに替えてあげた。


そして、二日が経ち…三日が経ち……


Kさんが水の器を鍋に変えてから、一週間が経った……






「一体どうしたってんだよ……」


あれから一週間、毎日水を替えているのに犬が水を飲む様子を見る事はなかった。


いや……これだけ暑いのだから、きっとどこかで飲んでいるのだろうが、鍋の水は相変わらず減る様子は無い。


そして、その日もうだる様な暑い午後の事だった。


Kさんと親父さんは、二階の窓から庭を眺めていた。


すると、犬の様子を見ていたKさんが突然歓喜の声を上げた!


「おい!あれ見ろよ♪あれ~♪」


Kさんの指差す方を見ると、ドーベルがあの水の入った鍋を目指して歩いて来るではないか!


「とうとうやった♪」


毎日、根気よく水を替えていたKさんの苦労がようやく報われる時がきたのだ。


「見ろ♪飲むぞ~飲むぞ~♪」



しかし……



ドーベルは鍋の水に鼻先を付ける事なく、それより更に一歩進んで鍋の上にまたがる様な格好で下半身を沈めた。


「何やってんだ……アイツ……」


目を細めてそれを見ていたKさんの親父さんが、ボソッと呟いた。







「ありゃあ……

キンタマ冷やしてるんじゃねぇか?」


ドーベルは気持ち良さそうに暫くそこにとどまると、引き続いてボクサーがやって来た。


そしてドーベルがどいた後に、ボクサーもまた同じ様にして鍋の上にまたがった。


Kさんが毎日替えていた水は、暑さで熱を持った犬達の“タマ”を冷やす為に使われていた様である。


「あんのぉヤロゥら~!」


翌日から犬小屋の前には、以前使われていた水飲み用の器と“タマ冷やし用”の鍋の二種類が置かれる様になった。

























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