第5話ドーベルその2

渋谷駅の待ち合わせ場所の定番ともなっている、”ハチ公”。


毎日同じ場所で、いつまでも主人を待ち続けたという美談は、あまりにも有名である。


これも、自分の主人を愛するが故の行動であるが……その愛情なら、Kさんの犬達だって負けてはいない。


そして、同じようにKさんもまた犬達を愛しているのだ。


しかし、あまりに身近でいつもそばに居るが故に、人間はその存在を忘れてしまう事がある……例えば、空気や水のように。






ちょうど今頃のように寒い冬の事だった。


前日に雨が降りぬかるんだ庭で、ドーベルは泥んこになって駆けずり回っていた。


「なんだよ…泥だらけじゃねぇか……こりゃ洗ってやらねぇとな。」


夏ならば、表でホースの水をかけ石鹸で洗ってやれば良いのだが、冬に屋外で冷たい水をかけて洗うのはなんだか可哀想な気がする。

そこでKさんは、ドーベルを家の裏口から風呂場へと連れていった。


温かいお湯をドーベルの背中にかけてやり、まるで大きなスピッツの様に真っ白な泡をたてる。

ドーベルは本当に気持ちが良さそうだ。


「よし♪きれいになったな♪」


ドーベルはブルブルと体を激しく揺さぶり、体毛についた水滴をKさんに向かってはじき飛ばした。


「うわっ!バカ!

こっちに飛ばすな!」


すっかりキレイになったドーベルを、Kさんはタオルで拭いてあげた。


しかし、タオルで拭いただけではドーベルの体は完全には乾かない。

このまま庭に出せば、再び地面を転がり回りまた汚れてしまうではないか……


「天気も良いし、暫くベランダにでも閉じ込めておくか♪」


Kさんの家の二階には、南側にベランダがあった。


犬を二階まで運ぶのは少々厄介だが、日当たりの良いベランダに1~2時間も閉じ込めておけば、ドーベルの体も完全に乾くに違いない。


Kさんは、これは我ながら良い考えだと自分で自分を褒め讃えた。


そして二階のベランダのガラス戸を開けて、ドーベルを引き入れた。

日当たりの良いベランダは、冬でも結構暖かい…ドーベルも気持ち良さそうに体をうつ伏せにして目を細めていた。



「さぁて♪TVでも観るかな♪」



そう言って、Kさんはガラス戸に鍵をかけて薄手のカーテンを閉めて階下へと降りていった。


午前11時から1~2時間……予定では、お昼過ぎにはドーベルの体も乾き無事仲間の居る庭へと解放されるはずであった……








『昨日の雨から一転、今日は良い天気だったんですが……夕方になってまたお天気崩れましたね~♪』


『本当に…雨も降って、急に冷え込んできましたね…一部の地域を除いて“低温注意報”が出ています!』


夜の十時……

TVのニュース番組では、キャスターとお天気担当アナウンサーのこんなやり取りが流れていた。


こたつでビールを飲みながら、Kさんが納得したように言う。


「低温注意報かぁ…どうりで冷える訳だ。」


…と、立ち上がって窓の外を眺めていたKさんの親父さんが、不思議そうな顔をして呟いた。


「あれ、犬が一匹いねぇな……どこ行ったんだ?」


それを聞いたKさんが、思わず口に含んでいたビールを吹きだす。


「しまった!!

忘れてた~~!!」






あれから11時間……




ドーベルはベランダで“低温注意報”の寒さに震えながら、主人の姿が現れるのをいつまでも待っていた。


急いで二階に上がりベランダのガラス戸を開けたKさんに向かって、不満たっぷりの顔で低い唸り声を上げながら睨むドーベル。


「いやあ~ワリィ♪…風呂でも入ってあったまるか?」


そんな冗談を言うKさんに噛み付く事もなく、翌朝も散歩の時間にしっかりと玄関先に座って待っているドーベルは……


あの"ハチ公”にも劣らない忠犬なのではないだろうか。





(Kさん談)「バカ犬だから覚えてねぇんだよ♪」







TVや映画で西部劇なんかを観ていると、重罪人に対して“縛り首”という刑が執行されるのを時々目撃する事がある。


ロープの片方を罪人の首に掛け、その一方を馬車の後ろにくくり付けて引っ張り回すのだ。


罪人の苦悶の表情に、思わず目をそらしてしまいそうな光景だ……


それとは大いに趣旨が異なるが、一般的に飼い犬というのは常に首をロープで繋がれているのが普通である。


そう考えると、Kさんの犬達は幸せだ。

庭に居る時には、ロープで繋がれていないので行動範囲が大幅に広がる。


ある日、Kさんが家で使う棚の材料を買う為にホームセンターへと出掛けようとした時の事だった。


Kさんのサニートラックの荷台の上に、ドーベルがちょこんと座っている。


「今から車使うんだけどよぉ~!」


Kさんは荷台から降りろと言っているのに、ドーベルは一緒に連れて行ってもらえるものだと思い、嬉しそうな顔をして荷台から降りない。


「しょうがねぇな……餌買いに行くんじゃねぇぞ!」


そんなドーベルに根負けして、Kさんは犬を荷台に乗せたままサニートラックを走らせた。


車に乗って流れる景色を眺めるのは、犬にとっても気持ちの良いものなのだろうか。

ドーベルは、あちこちをキョロキョロと見回しながら、すれ違う対向車や後ろの車を興味深そうに見ていた。


対向車の運転手やその同乗者の中には、驚いて指を差す者もいれば微笑んで手を振る者もいた。


そして、やがて車はホームセンターの駐車場に到着した。


当然の事ながら、犬を連れて店の中に入る訳にはいかない……Kさんは、ここで初めてドーベルの首にロープを繋ぎ、もう一方を車の荷台の隅にくくり付けた。


「おとなしく待ってるんだぞ!」


そう言って、Kさんはくるりと向きを変えるとホームセンターの建物の中へと消えていった。


30分から1時間位が経っただろうか……

Kさんは両手に荷物を抱えて戻って来た。


「ほらっ!そこ邪魔だからどけ!」


Kさんが両手に荷物を抱えたまま、顎で指図をするとドーベルはストンと荷台から飛び降りた。


Kさんは荷物を荷台に下ろし、ポケットから煙草を出してくわえると火を点けて煙を大きく吸い込んだ。


「さて…行くか♪」


キーをイグニッションに差し込みエンジンをかけると、マニュアルシフトのギアを入れて車は軽快に走り出した。


日曜日の快晴の午後……車を走らせるのはなかなか気持ちの良いものである。


道路も空いているし、先程から信号にも引っかからない。


鼻歌を歌いながら車を快調に飛ばしていたKさんだったが、何気なくふとサイドミラーに目をやった時……

その光景に、思わずくわえていた煙草を落としそうになった。


そこには……

首のロープを引きちぎれんばかりに引っ張られ、必死の形相で全力疾走するドーベルの姿があった!!


「犬乗せるの忘れてた!!」


慌てて車を止め、荷台の方へと駆け寄るKさん。


ハッ…

ハッ…

ハッ…

ハッ…


「そうだよ~!ロープ繋いであったんだよな~!」


ハッ…

ハッ…

ハッ…

ハッ…


普段放し飼いにしているのに、珍しく繋いだりしたのが徒になったのだろうか……


まさか、ドーベルも現代になって自分が“縛り首”に遭遇する事になろうとは、思ってもみなかったであろう…………












































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