第7話大脱走!
ある日、仕事をしていたKさんの所に一本の電話がかかってきた。
「え~っ!本当に……わかった、今から迎えに行ってくるわ。」
そう言って電話を切ったKさんは、困ったといった顔で先程の電話の内容を話してくれた。
「犬が脱走しやがってさ……今、保健所で預かってるって家に電話があったらしい。」
Kさんの家を脱走したのはボクサーだった。
ボクサーの脱走は、これで三回目である……
一度目は、庭の入口の扉を針金を捻って開かない様にしておいたのを、器用に針金を口でくわえ捻れを戻して扉を開けて脱走してしまった。
それ以降はKさんが、針金の捻る方向を右回しから左回しに変えたところ……ボクサーは自分で針金を余計に捻らせてしまい、扉からの脱走は諦めてしまったらしいが……
頭が良いのやら悪いのやら……
最初の脱走の時ボクサーは、Kさんの家から5キロ程離れたバイパス道路で、偶然そこを軽トラで通りかかったKさんの知り合いのオジサンに無事保護されたのだった。
車がビュンビュンと行き交う高架のバイパス道路の路肩を、一匹のボクサーが悠々と歩いているのを見てそのオジサンは、あんな犬は間違いなくKさんの所の犬だと確信したらしい。
その後、扉から逃げ出す事は無くなったボクサーだが、今度は庭を囲う塀をまるでメキシコの空中殺法を売り物にしている覆面レスラーの様に、見事な“三角跳び”で乗り越えて脱走してしまった。
その時、保健所に保護されこんこんとお説教されたので、庭の塀を高く改築したから暫く脱走騒ぎもなくなってKさんも安心していたのだ。
今回は、完全にKさんのミスだった。
門の扉を閉め忘れていたのだ。
これでは保健所に何を言われても、申し開きのしようがない。
悪い事に、顔に大きな傷のある大型犬のボクサーは、知らない人から見ればその存在自体が多大な恐怖心を与えてしまう。
通報があれば、保健所が躍起になるのも当然の事だろう。
「ヤベエなぁ……これで二回目だもんな……」
Kさんは、会社を早退して重い足取りで保健所へと向かった。
Kさんが保健所へ着いて名前を名乗るやいなや、案の定保健所の職員に怒られてしまった。
「駄目だよ!ちゃんと鎖で繋いでおかないと!……あんなのが子供にでも噛み付いたら、大怪我しちゃうよ!」
ボクサーは人に噛み付いた事は無いのだが……そんな言い訳をしても揉めるだけなので、ここはひたすら謝っておいた方が賢明である。
「すいません!お手数かけました!
以後、気をつけますんで……」
素直に謝罪をし、書類にサインをすると職員に犬のいる場所へと案内された。
二人で廊下を歩いている時、Kさんは職員が話す言葉に大きな違和感を覚えた。
「しかし~お宅も犬好きなんだね~♪
“6匹”も飼ってんの?」
「え?…6匹?……」
その言葉の意味は、まもなく解った。
Kさんと職員の二人はボクサーのいる檻の前にやって来た。そこには……
ボクサーの他に、見た事の無い5匹の中型犬がウロウロと歩いていたのだ。
「ところで、アンタ1人で6匹連れて帰れるの?」
職員は完全に勘違いをしている。
「何言ってんだよ!俺の犬はこのボクサーだけだよ!」
「…え?……だって、そのボクサーがあとの5匹を引き連れて歩いてたんだけどな……」
一体何やってたんだ…
このボクサーは……
住宅地を6匹の犬の群れがのうのうと徘徊していれば、保健所に通報されるのも無理はない。
職員は合点がいかないといった顔で、再びKさんに確認をした。
「本当に、お宅の犬はこの一匹だけなの?」
「そうだよ!誰がこんな雑種ばっかり5匹も飼うんだよ!」
職員は、暫く腕を組んで考えていたが、仕方無いといった顔で檻の中からボクサーだけを出した。
「ほらっ!世話かけさせやがって!帰るぞ!」
Kさんはボクサーを叱り、首輪にリードを付けて出口の方向に歩いていった。
「…って事は、あとの5匹は野犬って事か……」
Kさんの背後で、職員がボソッとそう呟いた。
Kさんが帰った後、職員は事務所に戻り机の上の書類に目を通していた。
そこへ、2~30分経った頃だろうか……ふいに事務所のドアが開かれ、そこに人影が現れた。
「あれ?さっきの……何か忘れ物でも?」
頭を上げた職員は、再び現れたKさんに少し驚いた様にそう言った。
「あのさぁ…やっぱり、さっきの5匹も連れて帰るわ♪」
「え?……お宅の犬じゃ無いんじゃないの?」
不思議そうに尋ねる職員に、Kさんは頭を掻きなから答えた。
「いやぁ、ついでっちゃあ何だけど……ウチの犬が連れ回してたみたいだから♪」
引き取り手が現れれば、保健所としても願ったり叶ったりである。
職員はあまり詮索する事なく、Kさんに5匹の野犬を引き渡した。
Kさんのトラックの荷台には、窮屈そうに6匹の犬が乗っていた。
保健所を出発し、少し離れた河原の近くでKさんは車を停め、笑いながら二本目の煙草に火をつけて言った。
「いくらなんでも、犬8匹は飼えねぇよな♪」
そして、ひと気のない河原の土手に5匹の犬を次々と逃がしてやった。
「もう捕まるんじゃねぇぞ~!」
5匹の犬は、再び訪れた自由を満喫するかの様に、尻尾を振りながらそれぞれバラバラの方向へと走り出していった。
そして、一緒になって荷台から降りようとするボクサーは、すぐさまKさんに首根っこを押さえられた。
「お前はダメだろ!お前は!」
保健所に捕獲された野犬の辿る道は、言わずと知れた惨い行く末だ。
Kさんは、短い時間でもボクサーと仲間になった野犬をその宿命から解き放つ為に、車をUターンさせ保健所へと戻って来たのだった。
何の疑いもなく犬を引き渡せて貰えたのは、もしかしたら保健所の職員も無駄に失われてしまう五つの命を、誰かに救ってもらいたかったからなのかもしれない。
それから、ボクサーが脱走する事は無かった。
……と、Kさんは思っていた。
ある日、保健所の職員がKさんの家を訪ね、警告をしたのだ。
「お宅の犬が、夜、敷地を抜け出して付近を徘徊しているらしいんだけど……」
何かの間違いだと思った。
あれから扉の閉め忘れは無いし、塀も高く直してある……一体どうやって抜け出せると言うのだ。
「これでどこから逃げるって言うんだよ!」
Kさんは保健所の職員に、詳しい説明を求めた。
「通報によると、どうもこの辺りで良く目撃されてるみたいなんですけどね……」
保健所の職員は、Kさんを連れて住民の話のあった塀の裏手の方へと歩いていった。
「ああ~~っ!!」
そこでKさんは、とんでもない光景を目のあたりにした!!
「アイツ、塀の下に穴掘りやがった!!」
ちょうど犬小屋の裏の塀の下の土に、直径50センチ位の穴が掘られていた。
ボクサーは、夜中になるとその穴から抜け出して街を徘徊し、Kさんが起きる前に戻って来て……
何食わぬ顔でまた散歩に行っていたのだった。
「いいですか!ちゃんと、庭の中でも鎖で繋いでいて下さいよ!」
職員はKさんに、そう厳重注意をして帰っていった。
「くそ……こうなったら……」
Kさんは横目でボクサーを睨んだ。
とうとうKさんの犬達も、鎖で繋がれる様になってしまうのだろうか……
「塀の下も、コンクリで固めねぇとダメだな!」
あくまでも、放し飼いは譲らないつもりである♪
“脱走常習犯”のボクサーも、今度ばかりは諦める他は無いであろう。
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