第3話ブル

ブルドッグという犬は、その昔牛と闘わせるために育てられていた犬種なのだそうだ。


体の大きな牛に対して背丈の低いブルドッグの有効な闘い方は、その下腹部に嚙みついて全体重をかけてぶら下がるといったものだったらしい。


鼻が潰れ、顎がしゃくれ上がったあの愛嬌のある独特の顔つきは、牛に噛みついて振り回されても離さない為にそうなったのだと言われている。





「あ~っ!またやられた!」


朝出かけるために庭へと出てきたKさんが、自分の愛車を見て叫んだ。


この当時のKさんの愛車は、日産の”サニートラック”という車だった。


この車は、日産自動車が小型乗用車である”サニー”の後ろ半分をトラックの荷台にして小型トラックとして販売していた、ちょっとしたDIYの材料などを運ぶ時などには最適なサイズの、Kさんお気に入りの一台だった。


その、サニートラックの右側後ろのタイヤの空気が抜けていて、車の姿勢は大きく右へと傾いていた。


Kさんは犬小屋へと振り返り、こちらをじっと見つめているブルを睨みつける。


「まったく!タイヤに噛みつくんじゃねえって、あれほど言っただろ!」


サニートラックのタイヤの側面には、ブルの牙の跡がはっきりと残っていた。


タイヤというのは、道路に接する”トレッド”部分の穴は修理ができるのだが、側面に開いた穴は修理が効かない。


残念ながらこのタイヤは、もう交換するしかないのだ。


Kさんは、パンタグラフのジャッキのハンドルを重そうに回しながらぶつぶつと文句を言った。


「…たく、どうせなら、溝の減ってる方をやってくれよ・・・」


ブルがタイヤに嚙みついたのは、これで三回目だ。あと一回噛みついたら車一台分のタイヤが新品になる。


こんな風に、自由気ままなKさんの犬は時々人間を困らせる。


こんな事もあった。


Kさんが近所の家の奥さんと世間話をしていた時、こんな話題が持ち上がった。


「ウチの子がね、犬が欲しいなんて言い出しちゃって…」


その子供は小学校低学年の男の子で、友達の家へ遊びに行った際にその家で飼われていた犬を見て羨ましく思い、自分の家でも飼いたくなってしまったのだという。


「でも、犬って結構値段も高いし…飼うとしてもどんな犬が良いのやら…」


そんな奥さんの話を聞いたKさんは、親切心からこんな提案をした。


「だったら、ウチのブルドッグを二~三日貸そうか?ドーベルとボクサーは子供にはデカイけど、ブルだったら大丈夫だろ」


「えっ、ほんとに?」


「ああ、きっと子供も喜ぶと思うぜ」


Kさんの提案に奥さんは大喜びし、その夜Kさんはブルを連れてその家へと向かった。


「わあっ、かわいいっ♪」


ブルは熱烈な歓迎を受け、子供も犬が自分の家に来て大喜びだった。


「悪いね~Kさん♪」


奥さんから話を聞いていたご主人が、笑顔でKさんに感謝の気持ちを伝えた。


「いやぁ、こんなブサイクなのでナンだけど慣れれば結構かわいいもんだよ」


ご近所から感謝され、子供も喜び今回のKさんの行いは全てが上手くいっているように見えた。


いや、実際に上手くいっていたのだ。ここまでは……


しかし、後にKさんはこの親切心がとんでもない仇になることを知るのだった。










その子供の友達の家では、犬を家の中で飼っていた。


…いわゆる”室内犬”というやつだ。


だから、ご近所の子供もKさんのブルドッグを家の中にいれてしまったのだ。


タッタッタッタッタッ………ズボッ!


「あ~っ!ふすまを突き抜けたあああっ!」


ズボッ!


「ああっ!こっちも!」


ブルは家中を駆けずり回り、和室の全てのふすまに大穴を開けて回った。


更には、掃除の行き届いたフローリングの床にベタベタのよだれを垂らして回った。


「きったねぇ!なんだこの犬はっ!」


とどめは、洋間の高級ソファーに噛みつき中身の綿を引きずり出した。


「もぉたのむから止めてくれっ!」


その昔、牛と闘う為に開発されたその闘争本能のDNAは……こんなところにも受け継がれているのだろうか……?


Kさんの親切心が仇となり、ご近所の家は大パニックとなった!


そして、まだ小学生の子供はこのブルの暴挙を、今にも泣きそうな顔でずっと傍観していた。











「Kさん、あの犬やっぱり返すわ……」


道でばったり会った近所の御主人が、元気のない顔でKさんに話しかけた。


「えっ、そんな遠慮しなくていいのに! まだ、二~三日大丈夫だぜ。子供、喜んでただろ」


事情を知らないKさんは、ご主人にとってまるで嫌味ともとれそうな台詞を笑顔とともに投げかけた。


ご主人はそれを何とも言えない表情で受け取ると、ばつが悪そうに答えた。


「ボウズ、もう犬は要らないってさ」


夕べの悪夢のような出来事は、一人の少年の心に大きなトラウマを刻み込んでしまったようだ。


結局、ブルはたった一日でKさんの家へと戻ってきた。










「フッフッフ……お前が出かけている間に、俺はタイヤに嚙みつかれない方法を考えたぞ」


KさんはKさんで、ブルの質の悪い噛みつき癖に手を焼いていたので、何かいい対策はないかと考えていたところだった。


そして考えた挙句、Kさんはホームセンターでタイヤワックスを買ってきて、こまめにトラックのタイヤに塗ることにした。


このKさんの作戦は見事成功した。


臭いに敏感な犬は、タイヤワックスの臭いを嫌い、ブルはそれからタイヤに噛みつく事はなくなったのだ。


さすがKさん、これで無事問題解決!と、思ったのだが……


ある日、Kさんが家の二階から庭を眺めていたときのことだった。


「あれ?」


ブルは確かにKさんの車に近づく事はなくなったが、今度はドーベルが、Kさんのトラックに近づいて何かをしていた。


「ああ~っ!

あの野郎、俺の車のタイヤに”ションベン”ひっかけてやがる!」


Kさんとバカ犬との戦いは、まだ暫く続きそうだ。





















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