第9話 これ慰謝料って言うか、手切れ金
「やあ、君がお母様の手紙に書いてあったアメリヤだね。来るのが遅いよ!早く仕事にとりかかってくれ。」
プラテル伯爵の王都屋敷に着いて、伯爵の執務室に通されたアメリヤを出迎えたのは、クルクル巻き毛でくりくりの可愛い瞳をした、ベビーフェイスの男性だった。
―――これがプラテル伯爵。他力本願で自分が可愛いと思っている、30過ぎの痛いオッサン伯爵。
なんだか自分が生まれ育った土地の領主の評判がこんなんだと思うと、悲しくなってくる。平民にまで悪評が知れ渡るほどのくず伯爵だ。
なるほど、これは小さな頃はさぞかし天使のようだったに違いない。
今だって見た目は可愛いは可愛い。だけどさすがに30過ぎた男を可愛がるつもりはアメリヤにはない。
「まだ全く様子も分かりませんので、とりあえず一通りの仕事の説明をしていただけますか。」
「えー、なんだよ。段どりが悪いな。いちいち説明をされないとなにもできないの?やることぐらい自分で見つけなよ。・・・・それより君、お母様の手紙では27歳って書いていたけど本当に僕より年下?おばさんみたいだよ。」
―――こいつ・・・本当に、生意気な8歳児みたいなやつね。
さっそく仕事をアメリヤに押し付けようとするところや、初対面の女性への失礼な発言。
数えきれないほどの子ども達を育て上げてきたアメリヤにとって、この失礼な発言もこなれたものだった。
「はいはい。説明もなしにいきなり初めての仕事なんて、できるわけがないですから。さっさと分かりやすく説明してください。・・・・・それとも人に説明もできないほど、仕事ができないんですか?プラテル伯爵は。」
「はあ!?なにを言っているんだ。僕は忙しくて、いちいち説明なんてしている暇はないと・・・。」
「そちらこそなにを言っているんですか。最初にしっかりと説明をして、相談をして、準備をしておかないと、結局仕事が進まなくって、効率悪いじゃないですか。しかも説明不足で問題でも起こったらどうするんです。その問題を解決するためにまた時間がかかりますよね?報告・連絡・相談。これらの時間は削れません。そんなことが分からない伯爵様ではないですよね?まさかね???」
「うぐっ・・・と、当然そんなことは分かっている!」
子どもは意外と大人の顔色をうかがっている。
考えなしに生意気なことを言っているように見えて、本当に我儘を言っても良い相手なのか、それとも怒らせてはダメな相手なのかをきっちり見定めているのだ。
自分の機嫌をとってくる大人だと見破られれば、子どもはとことん傲慢で我儘になる。常時50人前後の子どもがいる孤児院で子供がそんな状態になれば、収拾がつかなくなる。最初の対応が肝心なのだ。
・・・・いやまあ、プラテル伯爵は子どもではないが。アメリヤは大体8歳児相手くらいの対応をすることに決めた。
「分かっていただけて嬉しいです。それではお仕事の説明をお願いします。」
ほらほら早くーとばかりに手をプラプラと振るアメリヤ。
コツは深刻になりすぎないこと。子どもだって深刻に注意をされたり、怒られたら反発するが、おばさんが「ほらほらさっさとしなさいよー」という感じで言ったら、ブーブー文句を言いながらも意外と従って動いてくれるものだ。
おばさんでけっこう。上等だ。
しかし、子ども相手ならおばさんと言われるのも見逃してあげているアメリヤだが、ケヴィン・プラテル伯爵にはどーっうしても、一言言っておきたいことがある。
「ああ、それと。人の事おばさんって言っている場合じゃないですよ。あなたももう、どこからどう見ても立派なおじさんですからね。」
*****
「・・・・意外ともうかっているじゃないですか。橋のおかげですね。」
プラテル伯爵から領地経営に関する様々な資料を渡されて読んだアメリヤは、感心したようにつぶやいた。
南北に細長いプラテル伯爵領は、一番南側の端の土地は、馬で2時間以内で王都の中心へ行けるという地の利がある。しかしその細長い領地の東側に沿うように深くて幅の広い川が通っている。北側は他国。
西側と南側しか人も物も流通がしにくいという欠点が長年あった。
もちろんそれまでも橋はあったが、細長い領地の中心あたりに馬車一台通れるものが1本だけ。とても不便だったのだ。
しかし5~6年前に、川の南と北に、更に2本の立派な橋が大掛かりの工事の末掛けられたため、今では東側地域の領とのやり取りも盛んになっているようだ。
その橋は、荷馬車も余裕ですれ違えるほど大きくて立派な物だった。
ここ数年、どんどん上がっていく重い税金に、領民がまだなんとか耐えられているのは、この橋のおかげのようだ。
「ああ、その橋?ユリアの実家が作ったんだよね。」
「ユリア様・・・・元プラテル伯爵夫人の。」
ユリア様といえば、プラテル伯爵領の領民の間で有名人だ。
この目の前にいるケヴィン・プラテルと結婚して、赤ちゃんが生まれたけど、泣き声がうるさいからと言われて、生後2週間の赤ちゃんを連れて実家に追い出されたという悲劇の人。
たしか実家に戻られた後は従兄の跡取り様とご結婚されて、今では幸せにお暮しになっているという・・・・。
お子様もいらっしゃることだし、万が一、もしかしたらプラテル伯爵領に帰ってきてくれる日がくるかもしれないと期待していたプラテル領民たちは皆、昨年ユリア様が正式にご再婚されたという情報を聞いてガッカリしたものだ。
「ユリア様のご実家が?・・・作ってくれた?」
「うん。既に1本橋があるんだから、これ以上作らなくても、領民がその橋まで移動すればいい話だって言って止めたんだけどね。絶対に橋を増やした方が良い、領地の将来の為だ。出資するからって言って強引に作ってさ。」
「神様・・・・。」
まさかあの立派な橋にそんな由来があったとは。
2年しか婚姻期間がなかったのに、ハウケ伯爵家はプラテル伯爵領のために一番必要なことをやっていってくれた。感謝しかない。
「橋が出来たら、税収が増えるだろうから、そこから少しずつ返せば良いからとか言ってさ。勝手に出資して工事しておいてずうずうしい。」
「ああ、それでハウケ伯爵様にお金を返しているから、今プラテル伯爵領が貧しいのですね。」
そういうことなら納得だ。あの立派な、今では領民の生活になくてはならない橋のためなら、数年の我慢も致し方ない。
この話を広めれば、領民もきっと借金を返すまでの我慢だと、重い税金にも納得してやる気を出すはずだ。
「あ、ううん。離婚する時に、慰謝料がわりだって言って、橋の代金は返さなくて良いって。」
「え!返さなくて良い!?なんですかそれ。神様ですか。」
どう考えても、慰謝料払うのはプラテル伯爵側だろうに。ハウケ伯爵家の皆さんはどれだけ優しいのか。
―――いや違うわ。これ、慰謝料って言うか、手切れ金だわ。
今後もうプラテル伯爵と一切付き合いたくない。係わりを断ちたいと言う思いが伝わってくるかのようだ。領民として泣けてくる。
「ではどうして、これだけもうかっているのに、年々税金があがっていくのですか。」
「僕にだって全然分からないよ!もうかってなんていないんじゃないか!」
「いやいやいや。」
どう見ても、もうかっている。プラテル伯爵領民、頑張っている。5年前より明らかに稼いでいて、税収もうなぎのぼり。それなのに一体どこでそんなにお金を消費しているのか・・・・。
アメリヤは次々と膨大な資料に目を通していく。ここ数年の資料はまとまりがなく、箱に突っ込まれているだけのようなものもあって、時系列もバラバラだ。とても分かりにくい。
それに目を通しつつ、ついでに同時に整理もしていく。
「・・・・・・これはなんですか。」
次々と新しい書類に目を通しては整理していたアメリヤの手が、ある書類を見つけてピタリと止まる。
「ああそれ?僕が困っていたら、友達が助けてくれてね。僕って昔から、人に可愛がられるようなところがあって・・・・。」
超高金利の借用書。
しかも複数枚。
「・・・・そのお友達とは、今でもお付き合いされているんですか。」
「もちろん。僕が困ったら、いつでも連絡すればお金を貸してくれるって。」
「まずすぐに、そのお友達とは縁を切ってください。」
思わずそう突っ込んでしまうアメリヤ。
どこからどう見てもお友達に貸す時の金利じゃない。金利30パーセント。細かい計算はじっくりしてみないと分からないが、どうやら1000万ダリルを借りたら、5年後に2500万ダリル返すという状態のようだ。
それが複数枚。
これではプラテル伯爵領民は、この「お友達」のために働いているようなものだ。
だからアメリヤが縁を切れというのは当然のことだった。
しかし、すぐに反論するなりしてくるだろうと思ったプラテル伯爵の返事がない。違和感を覚えて資料から顔を上げたアメリヤが見たのは、反発でも怒りでもなく、絶望だった。
ケヴィンは本当に心から傷ついた人の、全てのものから棄てられたような、悲しさと怒りとが混じり合ったような。だけどパッと見は無表情のような、不思議な表情をしていた。
「・・・・伯爵?」
「いやだ。彼とは縁を切らない。」
アメリヤはこの表情をよく知っていた。親から棄てられた子供が孤児院に連れてこられた時にしている表情だ。
「お父様もお母様もいなくなって、ユリアも僕を見捨ててしまって、アルバートやモリッツだってほとんど連絡くれなくなって・・・・。そんな時に、話しかけてくれたんだ。一緒に遊んで、相談にのってくれた。いつでも頼ってくれって、言ってくれて。」
資料を見ていて気が付いたけれど、プラテル伯爵は地頭が悪いわけじゃない。
この「お友達」の貸してくれた金利がおかしいことに、頭のどこかでは気が付いているんじゃないかと、アメリヤは思った。
「もう、彼しかいないんだ。」
その言葉を否定することは、アメリヤにはできなかった。
―――自分一人でなにもできないように育てたのだったら、せめてずっと側にいて、最後まで面倒をみなさいよ。中途半端に棄てるんじゃないわよ、バカ親が!
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