第8話 いやお宅の息子さんなんですが
ガッチガチに細部にまでわたって条件を交渉し、突き詰めて作成した契約書に双方でサインをして、プラテル夫人は帰っていった。
契約書を作成するだけでなく、一応オーナーなのだからと言って、孤児院の帳簿を見させられたが、それを見た夫人は意外にも「余ったお金はお給料として、皆で分けてしまいなさい」とアドバイスをしてくれた。
今までは昔からの職員2人以外はお給料をもらわず、アメリヤや年長の子ども達が稼いだお金は、大事に大事に少しずつ使って、余ってもほとんどが税金で取られてしまっていた。
「子どもだって働いたら、お給料をもらう権利があるわ。受け取らないでほんの少し残していたって、ほとんどが税金で取られるくらいなら、労働の対価として全員で分けてしまいなさい。・・・あなたたち、本当に頑張っているのね。帳簿を見たら分かるわ。」
―――いや、その税金として取ってしまうのって、お宅の息子さんなんですが。
プラテル夫人は、なんだか最後はちょっと良い人な感じをかもし出して帰っていった。でも考えてみれば最初はアメリヤの意見も聞かずに命令してきて、断ったら今度は脅してきて、そして最後には泣き落としだ。全然いい人じゃない。
夫人が帰って時間が経ってくるにつれて、アメリヤは段々腹が立ってきた。
自室に戻って契約書を鍵付きの引き出しにしっかりとしまったアメリヤは、孤児院の裏手側の窓を開ける。
「・・・結局、また息子の面倒見る人を用意してあげてんじゃないのよ!!自分の息子なんだから自分でなんとかしないさい、バカ親―――!!」
湧き上がってくる怒りを、外に向かって叫ぶ。するとほんの少しだけすっきりした気がした。
またほんの少しだけ、頑張れる気がする。
裏手の畑で働いていた子どもたちが、突然叫んだアメリヤを驚いたように見上げている。その様子がちょっと面白い。
うん?でも14歳で子供達のリーダー格。街でも孤児院でもよく働いてくれる頼りになるビートが、青い顔をして、なにかアメリヤに目配せをしてくる。
なんだろう。
ビートが目だけで知らせてくるその視線の先を追っていくと、そこには畑と同化して目立たない色ながら、よくよく見れば良い素材のドレスを着たダークブロンドのご婦人がいた。
「バカ親でごめんなさいねー、アメリヤさん。これからよろしくね。」
ニッコニコの笑顔で手を振ってきたのは、結構前に帰ったはずのプラテル夫人。なぜわざわざ着替えて裏の畑に。
―――あ、こうやって、孤児院の様子を調査していたのね。その土色のドレス、色だけは平民の中にいても目立ちませんね。色だけは。
引きつる笑顔で、やけくそになって手を振り返すアメリヤだった。
*****
さて、数年前から徐々に援助が減らされて、今では完全に自力で孤児院を経営しているプラテル伯爵直営の孤児院。その名もプラテル孤児院。
援助が打ち切られた時、アメリヤが最初にしたことは、子ども達に稼げる技能を身に着けさせることだった。
街の人たちに頼んで、まずはほとんど無給で様々な仕事を手伝わせてもらった。手先が器用で体を動かすのが好きな子は大工仕事を、料理が好きな子は、混む時間帯だけカフェや食堂のお手伝いを、そして収穫の繁忙期の農家のお手伝いをするなどなど。
ほぼ無給の子どもの手伝いと言っても、街の人は皆、さすがになにか余った料理や傷野菜くらいは持たせて帰らせてくれた。
子ども達も、自分で稼がないと明日の食事にも困るという状況だったので、文句も言わずに必死になって働いた。
手伝いをしていくうちに徐々に上がっていった腕で、料理が得意な子は孤児院でも皆の食事を用意してくれたし、農業のノウハウを学んだ子達が孤児院の敷地に畑を作って自給自足した。
街に働きに出られないような小さな子供たちも手伝って、今では余った野菜を、外へ売りに出せるまでの、立派な畑になった。
古い孤児院の建物のどこかが壊れても、大工仕事が得意な子達があっという間に、職場でもらってきた半端材を使って無料で直してくれる。
経験の少ない最初のうちは安いお給金しかもらえなかったけど、腕が上がってきたらお給金を上げてもらうように交渉をするのも忘れない。それはアメリヤの役目だった。
そのうち子ども達が成長してきたら、それぞれの得意な仕事先でそのまま働けるし、気に入られて子どものうちから引き取られるケースも多い。
今では孤児院の食事はプロ顔負けの味。裏で採れる畑の野菜も、どこに出しても恥ずかしくないくらい立派な出来だ。
一石二鳥。いや、三鳥かもしれない。
そしてアメリヤのアイデアはこれだけではない。
それまで孤児院でのアメリヤの仕事で、一番大変なのは赤ちゃんの世話だった。
夜中2、3時間ごとに起きて泣き叫ぶ赤ちゃんのお世話をするのは並大抵のことではない。
赤ちゃんは自分一人ではトイレも出来ないし、ミルクを飲むこともできないのだ。
夜だけじゃない。日中も泣き続ける子がいるので、職員の少なくなった孤児院で、プラテル伯爵領中から集まってくる身寄りのない赤ちゃんの面倒を見続けるのは、それはそれは大変だったのだ。
しかも自分の生んだ子だったら3年もすれば成長するが、次から次へと新しい赤ちゃんが孤児院に連れてこられて、永遠に赤ちゃんがいるのだからたまらない。
そこでアメリヤはどうしたか。なんと赤ちゃんをも、街へと派遣したのだ。
もちろん赤ちゃんが働くことはできない。
でも街で赤ちゃん連れのお母さんに話しかけているおじいちゃんやおばあちゃんが、「赤ちゃん可愛いわねぇ。懐かしいわ、お金払ってでもいいから、また育てたいくらい。でも大変だから2、3日だけね。」などというのを聞いて、思いついたのだ。
それじゃあ2、3日だけでも、1人だけでもいいので預かってもらおうじゃないかと。
もちろん赤ちゃんを預ける先は、身元の良く分かっている、孤児院周辺の顔見知りの街の人に限った。
そして最初はアメリヤも一緒についていき、預け先が赤ちゃんの扱いに問題がないと判断をしたら、2、3日預ける。
お金は取らなかった。2、3日、赤ちゃん1人が減るだけで、涙が出るほど楽になったのだ。お金など取ったらバチがあたる。
始めの頃は、思惑通り久しぶりに赤ちゃんを可愛がりたくなってきた年配の夫婦などが、おもしろがって赤ちゃんを預かってくれた。
・・・・アメリヤの負担を軽くしようと思って預かってくれた人も、中にはいたのかもしれない。
しかしそのうち評判が広がってくると、意外にも赤ちゃんを育てた事がないような夫婦からの預かり希望が増えてきた。
赤ちゃんを育てた事のある夫婦と違って、育てた事のない夫婦に預けるのは大変だった。
アメリヤが1から10まで全て教え込んで、夫婦だけで面倒をみられると判断するのにそれこそ2、3日かかる事もあった。
しかもようやく大丈夫と判断して、赤ちゃんを預けたその日に、泣き止まない赤ちゃんを連れた夫婦が、夫婦そろってそれこそ泣きながら、孤児院に深夜に赤ちゃんを返しにきたこともある。
それでも諦めずに、何度もチャレンジをして、ついに3日間赤ちゃんを預かることに成功したその夫婦は、アメリヤにこう言ったのだ。
「この赤ちゃん、私たちがこれからもずっと育てていっていいかしら。」・・・・と。
もう何年も、子どもが生まれないご夫婦だったらしい。
もちろん普通に孤児院から引き取る事も考えたけれど、本当に自分たちで育てられるのかが不安で、引き取る決心がつかなかったらしい。
赤ちゃんを2、3日預かれる。世話の仕方も教えてくれるらしいと聞いて、勇気を出して申し込んだのだそうだ。
その夫婦の話を聞いた他の夫婦が、我も我もと希望して、アメリヤは一時期大忙しだった。
評判を聞き、紹介されて他領から預かり希望がくることもあったし、逆に他領から赤ちゃんを孤児院に捨てに来る不届き者なども現れて、本当に大変だった。
でも今ではそれも大分落ち着き、なんと孤児院には常にほとんど赤ちゃんはいない状態になった。
預かり希望の人の方が多くて、今では赤ちゃん待ち状態だ。
夜中に赤ちゃんの世話で起きなくて良いのは本当に助かった。
アメリヤは王都のプラテル伯爵の屋敷まで、毎日孤児院から働きに通うことにした。
孤児院に1匹だけいる馬に乗って行けば、片道2時間くらいで屋敷に着くだろう。
初出勤に備えて、アメリヤは自室のベットで、早めに眠る事にした。
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