第7話 あの子を全ての事から守ってあげたいと思った
「お給料はもらっているの?」
どれだけ泣いたか分からないほどの時間が経ち、ついに泣きつかれて顔を上げたアメリヤ。
とっくに帰っただろうと思っていたプラテル夫人は、意外にも一歩も動かずに、まだアメリヤの対面のソファーに座っていた。
話し始めた時は高かった太陽が、既にオレンジ色になり、窓から差し込んできて、泣きつかれた目には痛い。
「もらっていませんよ。」
元から孤児院で働いていた職員には、家庭もあるのでなんとかお給料を払っているけれど、子どもの頃からずっと「お手伝い」をしてきて、家族もいないアメリヤには給料はない。
孤児院の子ども達がいくらお手伝いをしていても、街で働いて稼いでも、孤児院の運営費に回されるのと同じだ。
アメリヤはどれだけ働いても、衣食住を賄われて、ほんの少しの身の回りの物を買うお小遣いをもらっているだけだ。
そのほんの少しのお小遣いだって、もらうのに罪悪感があるくらいだ。
「分かりました、ではこうしましょう。あなたの経営者としての腕を見込んで、雇います。お給料もきちんと払うし、息子と結婚はする必要ないわ。考えてみれば伯爵領が立ち直りさえすれば、ケヴィンはいくらでも貴族の女性から再婚相手を選べるもの。」
「イヤです。」
ギリギリのところで我慢してきた感情が一度溢れてしまったアメリヤは、とにかくもう、どこか自分を知る人のいないところへ行ってしまいたかった。
この話が終わったら、明日にでもプラテル伯爵領を出て他の領へ行こう。ほんの少しのお小遣いを貯めたお金で、安い宿に泊まって、1日だけでいい。誰かの面倒をみないで、ぐっすりゆっくり眠りたい。
「話は最後まで聞くものよ。1か月20万ダリル払います。」
20万ダリル。安すぎて思わず笑いが漏れる。
人をどれだけバカにしているのだろう。
伯爵領の立て直しなんて、とんでもない責任を負わせておいて1か月20万しか払う気がないなんて。
働き始めの大工の見習いだって、真面目に働けばそのくらい稼げる。その事をアメリヤは良く知っていた。
「お引き取りください。」
「・・・・冗談よ、30万ダリル。平民の平均収入を超えているわよ。」
月収30万。それはなかなかの金額だった。
平民で安定してその金額を稼ぐ者は少ないだろう。裕福な商家に勤める人か、小役人の管理職レベルだ。
だけど、小役人の管理職レベルのお給料で、甘ったれ伯爵の世話をして伯爵領をどうこうしろですって?まだまだ割に合わない。
―――私はもう、誰かの面倒をみるのが心底嫌なの。少ないお給料でもいいから、なにか好きな仕事を見つけて、のんびりと働いて、自分のことだけを考えて、自分の好きなことをして過ごしたいのよ!
「お断りします。お給料は少なくても、どこかでのんびりと、自分の好きな事だけをして過ごします。」
「ぐぅ・・・・。」
今度は断られるとは思ってなかったのだろう。夫人は本気で悔しがっている様子だ。
いくら孤児院の経営を立て直したとはいえ、1孤児院の経営と伯爵領の経営では比べ物にもならない。
こんな小娘に、30万払おうというだけで破格の条件なのだ。これで断ったらさすがにもう諦めたことだろう。
「それでは、どうぞ帰りください。出口までご案内いたしますよ。」
そう言って、アメリヤが立ち上がろうとした時。
「50万。」
「・・・・・・・・え?なんてすって?」
なにか信じられない金額が聞こえた気がする。聞き取れはしたけれど、でもきっと聞き間違いだろうと思って、アメリヤは聞き返した。
「50万ダリル払います。だからプラテル伯爵領の立て直しと、そして息子ケヴィンが自立するように教育をしてちょうだい。1か月働けば50万ダリル。2か月で100万ダリル。1年働けば600万ダリル稼げる。更に伯爵領の立て直しに成功した場合には、給料とは別に、成功報酬を支払います。600万あれば生活に余裕が出る。余裕が出たら好きな事をできる。好きな仕事をするのは、それからにしても遅くはないんじゃないかしら。」
「息子さんの教育?さっきより注文が増えていませんか。」
「当然でしょう、それだけのお給料を支払うのだから。プラテル伯爵領の立て直しと、ケヴィンを立ち直らせること。期間は1年間。1年経ったら例え成果が出ていなくても、好きに出ていってくれて構わないわ。」
「そんな・・・・なんで私なんかにそこまで破格の条件を。」
もちろん貴族にとっては600万ダリルなど大したお金ではないだろうが、平民にとっては大金だ。たかだか孤児院で50~60人の子どもの面倒を見ているだけのアメリヤに、なぜそこまで固執するのだろう。
「言ったでしょう。私は人を見る目があるの。あなたの評判を聞いて調査して、直接何回か様子を見にきたこともあるけれど、あなたを見た瞬間、ピンときたのよ。・・・他にも何人か調査したけどね。」
「・・・・・・。」
まさか前伯爵夫人がアメリヤの様子を見に来ていただなんて、全然気が付かなかった。
・・・・調査しに来た時も、まさかこんな目立つドレスを着ていたのだろうか。
「あなたが何十人もの子供たち相手に、何かを教えたり、叱ったり、一緒に遊んだりしている様子を見てね。『この子だ!』って思ったの。ケヴィンに必要なのはこの子だって。」
「え!?お、おやめくださいプラテル夫人。」
なんとプラテル前伯爵夫人が、その美しいダークブロンドの髪の頭を、深々と下げている。
貴族の、しかも伯爵家の婦人が、孤児院出身の平民に頭を下げている。
これはとんでもない事件だ。
「ここでなんとかしないと、プラテル伯爵領は・・・いいえ、ケヴィンは終わりなの。」
頭を上げたプラテル夫人の目に、光るものがある。
演技なのかもしれない。アメリヤに同情させるためにパフォーマンスかもしれない。けれどそれでも平民の前で頭を下げて、涙を浮かべているという事実が目の前にある。
「あの子は本当に、小さい頃から天使のような可愛い子で、私はあの子を世の中の全ての事から守ってあげたいと思ったの。そのためだったらなんだってするって。痛い思いも、辛い思いも、大変な思いも一切させないように。望んだことは全て叶えてあげて、辛い事は全部取り除いてあげた。」
え・・・なにそれ。そんなことしたら人間としてダメになるに決まっている。
―――そうか。プラテル伯爵は、子どものままなのか。しかもママに守られて、なにもかも全部を、ママや誰かにやってもらっている、幼児レベルの。
「ケヴィンが大人になって、さすがにこのままじゃまずいと思ったのよ、これでも。だから早々に主人に家督を譲ってもらって、ケヴィンがこれ以上私たちに頼らないように屋敷を出たのだけど・・・・。ついつい心配で、仕事を代わりにしてくれる優秀な執事を、やっぱり付けてあげてしまって。」
「それじゃ意味ないじゃないですか。」
例え親が離れても、その代わりに仕事をやってくれる執事がいるんじゃ、同じことだろう。
「でもそんなに優秀な執事さんがいるなら、どうしてプラテル伯爵領は、今こんなに寂れて借金だらけになっているんですか。」
「その執事、ケヴィンの我儘に耐えきれなくなって、出て行ってしまったみたい。私の子育ては間違っていた・・・・認めるわ。」
「おぉ・・・。」
甘ったれ伯爵・・・思っていた以上に重症そうだ。
「私もすぐに追い出されるかもしれませんよ。」
「それなら契約はそこまでで結構よ。その時点までのお給料を払うから、後は自由に好きなところへ行ってちょうだい。」
「本当に、1年だけで良いんですね?」
「いいわ。1年だけでも、あなたがあの子のそばにいてあげてくれれば。」
もう1分1秒だって誰かのために自分を犠牲にしたくないアメリヤだったが、600万ダリルは平民にとって、とても魅力的なお金だった。
あと1年だけ。しかもこれまでみたいに無給ではない。
それに子どもの教育はアメリヤにとって息をするのも同然の仕事だ。・・・・プラテル伯爵は子どもではないけれど。
まあ自分でトイレができる人の世話なら、赤ちゃんに比べればなんてことはない。
「分かりました。お受けします。しっかりと契約書は書いていただきますから。」
「それはもちろん、当然よ。よろしくね、アメリヤ。」
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