齢十、冒険の始まり

 ニャルハさんが村を離れてしばらく。具体的に言えば、日本的年月で三ヶ月ほど。

 あの人は去り際にまた誘いに来ると言っていたが、まあリップサービスというやつだろう。


 そんなことはさておくとして。

 ついにと言うべきか。母の容態は急に悪化し、ついに起き上がることすら叶わなくなってしまった。

 村には常駐してくれる医者はおらず、次に行商人と共に訪れてくれるとしても当分先だろう。

 

 ──つまり、もう終わりは近いということ。彼女の命も、俺の生きる意味というやつも。


 苦しそうに咳を続ける母を前に、俺は軽い言葉以外の何も差し出せる物がない。

 こういうときほど、ゲームの知識なんて無価値だと思い知らされることはない。

 娯楽は所詮娯楽。この世界は紛れもなく現実なのだから、ゲームの知識で人を救うなんてことは出来なのだ。


 ……いや違う。知識が悪いんじゃない。全部、俺が真剣に向き合わなかったのが悪いんだ。


 万病に効く花があるのを知っていた。

 一口食べれば瞬く間に体が活力を取り戻す、そんな奇跡を創る料理人がいるの知っていた。

 泉の龍の涙、いかれる虎の血、真っ黒の粉末。或いは、呪いすら他人に移せる押しつけの禁呪。


 知っていた。知っていて何も出来なかった。しなかった。

 俺が弱くともニャルハに依頼すれば良かった。けれどそれすら、しようとしなかった。

 

 無意識にでも母を重荷にでも思っていたのか。そんなはずはないと、今の俺には断言出来ない。

 嗚呼、何て情けない。何て醜い。どうしてここまで、俺という人間は終わっているのか。

 俺なんぞは生まれ変わらねば良かった。そうであれば母は死なず、俺は死ねたのだ。

 きっとこの後悔すらも、俺が自分を正当化するために酔っているのだろう。度し難い、存在してはいけなかったゴミが俺なのだ。


「ごほっ。おいで、シーク」


 そんな俺がどう見えたのか。母は掠れた声で、俺をベッドの側まで呼んできた。

 ゆっくりと、断頭台へ昇るかのように俺は死にかけの母の元へと歩き、視線に合わせて膝を突く。

 最期に恨み言でも吐かれるのだろうか。生まなきゃよかったと、後悔の嘆きを呟かれるのか。

 そういうのならむしろ良いのかもしれない。俺は誹られて当然、この人の子供ですらあれなかった化け物だと、本人から断ざれるのならそれはきっと至上のはずだ。


「シーク、シーク。嗚呼、私の可愛い息子……。たった一人残された、私の息子……」


 力なく震えた、肉のない痩せ細った手が俺の頬を撫でる。

 出てもいない薄情者の涙を拭うためか、ただ触りたかっただけなのかすら曖昧に。


 ──ごめんよ。こんな出来の悪い、三流以下の子供もどきで。


「どうか、幸せに……。嗚呼、私の宝物……」


 そうして事切れる母。頬から腕は垂れ、二度と声も呼吸も発することはなくなった。

 だがやはり、そんな様を見ても、俺の瞳は涙を流すことはなく。

 むしろ抱いたのは、この上なく平坦で薄情な、親の死に立ち会った子供が抱くべきでないもの。


 ……何て寂しい死に方だろう。こんな哀れな死に方を、俺はしたくない。


 何も得られず、何も満たされず。唯一あった子供は、子供の形をした紛い物。

 一度しょうもない死に方をした自分だからこそ、こんな死に方はしたくないとそう思ってしまったのだ。


 その後村での葬式が行われ、母は燃やされ墓の下へと埋葬された。

 この世界では土葬と火葬の二種が主流だが、母は遺言に燃やして欲しいと残していた。

 土葬は尊き行いという教えもあるが、屍体アンデッドへと成り果てる可能性があるのを知っていたのだろう。

 墓は集合墓地ではなく、村はずれのとある木の陰に一人で掘って建てさせてもらった。

 これは自己満足に過ぎない。けれどこの、母が一人息子である俺と良く休みに来ていた場所に眠ってもらいたかったのだ。

 母がこれを恨むか笑うかは定かではない。どんな悪行を為そうと、息子が墓の前で俯いていようと、結局死人に口はないのだ。


 そうして母の死という節目にけりが付き、ついに俺の生きる理由はなくなってしまった。

 だが、今はわざわざ自ら首を吊ろうとは思えない。母の死を直面したからか、それはとても虚しくて、どうしようもなく寂しいことのように思えてしまったからだ。

 

 何も残せずに死ぬなんて嫌だ。何一つ為せず、前世みたいにくたばるなんて真っ平御免だ。

 どうせ死ぬなら、満たされてから死にたい。何かを果たしてから眠るように死んでいきたい。──母みたいに、孤独に死んでいきたくなどない。

 二度目の生で初めて湧いた生きる活力。母の死をきっかけにしてやっと芽吹いた、どこまでも自己中な俺の根本だった。

 

 ──そうだ。宝を集めよう。集めた宝こそが、俺が生きた価値になるはずだ。


 ふと思い出したのは、あのゲームに存在した百の宝の存在だった。

 

 百財宝レジェンダリー。それはGHグラホラにてコンプ要素でありながら、時にプレイヤーにすら存在を疑われた意味なく難解な収集要素。

 あるかも分からない宝。存在すら笑われるかもしれない、その幻や伝説の結晶達。

 けれどもしも。もしもこの世界が、本当にあのゲームをモデルにした世界であるのならば。

 あの宝達もきっとあるはずだ。既にそこになかったとしても、実在自体はしているはずなのだ。

 

 分かっている。根拠としては弱すぎると、眉唾が過ぎるということも。

 けれど魔法もあった。言葉もあった。道具もあった。何より同じキャラがいた。

 ならば宝だけはないなんて道理は通らない。例えなかったとしても、俺はそれを認めたくない。

 

 形ある物。俺という母すら見捨てたゴミクズが、唯一変わりなく誇れるであろう不変。

 それを手に入れることさえ出来たのなら。それらに囲まれて、死ぬことが出来たのなら。

 俺の死はきっと華やかなものであるはずだ。……母が命を費やして産んだ程度には価値のある存在だったのだと、自分を肯定できるはずだ。


 勇者も魔王も興味はない。争いも滅びも勝手にやって、勝手に世界は救われていろ。

 俺が求めるのは宝のみ。俺がこの世界で生きて良かったという、存在証明の一つだけだ。

 

 生き方は決まった。何もない胸内の空洞に、不思議なくらいすっぽりと埋まった。

 トレジャーハンター。あのゲームには存在しなかった、本題に絡まぬ自称職。それがシークという人間に課せられた、最初で最後の使命だ。


 ──行ってくるよ、母さん。全部終わったら、手向けに綺麗な宝を持ってくるからね。


 母へと挨拶した俺は家へと向かい、小さな鞄に旅支度を調える。

 武器は相棒で充分。後は古い地図と水。それと、母の遺品で俺へと残してくれた懐中時計。

 

 出発は明朝。誰にも挨拶などせず、一人でこの村から立ち去ることにする。

 この村に未練などない。母とこの家だけが、俺がここまで生きていた理由なのだから。

 

 そうして旅支度を調え、軽く食事を取った俺はそのままベッドへと横になる。

 いただきますもおやすみもなくなった家の中。前世むかしは当たり前だった、一人だけの空間。

 その空虚さに母の死を実感させられながら、この家との最後の夜に別れを告げて瞼を閉じる。眠りに少しだけ枕が湿っているような気がしたが、きっと気のせいだろう。

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