第5話 妖精の歌声

 天馬と平は話し合った結果、まずはクルワサンに歌の配信をやらせることにした。


「ふあーあ。おはよー! 天馬。今日もがんばっていこー!」


 休息のために眠っていたクルワサンが目を覚ました。寝ぼけ眼だった彼も天馬の姿を確認するとすぐにハツラツとした笑顔を見せる。


「クルワサン。今日は事務所に来ている」


「事務所。へー。ボクがあんまり来たことがないところだね」


「まあ、俺たちは基本的に自宅のチャチな環境で配信していたからな」

 

 コローネ時代の今までの苦労が目に浮かんでくる。人気がない見た目の芋虫型モンスターと共に歩んできた時間は決して短いものではなかった。


「そんなことは良いんだ。クルワサン。今日はボイストレーニングをするぞ」


「ボイストレーニング……? なにそれ」


「今度、クルワサンが歌の配信をすることになった。それに伴って歌唱力のチェックとトレーニングをしておかないとな」


「そんなこと言ったってボク、歌ったことがないよ」


「お前、ずっと『んみゅんみゅ』しか言えなかったもんな」


 天馬は過去を懐かしんだ。しゃべれなかった赤子が成長してしゃべる。それは嬉しいことではあるが、あのたどたどしい言葉が2度と聞けなくなるのはそれはそれで寂しいものがある。


「でも、歌ってどんな感じなんだろう。ボクでも上手く歌えるかな」


 まだ経験したことがない歌に興味があるのか、羽をパタパタと動かして興奮が抑えきれない様子のクルワサン。


「ああ、きっとクルワサンなら大丈夫だ。なにせ、俺のパートナーだからな。歌くらい軽くこなしてもらわないと困る」


「えへへ、そうだね」


 天馬に信頼されたことでクルワサンは満面の笑みを浮かべる。長い下積み時代。天馬に見捨てられずに愛情をもって育てられたことで、クルワサンは自己肯定感が高まり、それに伴い天馬に対する信頼も厚くなっている。


「それじゃあ、そろそろ時間だ。ボイストレーニング用の端末に移動させる」


「うん。わかった行ってくる。待っててね」


 天馬は自分の端末からボイトレ用のプログラムがインストールされている端末にクルワサンを移動させた。クルワサンがトレーニングしている様子は天馬の端末からでも確認することができる。



 クルワサンは学校の音楽室のような場所に転送された。音楽家の偉人の肖像画、大きめのピアノ。雑に扱われて傷がついている学習机の数々。その教壇に立っているのは、大きなヘッドフォンをした人間の女性を模したアンドロイドだった。


「初めまして。私はバーチャルモンスターのボイストレーニング用に開発されたアンドロイド。MK―Ⅲです」


「よろしくお願いします先生!」


 元気よく挨拶をするクルワサン。MK―Ⅲは決められたプログラム通りに進行をする。


「まずはあなたの体をスキャンします。声帯のタイプを確認中……終わりました。声帯タイプ―C。変声期前の少年に最も多いタイプの声帯です。高音を得意とします」


「なんだかよくわからないや」


 サナギから羽化したばかりで知識があまりないクルワサンがMK―Ⅲの言っていることを理解できないのは仕方のないことである。しかし、MK―Ⅲも理解される前提で動いているわけではない。これはあくまでもボイトレに必要な情報収集で生徒が理解する必要はない。


「続いて音域の確認をします。まずは低音からいきましょう。自分が最も出せると思う低音を出してください」


「わかりました……火炎鱗粉!」


 クルワサンは羽から鱗粉を出す。しかも弱火の低温。


「温度の方の低温ではありません。音程の方の低音です。できるだけ低い声を出してみてください」


 なぜかツッコミ機能も搭載されているボイストレーニング用のアンドロイド。それがMK―Ⅲ。


「そっちかー。それじゃあ、いくよ。ぼえー」


 クルワサンが低音を出そうとする。しかし、それでも全然高い。


「それ以上下がりませんか?」


「ぼええええええ……無理みたいです」


「なるほど。あなたは低音が苦手のようですね。それでは高音を出してみて下さい」


「はい。ふぁああああああ!」


 クルワサンが高音を出す。しかし、普段の声とあまり変わらない。


「…………どうやら、あなたは音の高さを変えるのが苦手のようです。つまり、歌を歌う上で致命的とも言えます。あえて、言葉を選ばずにこう言いましょう。ド音痴です」


「ド音痴……ドまでつける必要なくないですか」


 クルワサンはMK―Ⅲに最低評価をつけられて落ち込んでしまう。一方でその様子を見ていた天馬は――


「クルワサン……お前、歌が下手なのかよ!」


 頭を抱えていた。歌の配信枠はそれなりに人気があり伸びやすい。特に歌手には容姿も求められることも多い。ビジュアル面で言えば、クルワサンは文句なしの合格。後は歌が上手ければ、歌の配信で伸ばして手っ取り早くスキルを鍛えることができる。


「えー……歌がダメだったら次はどうなるんだ? 料理配信? いや、まだだ。トレーニングする前から諦めちゃいけない。クルワサンはこれから伸びる晩成タイプかもしれないじゃないか。信じよう」


 天馬は信じて見守ることにした。


「クルワサン様。次はリズムをとって見ましょう。音楽に合わせてこちらのカスタネットを叩いてください」


「カスタネット。叩いたことないな。ちょっとやってみてもいい?」


 クルワサンが、タンタンとカスタネットをぎこちなく叩く。その姿はまるで幼稚園児のお遊戯会。


「それであってます。それでは、音楽を流します」


 MK―Ⅲが音楽を流す。その音楽のリズムに合わせてクルワサンがカスタネットを叩こうとする……叩こうとするだけだった。そのリズムはズレにズレていて、不安になるレベルである。


「ストップ。クルワサン様。真面目にやっていますか?」


「はい」


「…………真面目にやってそれならば、あなたのリズム感はゼロです。ゼロと言うのですら嫌というほどです。私の扱える数にマイナスがないので、仕方なくゼロ点にしているだけです」


 高性能アンドロイドっぽい風格を出しておきながら、なぜか符号なし整数型しか扱えないMK―Ⅲ。


「では、クルワサン様。早速トレーニングを致しましょう。本来ならば得意を重点的に伸ばすか、苦手を克服するかの2択ですが、あなたの場合は全てが苦手なので、苦手を克服するトレーニングしか選択肢はありません」


「はい。それはもう……すみません」


「いえ、謝る必要はありません。誰にでも苦手なものはありますし、最初から完璧なモンスターはいません。どこかしら欠点があるからこそ、それを補うために私たち教育アンドロイドはいるのです。では、まずはリズム感を養いましょう」


 こうして、クルワサンの長い長いトレーニングが始まったのだった。歌配信に耐えられるレベルの歌唱力を身に着けることができるのか。天馬は不安になりながらも、クルワサンのトレーニングを見守った。



「ごめん。天馬。ボク、あんまりうまく歌えない」


 トレーニングを終えて天馬の端末に戻ってきて早々、クルワサンは謝罪をした。だが、天馬はくすっとほほ笑んだ。


「なに。心配することはない。俺はお前が芋虫の間、ずっと見守って来たんだ。ゆっくり、じっくりやれば良いさ」


「ありがとう天馬」


 天馬の優しさにクルワサンは感動して目に涙を浮かべる。事実、ずっと芋虫の状態でなにもできなかった頃に比べると、動ける。しゃべれる、飛べる、かわいい。それだけで十分すぎる。


 今更、苦手なことが露呈したところで、天馬がクルワサンを育てていく方針になにも変わりはない。成長が早いか、遅いか。それだけの違いであり、それも天馬にとっては些事さじなことなのだ。

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