ダイヤモンドと小石

ツバキ

1話

ポケットから出した定期券の期限が切れていた。券売機へ向かい、しばらくたたずむ。その後、少女はため息をつきながら回数券を買った。

日付の更新がされなかった定期券は、どこか悲しそうにポケットの中へと戻っていった。



私が「Vtuber」というものを知ったのは2年くらい前のことだったと思う。

Vtuberとは、バーチャルでの仮の姿に声を当てて配信など幅広い活動をする仕事のことである。

当時一番の友達だったナユちゃんから最近流行っているのだと勧められ、一瞬で虜になった。半年経った頃には、日本のある程度有名なVtuberの顔と名前はほとんど一致していたほどだ。

そうした中で、私は徐々にVtuberに強いあこがれを持つようになってしまったのだ。


でも、最初から、私みたいな人間がVtuberを目指すこと自体が間違っていたのかもしれない。

そして今から一年と少し前ごろ、私はナユちゃんと二人でとある事務所のVtuberオーディションを受けた。日本でも五本の指に入る有名な事務所である。結果から言うと、私だけが受かって、ナユちゃんは落ちた。


今考えれば運が良かっただけだと思う。2人とも面接までは進んだが、面接で私より声が可愛く歌もうまかったナユちゃんは落ちて何もかも劣っていた私は受かった。


でも、あの頃の私は浮かれていた。



ーー合格すごすぎるよ、ゆうか!!まじで応援してる!!!!!


ーーありがと(笑) なゆも早く来てね?!待ってるよ!


ーーありがとおおお!!!ファイト!


ーーありがとー!



ナユちゃんとのラインはあの日のこの会話から進展していない。

今もラインの固定ピンに一年近く前のナユちゃんとのトークが残っている。私が合格してすぐに通っていた高校を辞めて通信高校に切り替えたからだ。


あの頃の私はどんな壁が来ても乗り越えられる一種の無敵感に酔っていた。私は倍率300倍を突破してしまったのだ。自分のことを選ばれし人間だと信じ込んでも仕方ないと思う。でも、現実は大きく違った。私は力不足で愚かな道化師でしかなかったんだ。


こうして下の名を本名のまま「椿 ゆうか」としてVtuberとしてデビューし、約1年弱が経った。

今日、私はVtuberの活動を辞めたいということを事務所に伝えに行く。今はその途中の電車に乗っている。今朝、定期券の有効期限が切れていたが、延長する必要もないだろうし回数券を買った。


この、通勤ラッシュの時間から外れた電車内の風景も、高校に通っていたころは「サラリーマンにならずVtuberとなるという将来の生き方」として夢にまで見た風景だったが、今は見渡すだけで心がずしりと重い。


まだ、事務所の最寄り駅まで時間がたくさんある。こういう日だけ、苦しいほど、残酷なほど時間が長く感じる。

そうだ、この時間に、なぜ私がこれほどまでに自分の無力さを痛感したのかを話そうと思う。心の整理にもなるからね。


私の入った事務所はさっきも説明した通り、Vtuber事務所の中でも大きめなものだった。

私はそこの4期生としてデビューした。1〜3期生の先輩方の最高チャンネル登録者数は25万人くらいで、平均チャンネル登録者数が15万人くらいであった。


そう、私たちが入るまでは。

4期生は私を含め5人いた。私以外の4人がまさに天才的な人だからだろう、4期生は初配信から大きなインパクトを残して大きな話題を生み出した。


私たちの事務所はキャンディープロダクション、通称キャンプロという。

この4期生の一件はキャンプロショックと言われ社会現象になった。同期の中でも一番伸びた子は、一週間でチャンネル登録者が70万人を超えた。


1〜3期生の先輩たちも、平均チャンネル登録者数も30万人を超えるなど、このキャンプロショックを通じて徐々に伸びていった。


ただ一人、私を残して。


私の登録者は今の段階でも22万人と伸び悩んでいる。しかも、そのほとんどが伸びた同期からのおこぼれなことも分かりきっている。

22万人の登録者に対して普段の配信の視聴回数が1万いかないことだってざらにあるからだ。


私だって声も歌もトークスキルも血を吐くほど練習した。

追いつきたくて、追いつきたくて、追いつきたくて必死にただ必死に努力した。

私は「努力は報われないのが普通」という言葉はまったくもってその通りだと思う。

私の努力はなにも報われなかった。

なにも結果にならなかった。


だってそうでしょう。

例えば、母国がアメリカである先輩が英語で喋りだしたときにその英語にかぶせて



ーーー今回はこの映画を、日本の皆さんにも楽しんで頂きたく、我々はアクションシーンに力を入れ・・・



なんて言って、海外映画の試写会のようなことを言って笑いを取るなんて私にはどれだけ努力してもできない。

生きる世界が違うのだ。


もう1つ例を出してみよう。

私の同期などとのコラボ配信について、表面上のコメント欄は荒れていることは少ない。でも、アンチコメントはきちんとあるし、配信が終わった後Twitter(現X)で自分の苗字でエゴサすると全く反応が違うのだ。



「この椿って人全然しゃべらなくない??」


「椿ちゃんもう少しいい返しできないのかな…」


「椿って人いると変に空気調整しないといけなくなって他の4人が可哀相」


なんて言葉が広がっている。


インターネットは良くも悪くも残酷だ。自分の発言にほとんど責任が生じない。良くも悪くも取り繕っていない意見しか落ちていない。


なんて、少し話しすぎたね。電車も事務所の最寄り駅についた。

私は今日、大好きだった活動を、大きな夢を、今まで生きてきた意味を、捨てに行く。

Vtuberへの愛を、はるかに超えるほどの苦しみを背負ってきた。


もういいんだ。もう。

卒業が決まって、卒業配信が終わったらどう生きようか。

改めて大学受験でもしようか。でも大学に入ってもやりたいこともないからね。このまま死んでしまおうかな。生きる理由もないし。


私の好きな死生観に


「自分を花に例えるなら一番きれいに咲いているときに美しいままで死にたい」


ってのがある。今、まさに最盛期なのかもしれないな。やっぱりこのまま死んでしまうのがいいのかもしれない。遺書には何を書こうか。


そんなことを考えているうちに、事務所についた。

いつもの部屋に入り、マネージャーさんに挨拶する。マネージャーさんが興奮気味に近づいてきた。



「椿さん!!実は我々に、次の新人、あなたの初めての後輩のキャラデザインとサンプルボイスが共有されたんですよ!見ます?」


「あ、はい、じゃあお願いします…」



勢いに飲まれてしまった。まあ、話はこの後でもいいだろう。

そうして新人のサンプルボイスを聞いていく中で、とある声を聞いて思わず言葉を失った。

その声は私が大好きだった声、そして遠ざかってしまった声、誰の声より耳に残っている「あの声」だった。


そう、その声は紛れもなくナユちゃんの声だったのである。

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ダイヤモンドと小石 ツバキ @chinatsutatsu

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