第78話 変わる関係、変わらない関係

 梅雨といえど、毎日雨が降り続くわけじゃない。

 汐留に約束きょうせいされた土曜は、それまでの傾いた天気は何処へやら。薄い雲の切れ間から陽の光が差し込む心地よい気候となった。


 待ち合わせより五分ほど早く着いて、スマホを確認する。

 あの約束の後、勉強会を断られたついでに念の為と無理やり連絡先を交換させられたが、今日まで汐留から連絡が来る様子もない。

 待ち合わせの場所と時間だけ聞いて、その行先は知らないまま。やけに胸騒ぎがするのは気のせいかしら?


 ややあって、時間ぴったりに汐留が到着した。

 ゆったりとした黒い無地のプルーオーバーにハイウエストのチェック柄のロングスカートとちょっと大人びたコーディネートに身を包んだ汐留は、途中で少し走ったのか額にじんわりと汗を滲ませている。


「ごめん。少し遅くなった」

「いや。俺が早く着いただけだから」


 それじゃあ行こうか、と足を踏み出した俺の手を引き戻す。

 そして、深々と頭を下げる汐留。


「悪いんだけど、今日はうちに合わせてほしい」

「合わせる?」


 何かものすごく嫌な予感がする。なんか既視感があるなぁって。

 そしてその予感は、汐留が答えるよりも先に的中した。


「ごめーん! お待たせぇ」


 うげぇ、と漏れそうになった声を飲み込む。

 現れたのは、見覚えのある清楚系ゆるふわ少女に高身長のイケメン。どこかで見たなぁ? 気のせいかなぁ?

 なんて現実逃避は許されない。


「杏あんちゃん久しぶり!」

「結奈ぁ! 元気してた?」

「超元気だったよー」


 なんて、聞き覚えのある会話を右から左へ受け流す。

 既視感があるのも当然だ。一周目でもやったやつだからな。

 つまり、当然ながらこのイケメンのことも知っている。


「初めまして。俺は新島にいじま涼介りょうすけ。優大の二年生だよ。今日はよろしくね」


 一周目と全く同じ挨拶と共に握手を求めるこの男は、この物語では割とキーキャラクターに位置している。

 以前は頼りになるお兄ちゃんのようなポジションで俺をサポートしてくれた男だ。実際には亜梨沙の義兄なのだが、俺にとっても兄のような存在だ。今からでも兄貴と呼ばせてほしいくらい。

 杏の方は知らん。一話限りのゲストだ。


 一周目とは随分時期が異なるが、この二人が現れたということは、そういうことなのだろう。


「初めまして。常陽高校二年の柊木灯です」


 二回目の初めましてともなれば、歳上のイケメン相手でも物怖じすることはない。この人は聖人だからな。がっしりと握手も交わしていく。


「へー、その人が結奈の彼氏?」


 ここで杏の先制パンチ。やばっ、と言いたげな表情を隠しきれない汐留。やっぱりそういうことだよな。

 これは所謂ダブルデートというやつだ。一周目でもこのメンバーで同じことをした。歳上のイケメン彼氏を見せつけようとして失敗した杏の絶望した顔は記憶に新しい。

 汐留はなにやら焦っているが、一度経験のある俺にとってはこの日を乗り越えることなんて造作もない。

 出来れば先に教えてほしかったけど。もうちょい見た目に気を遣って来りゃよかったな。


「結奈とは同じクラスで、最近付き合い始めたんすよ。これが初デートなんでお手柔らかに」


 設定はこんなところだろう。名前呼びしてほしい!とかいう杏の攻撃も予め防いでおく。もしかして俺って実は嘘が上手いのでは?


「え、初デートなの? 結奈、もう何回かデートしたって……」


 前言撤回! 全軍退避! 余計なこと言ってすみませんでした!

 早くも嘘ってバレそう。唸れ俺のシナプス。嘘は苦手でも言い訳は得意だろ。ろくな特技じゃねえな。


「あーまあ、下校の時一緒に帰ったり、俺の家でくつろいだりしたのも含めたら初めてじゃないな」


 と、なんとか誤魔化してみるものの、杏の訝しげな表情は消えない。

 汐留は汐留で顔を真っ赤にして黙りだ。どんな設定にしておくかは先に相談しようって前回学んだだろ! どうすんだこの空気!

 なんとも言えない微妙な空気が漂っていると、パンっと手を叩く音で三人の視線が一点に集まる。


「そんな細かいことはいいんじゃない? きっと二人とも恥ずかしいんだよ。付き合いたては初々しくていいね」


 流石聖人涼介さん! 悪い空気を一言で一掃! 空気清浄機みたい! 褒めてねえなそれ。


 杏も「そうだよねー、初々しいね!」などと話を合わせている。話を合わせるならその引き攣った笑顔は隠した方がいいですよ。営業スマイルの達人でも紹介しましょうか?

 ともあれ、涼介さんの鶴の一声でなんとかその場を乗り越えた俺たちは、一周目同様カラオケに行くこととなった。

 これがまた厄介なんだよなぁ。まあ、一周目と同じように流せばそれで済むだろう。俺と汐留と涼介さんとで盛り上がって、杏が機嫌を損ねておしまい。

 このダブルデートイベントは涼介さんと知り合うことを目的としている。杏がどうなろうと関係ないし、本人の自業自得のため同情の余地もない。

 二周目は強くてニューゲームだ。



 と、そんな甘い考えはすぐに吹き飛んだ。

 序盤は良かったんだ。一周目と同じ流れで杏、涼介さんと歌い、俺の番。

 ボカロしか知らないらしい汐留は、杏の前で歌うことに躊躇しているようで、俺は汐留が好きな曲を歌いやすいように『Beat It』をチョイス。そして踊る。ぶっちゃけ二回目は恥ずかしかったけど。

 その中で涼介さんが上手いこと盛り上げて汐留が好きな曲を歌える空気になる。

 汐留にマイクを回し、ボカロ楽曲でも有名なものを選択し、綺麗な声で難しい音程を外すことなくバッチリ歌い終える。


 そして違和感に気付いた。

 一周目なら、汐留が歌い始めた途端に杏が曲そのものを見下すような発言をし、涼介さんに突き放されていた。そこからはまあ、杏の自業自得とはいえ、杏を一人残して他三人で大いに盛り上がったもんだ。


 しかし、二周目は違った。

 なんとあの杏──あの、と言えるほど杏のことはよく知らないが、涼介さんと共に合いの手を入れて盛り上げていたのだ。

 天変地異か? どんな作戦だ? などと変に疑ってしまう。

 だが、その後も特に荒れることなく、杏と汐留は普通に仲の良い友人として接しているように見えた。


 俺は俺で涼介さんに「顔が強ばっているけど何かあったのか?」と心配されてしまう始末。

 杏が汐留をバカにしないのはおかしい!なんてそれこそバカみたいなことを言えるはずもなく、「みんな歌が上手くて緊張します」と適当なことを言って回避した。


 その後も俺は杏を警戒し続けたが、普通にご飯を食べて普通にショッピングを楽しんで一日が終わった。



「あー、楽しかった!」


 日も沈んで来た頃、杏は呑気にそう言って背伸びをしていた。涼介さんも汐留も当然のように賛同する。

 これでいい……はずなんだが、一周目とのギャップにどうもついていけない。

 そんな俺の様子が気になったのか、杏が俺の顔を覗き込んだ。


「灯君は楽しくなかった?」


 いつの間にか名前呼びされていて反応に困る。

 名前なんてものは記号でしかないんだぜ、なんてかっこつけてみても、実際に呼ばれると恥ずかしさはある。可愛い顔で近づかないでほしい。こちとら一応初対面ぞ? 前回とのギャップに心臓ドキドキぞ?


「いや、楽しかったよ」


 少し不思議そうな表情を浮かべつつも、杏は「よかった」と可愛らしい笑顔を見せた。


「そうだ、連絡先交換しようよ! またこうして四人で集まりたいし!」

「そうだな。せっかくの機会だ」


 杏からのまさかの提案に何故か同意する涼介さん。何がせっかくなんですかね。

 ふと汐留に目線を向けると、不安そうにこちらを見つめる視線があった。

 俺と汐留は恋人のフリをしているだけ。それなのにまた巻き込むかもしれないと不安に思っているのだろう。

 そんなに心配そうな顔をしなくても、ここで雰囲気を壊すほど今の俺は落ちぶれちゃいない。


「そうですね。今度はどこかテーマパークにでも行きましょう」


 俺がそう言うと、汐留は安堵したように小さく息を吐いた。

 まあなんだ。こういう面倒事に巻き込まれるのも慣れてきたんだ。し、汐留のためじゃないんだからねっ!

 と、心の中でツンデレを発揮しているうちに連絡先の交換が終わり、その日は解散となった。



 日もすっかり暮れてしまったため、汐留を家まで送るべく二人並んで帰路についた。


「ごめん。こんなことに巻き込んで」

「気にすんな。何事もなく終わってよかったよ」


 俺の中では何事もあったが、それは一周目を知っている俺だからわかることだ。汐留の友人をわざわざ落とすようなことを言う必要は無い。

 しかしながら、どうして今回は杏が汐留を陥れるようなことを言わなかったんだろう。

 見てくれだけはバッチリキメていた前回と違い、今回の俺は私服も普通のパーカーだったし、髪も伸びたきりそのままにしていた。やろうと思えば好きなだけ彼氏マウントを取れたはずだ。

 二周目だからか? 確かに二周目で変わった人間関係はあるが、人柄がまるっきり変わってしまったのはこれが初めてだ。

 まあ、一話限りのゲストにあれこれ考えても無駄か。


 ふと、先程まで隣を歩いていた汐留の姿が消えていたことに気付いた。

 俺の後方。住宅街の一角で呆然と俯く汐留。


「本当はもっと空気が悪くなると思ってた」


 彼女はそう小さく呟いた。

 思い当たる節があるのだろうかと首を傾げる。


「どういうことだ?」

「うち、夢を見たんだ。さっきの四人でダブルデートする夢。そこで、杏がうちをバカにして、涼介さんと柊木がうちを庇うの。それで空気が悪くなって……」


 夢? それは本当に夢か?


「それって……」

「ごめん! なんでもない。じゃあうちこっちだから。また学校でね」


 汐留は矢継ぎ早にそう告げて、走り去ってしまった。

 不安感のような焦燥感のような感覚に襲われ、汐留を追いかける暇もなかった。

 俺の中に芽生えた小さな疑念。少しずつ変わるこの世界。

 奇妙な感覚を抱えたまま、俺もそのまま帰宅した。



 その夜、俺のスマホに一通の通知が届いた。


『明日会えない?』


 送り主を見て、一度閉じる。

 もう一度開いてみても、やはり俺の目がおかしいわけじゃないらしい。

 自分の目を真っ先に疑うほど驚いたがちょうどいい。俺も少し話がしたかった。

 軽く待ち合わせ場所と時間を決め、眠りについた。

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