第77話 不穏な雨模様

 三雲の一件が落ち着いた翌週。

 コーチの話は瞬く間に教員の耳に届き警察のお縄になり、体育祭の熱気も冷め、ついでに俺のちやほやタイムも冷めた頃、暦は六月に入った。

 俺はこの時期があまり好きじゃない。と言うのも……


「もー最悪!」

「靴下濡れちゃったね」


 教室に飛び込んできた女子がぶつぶつと……と表現するにはやたら大きい声で文句を言っている。

 窓の外に目を向けると、水が滝のように窓を流れ、室内からでもわかるほど大粒の雨が絶え間なく降っている。

 そう、梅雨の到来だ。

 梅雨の時期というのはどうも気が沈んで仕方ない。じめじめとした湿気に傘をさしても防ぎ切れない豪雨が毎日のように襲いかかる。

 俺は家が近いおかげでまだマシなのだが、それでも家から学校に向かう間に下半身がずぶ濡れになってしまう。毎朝最悪な気分で始まると考えるだけで気が沈んでしょうがない。


 そして、気が沈む原因がもう一つ。

 視界の端に黒く長い髪が映り、俺はその少女──桐崎茜に「おはよう」と声をかける。


「おはよう」


 こちらを見ることも無く形だけの挨拶を交わし、会話が終わる。

 なんとか話をしようと、俺は話題を捻り出す。


「あー、今日もすげえ雨だな。桐崎は大丈夫だったか?」

「靴下の替え、持ってきてるから」

「用意周到だな」


 会話終了。盛り上がらないったらない。もうほんとお通夜みたいな雰囲気だ。

 体育祭での一件からなんとか挨拶を交わすまでには関係を修復できたものの、そこから先へは進めずにいた。

 桐崎のことはなんとかしてやりたいが、こうも拒絶されては踏み出しにくい。


 桐崎茜はこの二周目において、第四の壁の向こう側を知る人物だ。

 そして、それが原因かは知らないが、一周目のことも少なからず知っているらしい。

 この不可思議な力を手に入れた人間の末路というのは、一周目で俺や紗衣が示した通りだ。ろくな結末を辿らない。

 桐崎もきっと、この世界の理不尽を嘆き、苦しんでいる。だからこそなんとか桐崎を救いたい。

 が、どうしたものかなぁ。


「ため息なんて珍しいね。何か悩みでも?」


 落ち着いた低めのイケメンボイス。配信とかしたら人気が出そうなその声に引かれ、隣の席に目を向ける。こいつの場合は配信より俳優の方が向いてそうだ。なにせ顔が良い。

 朝からため息をついたらイケメンに話しかけられるとかどんな乙女ゲーだよ、と頭の中でツッコミを入れつつ、武道に軽く挨拶を送る。


「いや、大したことじゃない。イベント事も終わったから次は期末だなって思うと憂鬱でな」


 目の前にその悩みの種が鎮座しているのにこんなところで打ち明けられるはずもなく、適当に話を逸らす。


「なるほど。柊木君は勉強が苦手かい?」

「苦手ってほどでもないな。平均点以上は取れる」


 俺のパラメータはやや運動面に多く振り分けられているらしく、勉強面は上の下と言ったところだ。

 特にこの二周目の俺はしばらく勉強から離れていたブランクもあり、成績はやや降下気味。スポーツも勉学も秀でた武道と比べると見劣りするだろう。

 それでも彼の態度が鼻につかないのは、武道の人柄故だろうか。


「よかったら勉強教えようか?」という提案ですら素直な優しさだと受け取れる。

 ……って、マジか。


「いいのか?」

「うん。部活があるからテスト期間からになるけど」

「俺も部活あるし、その方がありがたい」

「じゃあ決まりだね」


 白い歯を見せてにこりと笑う武道。まさかこいつと一緒に勉強することになるとは。なんだか普通の学園青春ものみたいだなぁ。

 なんて感傷に浸っていると、背後から鋭い視線を感じた。

 何かを忘れている。そう気付いたときには時すでにおすし。ふざけてる場合じゃないんだよなぁ。

 ハイライトを失った目線の主、汐留結奈は俺と目が合うや身を翻して教室から出て行った。


 やべえ、忘れてた。

 俺が勉強を教えると言っておきながら、体育祭や他のヒロイン候補に付きっきりで後回しにしていた。ヒロイン全員を同時攻略ってやっぱ人間業じゃねえよ。

 これじゃあ一周目と同じだ。汐留にまた愛想尽かされるわけにはいかない。

 行動は早いに越したことはない。一周目で学んだことは反省して活かさなければ。


「行ってあげなよ。先生には上手く言っておくからさ」


 その一部始終を見ていた武道は、優しい声で俺の背中を押してくれた。マジで人が出来てんな。友人どころか長年の相棒ポジだろお前。


「悪い、頼む。あと、勉強会は一人追加だ」

「うん、任せてよ」


 キラキラと笑顔を見せる武道にこの場を任せ、俺は汐留の後を追った。

 もう一つの時限爆弾がカウントダウンを始めたとも知らずに。



 汐留を探し出すのは簡単だった。何せ、一周目でも何度も同じ場所で出くわしたからだ。

 教室から少し離れた多目的室の扉を開くと、窓の縁に肘をついて曇天を眺める汐留の姿が見えた。


「授業、始まるぞ」


 聞こえているはずなのに、汐留は何も答えない。

 それもそうだ。汐留はずっと待っていたんだから。

 一周目でもそうだった。汐留に勉強を教えると約束して、汐留は俺から声がかかるのを待っていたんだ。

 だが、俺は他のヒロイン候補たちにかまけて、汐留のことを後回しにしていた。そのツケが回って来て、彼女との関係修復には苦労する羽目になった。

 今回も同じだ。俺はまた同じミスを繰り返している。

 三雲の一件が解決したとはいえ、全てが丸く収まったわけじゃない。

 物語の終わりまでまだ時間があるからと呑気に時間を浪費している余裕はない。

 ヒロインたちはそれぞれ何かしらの問題を抱えている。当然、汐留もその一人だ。

 彼女の存在は絶対に無視出来ない。何より、一周目で俺を支えてくれた汐留を放っておいていいはずがない。

 俺は自分の過ちをきちんと示そうと頭を下げる。


「汐留、ごめん」

「……何が」


 何が、と聞かれると答えに困る。他の女の子に余所見してごめんとは言えない。浮気現場かよ。


「汐留との約束、放置しててごめん」

「放置してたの? それとも忘れてた?」

「忘れてましたごめんなさい」


 俺は嘘が下手らしいので、ここは素直に謝る。

 すると何がウケたのか、汐留はくすくすと笑いだした。

 雨が窓を叩く音に紛れ、汐留の小さな笑い声が静かな部屋に響く。

 一頻り笑い終えた汐留は、すんと真顔に戻りこちらに振り返った。


「それで、正直に言えば許されると思ってんの?」

「いや笑ってただろ」

「笑ってないけど」


 そんなに真顔で言われるとこっちが間違っているような気がしてくるからやめてほしい。真顔が怖いんだよ。睨みつけられるとチビりそうになる。


「どうしたら許してくれるんだ」


 ただ平謝りを続けても状況は好転しそうにないため、答えを求めてみる。

 汐留はその言葉を待っていたと言わんばかりに一瞬目を輝かせるが、すぐに興味なさげに金色に染った髪をくるくると弄る。


「お願いを聞いてくれたら許さなくもないけど」

「お願い? 出来る範囲ならなんでも聞くが……」


 汐留はにこりと口角を上げる。ああ、ろくなことじゃないな。


「じゃあ次の土曜、駅前に集合。十時。遅れんでね。言質取ったけん」


 汐留はそれだけ告げると、軽い足取りで俺の横をするりと抜けて多目的室から出て行った。やっぱりこれが目的だったか。

 どうやらそれが終わるまでは約束も果たされないらしいし、行く以外の選択肢はない。

 これはやっちまったかなぁ、と思いつつ、雨音の絶えない窓を眺めた。

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