第76話 三雲らしさ

 大会が終わると景品の授与が行われた。

 優勝した俺たちは壇上に上がり、鮮華から一人ひとり景品が手渡される。

 たかがミニゲームにしては、景品も授与の形式も仰々しいように思えるが、部員たちから送られる称賛の拍手をその身に浴びていると大して気にもならなかった。

 俺たちの試合は、彼女たちが魅せたプレーはそれほどの価値があったと言い切れる。


 素直な拍手が送られる中、嫉妬に近い悪意ある眼差しもところどころ見受けられた。

 それらは、居心地が悪そうに身動ぎしている一人の少女に向けられていた。

 隣に立つ少女を一瞥すると、不安気な眼差しと視線が交わる。


 ようやく、だ。ようやくここまできた。

 体育祭で目立つ活躍をしたのも、三雲にこのミニゲームで活躍させたのも、全てこの時のため。

 朝倉は三雲に対する誤解を解いてくれたらしいが、部員全員がそうかと言われれば勿論そんなことはない。それは今、三雲に向けられている視線が物語っている。

 彼女たちの認識を、そして三雲を虐めた彼女たちを壊すために俺はここまでやってきた。それが三雲を救うことになると信じて。


 だが、今は少し違う。

 三雲を取り巻く環境を壊したところで三雲は喜ばない。三雲は幸せになれない。

 さっきのプレーを見ていて分かった。朝倉という理解者が居てくれたから俺にも伝わった。

 三雲の居場所はここにあると。三雲はここに居るべきなのだと。

 三雲はよく頑張った。鮮華はよく手伝ってくれた。

 あとは俺の番だ。三雲を見下す彼女たちを説得し、三雲の居場所を守る。

 それが俺の役目だ。


 意を決して、一歩前に踏み出す。

 そして──


「みんなに言いたいことがあるの」


 俺は開いた口をそのままに、声の主に顔を向ける。

 鳴り止んだ拍手と集まる視線。その先で、朝倉は澄んだ薄いブラウンの瞳を部員たちに向けていた。

 全ての視線一つひとつに返すように体育館を見渡して、朝倉は小さく深呼吸をする。


「女バス……ううん、男バスの人たちにも聞いてほしい。三雲のこと。それに、私たちがしてきたこと」


 状況が呑み込めず鮮華に目をやると、鮮華は彼女に任せようと伝えるように小さく首を横に振った。

 静寂の中、朝倉はぽつりぽつりと言葉を零す。

 女バスでいじめがあったこと。その対象が三雲であったこと。その原因と、三雲が話していた真相。

 文章と呼ぶにはあまりに稚拙で、頭の中に巡る思考をそのまま皆に伝えるように、不格好ながらも真剣に朝倉は話した。

 男バス連中は状況が呑み込めずに頭に疑問符を浮かべている。対照的に女バスの連中には思い当たる節があるようで、顔を伏せ体を震わせる。中には涙を浮かべている者も。

 一通り説明を終えた朝倉は、騒然とする部員たちに背中を向け、三雲の前に立った。


「今まで本当にごめんなさい」


 よく通る声で、少し震えた声で、それでも大きくはっきりとした声が静かな体育館に響く。

 深々と頭を下げた朝倉を見て、女子部員たちが誰からともなく三雲の元へ集まった。

 そして口々に、ごめんなさい、と。

 呆然とする男子部員たち。いや、三雲もか。一体何が起こっているのかと俺に視線を向ける。


 俺は、三雲をいじめた連中を許す気は無い。

 どんな理由があれど、そこに誤解やすれ違いがあれど、いじめていたという事実は、三雲が傷ついた現実は変わらない。

 だから俺は、女バスをぶち壊そうと思っていた。

 三雲は俺が好きで、俺も三雲が好きだ。だから三雲がコーチに好意を寄せたという事実はない。そう言ってやるつもりだった。

 そして、三雲の居場所を奪った連中から全てを奪ってやろうと思っていた。

 だけど……もしも。もしも、三雲が彼女らを許そうと言うのなら。朝倉を始め、部員たちの後悔や誠意に応えようと言うのなら。


 俺は三雲に出来るだけ優しく微笑んだ。

 三雲がこの場所を好きになれるのなら、俺は三雲が望む幸せを手にしてほしい。

 俺の気持ちが伝わったのか、三雲は女子部員たちに向き直る。


「頭を上げてください」


 三雲の優しい声に釣り上げられるようにたくさんの視線が三雲に集まる。

 バツが悪そうに目を逸らして、もう一度彼女たちに向き合う三雲。


「どんな理由があっても、私が辛かったという気持ちは拭えません」


 はっきりと言い放った三雲に対し、申し訳なさそうに顔を伏せる朝倉。

 三雲はそんな彼女にゆっくりと歩み寄り、でも、と続ける。


「もしも皆さんと楽しく部活が出来るなら、もしもやり直せるのなら、私はこの部に居たいです。みんなと一緒にバスケがしたい。楽しいこともしんどい練習もみんなと共有したいです」


 今度は三雲が頭を下げる。震える声でありったけの気持ちを吐き出す。


「だから、皆さんが良ければ、私と一緒にバスケをしてください。私をここに居させてください」


 いつもの元気いっぱいで明るい声とも違う。俺に悩みを打ち明けた時のような悲しく擦り切れそうな声とも違う。

 表情は見えないが、その声からは強くはっきりと、三雲の幸せを願う意志を感じた。

 虚をつかれたように固まった一同。しかし、


「も、もちろん! 私たちの方こそ、三雲と一緒にやり直したい。三雲と仲良くしたい」


 という朝倉の声を皮切りに「そうだね」「ごめんね」と会場に伝播した。

 三雲はあっという間に女子部員たちに囲まれ、姿が見えなくなった。


「何か知らんが、よかったな」

「そうっすね」


 そう会話する深瀬部長と陸奥。

 その後ろでは鮮華が小さく微笑みを向けていた。



「ありがとうございました」


 部活も無事に終わり、帰り道。

 三雲に一緒に帰りたいと誘われ、すっかり日が傾いた帰路を並んで歩く。


「俺は何もしてない」


 今回は本当に何もしてない。


 あれは三雲が頑張った結果だ。

 そして、そんな三雲を認めて、三雲と向き合ってくれた朝倉や女バス連中のおかげだ。


「それでも、ありがとうございました」


 いつもの活気のある笑顔とは違う、しおらしく優しい笑顔にどきりとする。


「まあなんだ、良かったな」

「はい!」


 会話が途切れてしばらく歩いた頃、またあの公園の前に着いた。そろそろ三雲の家が見えてくる。

 そんな折、彼女は公園の方を指さした。


「先輩、ブランコ乗りたいです」

「なんだよ急に。また忘れたいことでもあるのか?」

「違いますよ」


 三雲は強引に俺の手を引いた。

 小さくて温かい手。元気いっぱいに握られたその手に引かれ、俺も彼女と一緒に駆け出す。


 ブランコに並んで座ると、ギイギイと不気味な音が鳴る。やっぱりこの錆び付いた鈍い音は不安を煽る。

 気にした様子もない三雲はゆっくりとブランコを漕ぎ出す。


「私は、この場所が好きで、少し嫌いでした」


 突然そんなことを言う三雲。ちょっと意味がわからないと首を傾げると、三雲はくすくすと笑った。


「嫌なことが忘れられて落ち着くんですけど、気分が落ち込んだ時にしか来ないので、あまり良い印象がなかったんです」

「そうなのか。でも、今日は違うんだろ?」

「はい。ここを私の好きな場所にしようと思って」


 やはり三雲の言うことはよくわからない。

 その答えを示すように彼女は言う。


「灯先輩に悩みを打ち明けて、私が変われた始まりの場所ですから」


 要は思い出の場所にしたい、と。

 思えば三雲との関係が進んだのはいつだってこの公園だった。

 でも、この場所に来た時の彼女はいつもどこか思い悩んだ表情を浮かべていた。

 三雲と俺を繋ぐ場所であり、彼女にとっては辛い想いが詰まった場所。

 そんなこの場所をきっかけとして、彼女は今変わろうとしている。

 新たな一歩を踏み出すスタート地点。そして、俺たちの関係を終わらせる場所。

 今の三雲にもう俺は必要ない。彼女には居場所がある。俺はただの憧れの先輩に戻ることになるのだろう。

 そう思い、俺は三雲に優しく語りかける。


「じゃあ今度は女バスのやつを誘って来いよ。喜んで来てくれると思うぞ」

「そうですね。それも良いんですけど……」


 三雲は大きく漕いだブランコから飛んだ。

 高く宙を舞う三雲は、枷が外れた鳥のように自由で、初めて外の世界を知った幼子のように目を輝かせていた。

 スタッと着地した三雲はこちらに体を向ける。


「ここは私と先輩の思い出の場所ですから」


 そう言って笑う三雲の顔は、今まで見たどんな笑顔よりも輝いて見えた。


「そうか」


 俺の意思を無視して跳ね回る心臓を落ち着かせるように目線を逸らす。


「先輩は」


 いつの間にか俺の目の前まで戻っていた三雲が顔を覗き込む。


「どうやって私を救おうとしてくれたんですか?」


 今となってはどうでもいい話だ。それどころか、思い出すだけで少し恥ずかしい。

 それでも三雲の眼差しから逃げられず、俺は正直に打ち明ける。


「俺が活躍して他の女子部員が俺に言い寄ってきたところで三雲が好きだって言ってやろうかと」


 三雲は一瞬目を丸くして、ふっと微笑んだ。


「じゃあ付き合っちゃいます?」

「は……」

「冗談ですよ」


 にかっと白い歯を見せる。ああ、やっぱり三雲はこうでなきゃな。

 いつも俺を振り回す。その度に俺はドキドキして、つい三雲に手を差し伸べてしまう。

 三雲に居場所が出来てもこの関係は変わらないらしい。

 その事実が嬉しく思う自分が居る。


「先輩が私のこと、恋愛対象として見てないことは知っていますから」

「それは……」

「でも!」


 ふと、頬に柔らかいものが触れた。いつぞやと同じ感触。

 自然に伸びた長いまつ毛。暗い中でもわかる赤らんだ頬。甘く柔らかい匂い。

 俺から離れた三雲は、ビシッと人差し指を俺に向ける。


「私は灯先輩のこと大好きだってことは忘れないでくださいね!」


 三雲はそう言ってスタスタと走り去ってしまった。

 取り残された俺は、呆然とその背中を見送ることしか出来なかった。

 どこまでも自由で、いつも俺を振り回す。それが三雲燈というヒロインだ。

 憧れの先輩じゃ終わらない。三雲の吐き出す気持ちは、言葉は、いつだって本気なんだ。

 三雲との関係が続くことが大変だと悩まされる一方、どうしようもなく嬉しいと思ってしまう。

 そして気付くんだ。


「あいつ、カバン置いて帰ってんじゃねえか……」


 やっぱり三雲は、どこまでも三雲らしい。

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