第73話 三雲を救うために④
準決勝、俺たちのチームは無事に勝利を収めた。
ただし、その内容は決して褒められたものじゃない。
「柊木、あんたどういうつもり?」
試合が終わるや否や、朝倉がこうして俺を問い詰めるくらいだ。
陸奥はどうにか朝倉を宥めようとするが、それも逆効果。陸奥まで巻き添えを食らって怒鳴られる始末だ。
三雲は完全に萎縮してしまい顔を伏せている。役に立てない歯痒さや俺を巻き込んでしまった申し訳なさが彼女を責め立てているのだろう。
この結果は覚悟していたし、仕方がないことだ。
なにせ三雲に回したボールのほとんどは、相手に取られるかシュートを外すという失態に終わり、点数に繋がるようなプレーは無かったのだから。
練習をろくにしなかったからといって、一ヶ月でここまで落ちぶれるのも珍しい。今の三雲はまるでバスケ経験のない素人同然だ。どうやってバスケをしていたのかわからないという三雲の言葉が今なら理解出来る。
恐らく、下手に振る舞うようにした結果、元々持っていたセンスやこれまでに培った感覚を取り戻せずにいるのだろう。
ピアノは三日練習しなければ下手になるとは聞くが、スポーツも似たようなものだ。三雲に鍵って言えば、女バスというしがらみも彼女のパフォーマンスを落とす原因の一つだ。
「三雲なんかにボールを回したせいで負けそうになったんじゃないの」
と怒りを露わにする朝倉の言い分もわからないでもない。実際、朝倉や深瀬部長のカバーがなければ負けていた。
だが、これは必要な事だ。ここで乗り越えなければ三雲は変われない。
そう思う反面、このままでは三雲の復活どころかバスケそのものを嫌いになってしまう可能性もある。どうにか打開しなければ。
もう一押し。三雲が立ち直るためにはもう一押しが必要だ。
俺の言葉だけじゃ足りない。三雲のいじめの件に関しては俺は部外者と言える。そんな部外者の言葉だけじゃ、三雲が抱える葛藤を払拭できない。
「ねえ、聞いてんの?」
「朝倉、ちょっと来てくれ」
「えっ? ちょ、柊木!?」
決勝戦まではまだ少し時間がある。俺は抵抗する朝倉を連れて体育館を出た。
三雲はさっきの試合で間違いなく自分に出来るだけのことをした。その結果がどうあれ、三雲は自分の殻を破ろうとした。
できるだけやってみると約束したんだ。だったら、俺もできるだけのことをやらなきゃならない。
「柊木!」
朝倉は俺の手を振り解き、しかめっ面で睨みつける。
「あんた、何考えてんの?」
「俺はただ、三雲に楽しくバスケをしてほしいだけだ」
「は?」
朝倉と三雲の関係については詳しく知らない。ただ、朝倉の様子を見るに、コーチとの一件で三雲に対して良い印象を抱いていないのは確かだ。
三雲も朝倉のように気が強くて、副部長という影響力を持った相手に本音や真実を打ち明けられない。部活動における上下関係とはそれほど大きな差があるものだ。
だけど、もしも朝倉をきちんと説得出来れば。朝倉が三雲の気持ちを理解してくれれば。
淡い願いかもしれないが、何もせずに諦めるよりは幾分かマシだろう。
こいつとは一年からの付き合いだが、本当に困っている相手は放っておけない奴だ。
だからきっと、朝倉が三雲のことを正しく知ってくれたなら、俺が求める最後の一押しに繋がる気がする。
朝倉をどう説得しようかと逡巡していると、彼女は腕を組んで訝しげな目を向ける。
「柊木ってさ、三雲と付き合ってんの?」
「いや、なんでそうなる」
本当になんでそうなる? 女子ってそういう話好きだよな。
俺はただ三雲に居場所を与えたいだけだ。三雲が楽しいと思える場所を作りたいだけに過ぎない。
……勘違いされてもおかしくないな、うん。三雲のことで頭いっぱいじゃん。
「だったらなんで三雲なんかに肩入れすんの?」
当然朝倉も疑念は晴れないようで、そう質問を続ける。なんで、と聞かれると返答に困るな。
三雲がヒロインだからなんて言えないし、三雲を幸せにしたいなんて言うとさらに勘違いを重ねてしまいそうだ。
いや、そもそもそんな簡単な話じゃないんだ。ヒロインだから、幸せにしたいからとありふれた言葉で片付けられるほど俺たちの関係は浅くない。
俺は一周目のこの世界で三雲に救われた。あの優しさに、あの笑顔に、何度も助けられた。
だから、今度は俺が三雲を助けたい。
一周目のようにただ目の前のことから逃げるだけじゃない。ちゃんと向き合って、三雲が抱える問題を解決して、三雲が心の底から幸せだと思えるようにしたい。
それが俺の本心だ。フィクションの世界で生まれた、紛うことなき現実だ。
「三雲が大切だからだ」
俺はそう言い切った。その言葉が一番適切な気がした。
「あのさぁ、それって好きと何が違うの?」
「え、同じなの?」
「同じでしょ」
マジかぁ。俺って三雲のことが好きなのかもしれない。恋愛的な意味ではない……とは思うけど。本人にもそう言ったしな。
呆然とする俺に呆れるように、朝倉は大きくため息をついた。
「あんた、三雲が何をしたか知ってるの?」
朝倉はそう問いかける。それだけで朝倉と三雲との間にある軋轢の原因が見て取れる。
朝倉はきっと勘違いしている。させられていると言うべきか。
三雲の言う通り、コーチがあることないこと言いふらして女子部員を抱き込んだのだろう。その点で言えば朝倉も被害者だったんだ。
浮ついた空気を払うために俺は大きく息を吐く。
「知らん」
「じゃあ勝手なこと」
「三雲が何かしたなんて話、俺は知らん」
朝倉はきっと勘違いをしている。そして、俺もきっと勘違いしていた。
女子部員が三雲に何かしらの恨みを持って、三雲をいじめていたと思っていた。
だが、恐らく彼女たちは何も知らない。何も知らないまま、言われるがままに三雲を排斥しようとしてしまったんだ。
俺は全てを壊すつもりでいた。
三雲燈という素敵な女の子から笑顔を奪った連中を叩き落とすつもりでいた。
体育祭で活躍したのもその作戦の一端だ。俺が人気や地位を確立すれば、俺の言葉の信ぴょう性が増す。俺に好意を寄せる部員が出てくればその効果はさらに大きくなる。
そうして俺への感心が高まったところで、イジメの主犯が俺と三雲の仲が気に食わずにイジメを提案したと、あることないこと打ち明けてやるつもりだった。
俺と三雲が両想いだと言ってしまえばもっと効果的だ。イジメの主犯は嘘つきだと揶揄され、三雲の存在価値も上がる。悪は消え、三雲の安全も保証される。そう、思っていた。
だが、実際には違った。
三雲を虐めた連中が許されるとは言えないが、彼女らも捻じ曲げられた真実によって操られていたに過ぎない。
だとすれば、俺が壊すべきは彼女たちじゃない。許してはいけない相手が他にいる。
「朝倉はコーチのこと好きか?」
そいつのことを探るため。そして朝倉が味方になってくれるかを見極めるために質問をぶつける。
「えっ! な、なに急に……」
朝倉は明らかに動揺し、顔を赤らめる。おかしいな、何ですかその反応は。
やべえ、そんなつもりじゃなかった。多分こいつ、恋愛的な意味でコーチのことが好きなんだ。変なスイッチを押した気がする。というか、これは少しまずいかもしれない。
「あー、そういう意味じゃなくてな。コーチは良い人かって聞いてるんだ」
「そ、そういうことね! うん、好きだよ」
「そうか。じゃあお前にとっては酷な話かもしれないな」
「どういうこと?」
「待ってください」
三雲に聞いた話をそのまま朝倉に伝えようとすると、少し高い女の子の声が介入してきた。
まさか本人が現れるとは思わず、俺も朝倉も彼女に視線を送る。
「三雲……」
「灯先輩、ありがとうございます。でも、ちゃんと自分で話します」
朝倉は「ついていけないんだけど」と俺と三雲を交互に見る。
三雲は俺に下手な笑顔を向けると、緊張した面持ちで朝倉を見据える。
「朝倉先輩に相談があるんです」
体の震えを抑えるように両腕を抱き、三雲は話し始めた。
俺にとっては二回目になるその話は、何度聞いても気持ちの良いものじゃなかった。
朝倉も黙ってその話を聞いていた。
だが、話が進むにつれて表情が暗く落ち込み、やがて話を終える頃には堪え切れずに声を荒らげた。
「そ、そんな話信じられない! コーチがそんな人だなんて……嘘つくのやめてよ!」
危惧していた通りになった。朝倉は大きく首を振り、三雲の話を嘘だと切り捨てる。
多分、朝倉はコーチのことが好きだ。好意を寄せる相手が女子部員に手を出そうとした挙句、思い通りにならなければその部員を排斥するようなクズ野郎だなんて、信じたくもないだろう。
「あんたが手を出そうとしたんでしょ! それをコーチが断って、でもあんたがしつこく付き纏うからコーチはあんたを部活に参加させないようにって……」
「本当にそう思うか?」
朝倉の勢いに怯んでしまった三雲の代わりに俺が口を挟むと、朝倉は俺をキッと睨みつける。
「柊木に何がわかんの」
「そのコーチのことは知らん。挨拶したことがある程度だしな。だけど、おかしいだろ。部員に言い寄られたからって練習に参加させないことに意味があるのか? 本当に嫌なら顧問に相談すりゃいい。それが出来なくても、個別練習を辞めるだけでいい。他の部員に練習に参加させないよう言いつける必要があるのか?」
「そ、そんなの……」
朝倉は俺の言葉を否定するために考えを巡らせているようだが、何も出てこないようで口を噤んでしまった。
朝倉も気付いているんだ。コーチの言動がおかしいことに。
それでも否定しようとしてしまうのは、自分が好きになった人がそんな奴だと信じたくない気持ちからだろう。
「私がコーチに手を出さないと断言出来る証拠があります」
気まずい沈黙を切り裂く透き通る声。信じたくない気持ちと矛盾に対する疑念から表情に影を落とす朝倉の視線を浴びながら、三雲はスタスタと俺の元へ駆け寄る。
つま先を伸ばし、顔を近づける。俺の頬に柔らかい感触が伝わる。
朝倉は目を丸くして俺たちを見ていたが、俺も多分同じ顔をしていた。
「み、三雲、おまっ……」
「私が好きなのは、いつもぶっきらぼうで冷たいのに、私が困っていると必ず手を伸ばしてくれる灯先輩ですから」
俺のことはお構い無しに三雲はそう言い放つ。こいつ困ったらキスする癖でもあるのか? 今一番困惑しているのは俺に違いない。
三雲の熱烈なアプローチを見せつけられた朝倉は唇を震わせて、「コーチが……そんな……」と嗚咽を残して立ち去った。
残された俺と三雲。どうすんだこの空気。
朝倉は本当に説得出来たのか? これで解決したの?
「すみません。勝手なことをして」
「ほんとな」
俺がため息を漏らすと三雲は笑った。
「でも、ありがとうございます。おかげで少し気が楽になりました」
「そうか。俺は気が重くなったけどな」
これ明日からどうしよう。俺、どうなっちゃうんだろう……。
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