第72話 三雲を救うために③

 エースの資質を持った連中が集まったチームは、下馬評通りの活躍を見せた。

 深瀬部長は勿論、朝倉も普通に上手かった。普通に上手いって言葉が褒め言葉なのかは知らないが、他の女子部員と比べると頭一つ抜けているのは確かだ。

 女子にしては高さがあり、女子との対面だとまず負けない。

 さらにはテクニックも群を抜いていて、男子相手でも小刻みなフェイクを織り交ぜてディフェンスに捕まらない。


「流石。二年にして副部長を務めるだけはある」


 一試合目を難なく終えた深瀬部長からはそう評価を下される。

 部長や副部長は実力だけで勝ち取れるものでもないが、二年にしてそのポストに就けるのは、部員からの信頼と相応の実績がなければならないだろう。

 信頼に関しては俺にはわからないが、実績に関しては頷ける。これなら早々に負けることはまずないだろう。

 陸奥に関しても意外……と言っては本人に悪いが、それでも意外とよくやっている。

 てっきり緊張が先行してミスが出るかと思っていたが、ミニゲームという体で試合をしているおかげか、ポイントガードとして上手くチームメンバーを動かしながら、自分でもシュートを決めている。

 いや、陸奥の場合は賞品目当てか。もしくは女子部員が見ているせいか。両方だろうな。

 女の子の前ではかっこよく居たいんだ。男ってのはそんな単純な生き物なんだ。知らんけど。


 問題は三雲だ。

 数試合を終えて準決勝まで勝ち進んだ今、ほとんど点数を取っていない。いや、そもそもボールが回って来ないんだ。

 位置取りが悪いわけじゃない。だが、妙にマークが強い。

 ボールを持っていなくとも必ず一人。ボールを持つと二人のマークが付く。それも全て女子部員からだ。

 どれほど上手くとも人数差があれば必然と動きは制限される。高さのない三雲はスピードで勝負するしかないが、その初速が殺されている。

 男子部員はあまり気に止めていないようだが、明らかにボールを回せないように徹底的にマークされているように思う。

 それだけ三雲の実力を危惧している、と言えばそれまでだが、深瀬部長や朝倉を差し置いて三雲にマンマークを付けるのは少し違和感がある。

 これもいじめの一環か?

 そう疑いたくなるくらいには違和感を感じる。頭痛が痛くなりそう。



「三雲」


 準決勝前の小休憩。姿を消した三雲を探してたどり着いたのは体育館の裏手だった。

 俺は堪らず小さくため息を漏らす三雲に声をかける。


「すみません。足引っ張っちゃってますよね」


 三雲は眉をひそめる。苗字で呼んでも何も反応しない辺り、相当参っているらしい。


「お前だけ常にマークがついてるんだ。仕方ないだろ」

「いえ。これは試合ですから。マンツーマンも戦略ですよ」

「だからって」

「いいんです。それでも先輩方が活躍できるなら」


 俺の言葉を遮り、三雲は少し語気を強める。

 多分三雲も気付いているんだろう。三雲にパスを出せないよう、女子部員がわざとそういうマークをしていると。

 分かっていてもどうしようもないことは俺も理解している。マンマークは立派な戦略だ。相手の作戦にどうこう口を出す権利は俺たちにはない。

 それ自体は本当に仕方のないことだ。

 だが、俺が懸念しているのはもう一つ。これは意識しているのか無意識か、三雲にも問題があるように見えた。


「お前、なんで手抜いてるんだ?」


 三雲はぴくりと体を震わせる。ということは自分でも理解していたんだろう。


「て、手なんて抜いてませんよ」

「動揺してんぞ」

「してないですわよ」

「なんだその語尾」


 どこのお嬢様だ。一周目でも言ったがお前はお嬢様キャラには程遠いからやめとけ。

 ふざけているのかと思いきや、三雲は神妙な面持ちで顔を曇らせた。


「……わからなくなるんです」


 そして、少しずつ言葉を紡ぐ。


「私が試合で活躍すると、女バスのみんなはため息をつくんです。私が点を取る度に、みんなの士気が下がるんです」


 唇を震わせて、それでもなんとか言葉を探すように。


「私はスポーツ推薦でこの学校に来ました。四月の半ばに行われた聖女との練習試合で、実力を見るために私はスタメンで試合に出ました。結果は……負けでした」

「負け? 聖女って強かったのか」


 常陽バスケ部は男女共に全国レベルと聞いていた。実際に昨年は男女共に全国大会へ出場も果たした。

 逆に聖和女子は有名なお嬢様学校だが、部活動が盛んだとは聞いたことがない。言ってしまえば格下だ。

 不可思議な試合結果に首を傾げると、三雲は小さく頷いた。


「強かったです。ただ、その負け方に問題があったんです。後半に私がベンチに下がってから逆転されて負けたんです」

「前半までは勝っていたと」

「はい。前半終了時、十点差のリードで折り返しました。そこからの逆転負けだったんです」

「なるほど」


 それだけ聞くと三雲の実力が測れた試合だった、で終わる。まだチームとして完成していないのなら、格下だと思っていた相手に負けることもある。

 そこで課題を見つけて、次から頑張ろう、で終わる話だ。

 だが、三雲が問題視していると言うことは、それだけでは終わらなかったということだ。恐らく、三雲がいじめられるようになったきっかけがそこにある。

 周囲に気を配り、人が居ないことを確認して話の続きを促す。

 三雲は安心したようにふっと口角を上げると、消え入りそうな声で吐き出した。


「……コーチが言ったんです。三雲をずっと出していれば勝てた、って。三雲のような有望な選手を潰す気かって」

「クソだな」


 そんなことを言ってしまえば、三雲に矛先が向くに決まっている。そんなこともわからないのか、と苛立ちが募る。


「その日からコーチは私を贔屓するようになりました。私はその時はあまり気にしていませんでした。女バスの人たちも陰で噂話こそしていましたが、今のような直接的ないじめはありませんでした」

「だったら、どうして」

「コーチが私を求めたからです」

「求めた?」


 上手いやつをどこかのチームに引き入れようとしたのか?

 直感的にそう思ったが、そんな優しい話じゃなかった。


「特別指導という名目で、私の体に触ってきたんです」

「なんだよそれ……」


 エロ漫画の読みすぎじゃねえのか? どこの世界に女子生徒の体に触れる指導があるんだよ。

 テンプレートのような腐りきった大人の話に辟易する。同時に三雲が傷つき続けるきっかけを作った男への憤りが溢れて止まらない。


「私はもちろん拒絶しましたよ。突き放して逃げたんです。そこからです。私へのいじめが始まったのは」


 大方、そのコーチが何か言ったであろうことは想像に難くない。三雲が自分に好意を寄せていたとか、三雲が勘違いして襲ってきたとか。目撃者が居なければどうとでも言いようはある。

 指導者として一年以上務めてきた大人と目をつけられていた後輩。どちらを信用するかは考えなくともわかることだ。


「私が活躍すると、部の雰囲気が悪くなるようになったんです。私はボールを受けるのが怖くなりました。私が上手くなると、みんなは嫌がります。だからと言って、失敗するとみんなに迷惑がかかります。私はもう、どうやってバスケをしていたのが、どうやって楽しんでいたのか、もうわからなくなったんです」


 三雲は今にも泣き出しそうな声でそう絞り出した。見たこともない彼女の弱々しい姿に思わず動揺する。

 胸糞悪い話だ。純粋にバスケが上手くなりたい、運動を楽しみたいと願う少女を勝手な欲望で襲い、否定されたらその責任を一人に押し付ける。

 そんな自分勝手な大人の事情で、一人の少女の未来を潰そうってんだから。


 三雲は目を細める。多分、笑おうとしているのだろう。

 その痛々しい様子は到底笑顔とは言えなかった。


「すみません。こんな話聞いても面白くないですよね。そろそろ出番ですよ。ウォーミングアップしましょう」

「待て」


 勝手に話を終わらせようと立ち上がる三雲の手を引く。

 引き止めたはいいが、解決策なんて思いつかない。コーチの言葉で三雲を敵視するのなら、今の女バス連中に何を言っても聞きやしないだろう。

 どうしたって、俺は三雲を取り巻く環境を壊すことでしか解決策を見い出せない。

 だが、まだその時じゃない。とはいえ三雲を放っておくわけにもいかなかった。

 今まで一人で抱えていた悩みを打ち明けてくれたんだ。きっと彼女も怖かったはずだ。解決出来ない問題を押し付けて相手を困らせてしまうことが。打ち明けることで相手が傷ついてしまうことが。解決しようとしたことで誰かが傷ついてしまうことが。

 三雲燈とは、自分を傷つけた相手にすら傷ついてほしくないと願ってしまう心優しい女の子なんだ。

 だから、俺が彼女を救わなければならない。誰かが傷つかなければいけないなら、俺がそうならなければならない。

 何より、泣いている三雲は見たくない。

 俺は震える三雲の手をしっかりと包み込む。


「次の試合、お前にボールを回す。俺が受けたボール全てだ。だから、お前が決めろ」

「む、無理ですって! 言ったじゃないですか、私は」

「お前の事情はわかった。だが、それはお前がバスケを辞める理由にはならない」

「一緒に辞めるって話は……」

「無しだ。お前はバスケを続ける。この部で。今ここで、お前の実力を証明しろ。そして、全員に認めさせろ」


 酷なことを言っている自覚はある。だが、これで三雲がバスケを辞めてしまっては、三雲の幸せにはならない。

 三雲にとってはバスケが全てではない。それは俺も知っている。

 三雲がバスケ部に固執するのは、俺がバスケ部に居るからに他ならない。

 それでも、今ここで逃げては三雲が好きなものが根こそぎ奪われるような気がした。


「そんな事言われても……」

「お前のカバーは部長や陸奥がやってくれる」

「アカリ先輩は」

「俺は……できるだけなんとかする」


 悲しいことに俺がどうにかするとは言ってやれない。俺は人のカバーをしながら自分でも得点できるほど器用じゃないからな。

 三雲も情けない発言に「なんですかそれ」と小さくため息をついた。

 だが、その表情は少しだけいつもの三雲に戻ったように見えた。


「わかりました。できるだけなんとかしてみます」


 お返しだと言わんばかりに小さく笑う三雲。

 これで負けたとしてもそれでいい。三雲を救えるならそれでいい。


 出番が回ってきた俺たちは、コートに入った。

 やりたいように、できるだけのことをやって来いと三雲の背中を叩いて。

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